ー保護と赦しと復讐とー | とある働き人の聖書のお話

とある働き人の聖書のお話

東京で牧師をしておりました。
7年前子供が小学生に上がるまで離れていましたがぴったりの時に新しい働き(子ども関係)に招かれ、伝道させていただいています。

「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」

「あなたの神、主が、あなたに与えようとしておられる地の国々を、あなたの神、主が断ち滅ぼし、あなたがそれらを占領し、それらの町々や家々に住むようになったときに、あなたの神、主があなたに与えて所有させようとしておられるその地に、三つの町を取り分けなければならない。あなたは距離を測定し、あなたの神、主があなたに受け継がせる地域を三つに区分しなければならない。殺人者はだれでも、そこにのがれることができる。殺人者がそこにのがれて生きることができる場合は次のとおり。知らずに隣人を殺し、以前からその人を憎んでいなかった場合である。たとえば、木を切るため隣人といっしょに森に入り、木を切るために斧を手にして振り上げたところ、その頭が柄から抜け、それが隣人に当たってその人が死んだ場合、その者はこれらの町の一つにのがれて生きることができる。血の復讐をする者が、憤りの心に燃え、その殺人者を追いかけ、道が遠いために、その人に追いついて、打ち殺すようなことがあってはならない。その人は、以前から相手を憎んでいたのではないから、死刑に当たらない。だから私はあなたに命じて、『三つの町を取り分けよ』と言ったのである。あなたの神、主が、あなたの先祖たちに誓われたとおり、あなたの領土を広げ、先祖たちに与えると約束された地を、ことごとくあなたに与えられたなら、―私が、きょう、あなたに命じるこのすべての命令をあなたが守り行ない、あなたの神、主を愛し、いつまでもその道を歩むなら―そのとき、この三つの町に、さらに三つの町を追加しなさい。あなたの神、主が相続地としてあなたに与えようとしておられる地で、罪のない者の血が流されることがなく、また、あなたが血の罪を負うことがないためである。しかし、もし人が自分の隣人を憎み、待ち伏せして襲いかかり、彼を打って、死なせ、これらの町の一つにのがれるようなことがあれば、彼の町の長老たちは、人をやって彼をそこから引き出し、血の復讐をする者の手に渡さなければならない。彼は死ななければならない。彼をあわれんではならない。罪のない者の血を流す罪は、イスラエルから除き去りなさい。それはあなたのためになる。あなたの神、主があなたに与えて所有させようとしておられる地のうち、あなたの受け継ぐ相続地で、あなたは、先代の人々の定めた隣人との地境を移してはならない。」

申命記19章1-14節

 

赦す、ということほど難しいことはないですよね。心のどこかでそれが残ってしまう。「多分そいつ、今頃パフェとか食っているよ」なんて本もありますが、相手はさほど覚えていないし、気にしていない場合も多いから余計に大変。しかし私たちは一つ大事なことを覚えておきたい。これまでも見てきたように神様はあなたを愛し、「保護」してくださる神様。あなたのために、最善をなして下さる神様。驚くべきことを現在進行系で行われる神様。私たちはこの神様に信頼し、歩もうではありませんか。心も含め、あなたを丸ごと守って下さる神様に委ね。

 

さて、↑は約束の地を目の前にモーセが死ぬ、その前に最後に神様はモーセに、第2世代にも神様が命じられたことをことごとく語るように命じられ、今2番目の説教に5章から入っています。19章では、逃れの町、以前にも触れましたが過失によって誰かを死なせてしまった場合と、そうではなく故意に死なせた場合、また偽証について語られていきます。↑では過失によって命を奪った場合と、故意に命を奪った場合について触れられています。

 

