ー不安を追い出す本物の食べ物ー | とある働き人の聖書のお話

とある働き人の聖書のお話

東京で牧師をしておりました。
7年前子供が小学生に上がるまで離れていましたがぴったりの時に新しい働き(子ども関係)に招かれ、伝道させていただいています。

「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」

「私が、きょう、あなたに命じるすべての命令をあなたがたは守り行なわなければならない。そうすれば、あなたがたは生き、その数はふえ、主があなたがたの先祖たちに誓われた地を所有することができる。あなたの神、主が、この四十年の間、荒野であなたを歩ませられた全行程を覚えていなければならない。それは、あなたを苦しめて、あなたを試み、あなたがその命令を守るかどうか、あなたの心のうちにあるものを知るためであった。それで主は、あなたを苦しめ、飢えさせて、あなたも知らず、あなたの先祖たちも知らなかったマナを食べさせられた。それは、人はパンだけで生きるのではない、人は主の口から出るすべてのもので生きる、ということを、あなたにわからせるためであった。この四十年の間、あなたの着物はすり切れず、あなたの足は、はれなかった。あなたは、人がその子を訓練するように、あなたの神、主があなたを訓練されることを、知らなければならない。あなたの神、主の命令を守って、その道に歩み、主を恐れなさい。あなたの神、主が、あなたを良い地に導き入れようとしておられるからである。そこは、水の流れと泉があり、谷間と山を流れ出た深い淵のある地、小麦、大麦、ぶどう、いちじく、ざくろの地、オリーブ油と蜜の地。そこは、あなたが十分に食物を食べ、何一つ足りないもののない地、その地の石は鉄であり、その山々からは青銅を掘り出すことのできる地である。あなたが食べて満ち足りたとき、主が賜わった良い地について、あなたの神、主をほめたたえなければならない。」

申命記8章1-10節

 

人が生きるために必要なもの、皆さんだったら何を挙げるでしょうか。衣食住揃えばベスト。でも一人でいるのは寂しい。色んなものが頭をよぎるかと思いますが、やはり人は一人で生きるのは相当困難があります。しかし、神様は私たちを愛し、共にいて下さる。全ての必要を満たして下さろうと、あなたに語りかけて下さります。私たちはそんなもの、と考えず、神様がくださる一つ一つの恵みに生かされ歩もうではありませんか。

 

さて、↑は約束の地を目の前にモーセが死ぬ、その前に最後に神様はモーセに、第2世代にも神様が命じられたことをことごとく語るように命じられ、今2番目の説教に5章から入っています。↑では、40年イスラエルの民が彷徨うこととなったことを覚えること、そして何より神様が私達を守り導かれていくことが語られていきます。昨日の箇所では不安がある時の分かち合いをしましたが、その中で神様が追い払われることを見ましたが、↑で神様はモーセを通して更に具体的に語られていきます。

 

話を進めますが、この申命記に入ってよく語られている「私が、きょう、あなたに命じるすべての命令をあなたがたは守り行なわなければならない」という言葉ですが、これは神様が無理やり従わせたい、とかそういうことではないのです。ここまで見てきたとおり神様は私たちを幸せにしたいのです。神様はあなたが幸せに、神様のくださる最高の恵みの中、生きてほしい、と導かれるのです。

 

神様はモーセを通して「そうすれば、あなたがたは生き、その数はふえ、主があなたがたの先祖たちに誓われた地を所有することができる」と語られている通り、あなたをほんとうの意味で活かしたいのです。神様のくださる、神様「が」与えて下さる最高の地に生きることができるようにしたいのです。

 

考えてみれば、アダムが神様によって造られたわけですが、神様が息吹を吹き込んで初めて生きたものとなった(それまで人形だったという意味ではなく)、そういう意味で、どんなに衣食住や便利なものがそろおうとも、神様なしにはほんとうの意味で生きることはできない。虚しいままに終わってしまう。

 