十戒でも「殺してはならない(殺さないだろう)」とありますが、それは被害を受けた方の復讐心にとらわれる被害者を守る目的もあるのかな、というのが↑で見えてきます。まず過失について、神様に導かれモーセは「あなたの神、主が、あなたに与えようとしておられる地の国々を、あなたの神、主が断ち滅ぼし、あなたがそれらを占領し、それらの町々や家々に住むようになったときに、あなたの神、主があなたに与えて所有させようとしておられるその地に、三つの町を取り分けなければならない。あなたは距離を測定し、あなたの神、主があなたに受け継がせる地域を三つに区分しなければならない。殺人者はだれでも、そこにのがれることができる。殺人者がそこにのがれて生きることができる場合は次のとおり。知らずに隣人を殺し、以前からその人を憎んでいなかった場合である。たとえば、木を切るため隣人といっしょに森に入り、木を切るために斧を手にして振り上げたところ、その頭が柄から抜け、それが隣人に当たってその人が死んだ場合、その者はこれらの町の一つにのがれて生きることができる。血の復讐をする者が、憤りの心に燃え、その殺人者を追いかけ、道が遠いために、その人に追いついて、打ち殺すようなことがあってはならない。その人は、以前から相手を憎んでいたのではないから、死刑に当たらない。だから私はあなたに命じて、『三つの町を取り分けよ』と言ったのである」と語ります。

 

逃れの町、というものを設けるように、ということです。これは第1世代にも語られてきたことではありますが、いくら過失とはいえ、被害者としてはやりきれない部分もあり、血の復讐者となって加害者の命を奪おうとすることを避けるために、領土の中にその町を置くように、しかもちゃんと測量して、どこにいても復讐者から守られるよう、置かれることになりました(ヨルダン川東には別に3つ)

 

ただ、今の時代では加害者よりだ、とか色々言われかねないかもしれませんが、誰でも逃れの町に逃げ込みさえすれば守られる、というわけではないのです。逃れの町では祭司が、判例で「たとえば、木を切るため隣人といっしょに森に入り、木を切るために斧を手にして振り上げたところ、その頭が柄から抜け、それが隣人に当たってその人が死んだ場合、その者はこれらの町の一つにのがれて生きることができる」と挙げられているように、それが本当に過失なのか、保護なのか、しっかりと調べるよう言われています。

 

そもそも、人の命を取って良いものではないのです。故意に人を殺す、それを神様は良しとはしていません。ただ神様は血の復讐者に引き渡すの?と思うかもしれませんが、神様はその正義のゆえに、殺人者を殺さなければいけないと命じておられるのであり、その殺人者への憎しみを果たすために殺すのではありません。正義と、憎しみによる復讐とは、まったく別物であります。これについてヤコブという人は「人の怒りは、神の義を実現するものではありません」と手紙で書き送ります。

 

レビ記で「復讐してはならない。あなたの国の人々を恨んではならない。あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい。わたしは主である」と神様が語られたことを分かち合いましたが、復讐者には復讐者へ、神様は委ねるように、とおっしゃっています。神様がこの中に義を現して下さるから、委ねるように、と。過失の場合の保護と同様に、被害者側にも神様は保護されようとしているのです。具体的な命を奪うこと以外にも、あなたの心を縛り付け、心を奪われるような何かからも。神様は神様の義を私たちの内に現したいのです。神様はすぐ側にいます。

 

先ほど取り上げさせていただいたヤコブの書き送った前後には「しかし、だれでも、聞くには早く、語るにはおそく、怒るにはおそいようにしなさい。人の怒りは、神の義を実現するものではありません。ですから、すべての汚れやあふれる悪を捨て去り、心に植えつけられたみことばを、すなおに受け入れなさい。みことばは、あなたがたのたましいを救うことができます」とあります。

 

神様が、どちらにしても逃れの町となり、あなたのうちに神様の義を実現させてくださる、だからこそ私たちは、イエス様の十字架による救いを持ってまで植え付けていただいたいのち、植えられた新しい命の内に神様の御心が、ご計画がなされていくことを祈り願おうではありませんか。イエス様を追い出す、というある意味の殺しをするのではなく、むしろイエス様を通してあなたを保護、殺人者とするのではなく守られた神様が、逃れの町がそうであるように訴えれば聞かれ、調べ、応え、神様の義をもって応えてくださる神様が、あなたを待っているのですから。「神様が」置くようにおっしゃられた、その神様があなたの心の地境を守って下さる。

 

イエス様を十字架にかけるという、あなたが負うべき血の復讐をイエス様が身代わりに背負われてまであなたを保護し、あなたに会いを、神様のご計画を、義を表そうとされた神様はあなたのうちに最善の計画を持っています。私たちはこの神様に今日、聞き、委ね、イエス様と一緒にこの新しい命のうちを歩ませていただこうではありませんか。