知者として知られているソロモン王、彼は最初から知恵があったわけではない、神様が彼が王になる時に、神様が与えてくださったのです。彼は衣食住という点においてはこれ以上ないほどに得ていたのです。まあそれも、神様が与えてくださったものですが。それでもそのソロモン王さえ、「主を恐れることは知恵の初め、聖なる方を知ることは悟りである」と語るのです。神様を知る中にこそ、ほんとうの意味での悟りを得る。神様が与えてくださるんだ、と。

 

話がそれましたが、神様はモーセを通してさらに「あなたの神、主が、この四十年の間、荒野であなたを歩ませられた全行程を覚えていなければならない。それは、あなたを苦しめて、あなたを試み、あなたがその命令を守るかどうか、あなたの心のうちにあるものを知るためであった。それで主は、あなたを苦しめ、飢えさせて、あなたも知らず、あなたの先祖たちも知らなかったマナを食べさせられた。それは、人はパンだけで生きるのではない、人は主の口から出るすべてのもので生きる、ということを、あなたにわからせるためであった」と続けます。

 

40年前、いよいよ約束の地に入ろうという時に、第1世代は神様がもう与えてると約束してくださっているのに信頼せず、偵察したいと申し出、それでも神様は見守り、養われ、巨人族からも、彼らが悪評を流したのとは逆に守られたにも関わらず、やめよう、エジプトに帰ろう、と言って、結果、40年の荒野の放浪の旅が続きました。「40年の間」ですから、そのような神さまへの背信行為があったにもかかわらず、神様はそれでも見捨てず、養われてきた、人がパン(衣食住)だけで生きるのではなく、神様の口から出るすべてのものによって生きることを40年間途切れることなく示され続けたのです。ただ食料が与えられただけではなく、多くの戦いからも神様は守ってくださっていたのです。

 

全行程において神様は彼らを守り導いていた、神様はあるひとときだけ助ける神様ではない、彼らの背信行為があってもなお神様は見捨てなかったのです。それこそ「この四十年の間、あなたの着物はすり切れず、あなたの足は、はれなかった」とあるくらい、神様は頭の先から足の先、起きている間も、寝ている間も守ってくださっていたのです。それはあなたに対しても同じ、神様はあなたの人生の全行程の中に共におられ、守られ、養われることを私たちは忘れてはいけません。

 

この時だけではないことは、イエス様がサタンから誘惑を受けた時に、「人はパンだけで生きるのではない、人は主の口から出るすべてのもので生きる」とサタンを退けたことからもわかります。私たちにイエス様は示されたのです。あのときだけではない、今も、これからも神様はあなたの全人生、全行程において守り導いてくださるのです。

 

確かに試練のようなときは私たちの人生にはあります。なんでこんなことが、ということもあります。こんなことを書いている私自身もそうです。ただ言えることは、全行程においてあなたとともにおられる神様が、あなたと一緒に歩んで下さる、進んで下さる。神様は私たちが見えていない先に、すべてを、それこそ「そこは、水の流れと泉があり、谷間と山を流れ出た深い淵のある地、小麦、大麦、ぶどう、いちじく、ざくろの地、オリーブ油と蜜の地。そこは、あなたが十分に食物を食べ、何一つ足りないもののない地、その地の石は鉄であり、その山々からは青銅を掘り出すことのできる地」と語られているとおり、すべてを用意され、満たしてくださっているのです。神様が用意されているのです。満ち足らせてくださるのです。

 

私たちは本来第1世代の背信のように、神様から離れ、神様の恵みを恵みと思わず好き勝手に歩んできた、神様に見捨てられても仕方がない、それでも神様はあなたのいのちを生きたものとするため、罪を取り除くため、御子イエス様を十字架にかけ、身代りに罰せられ、死なせたのです。しかし3日目によみがえらせてくださったことによって、このイエス様の十字架の前に悔い改め立ち返るすべての人の内に復活のイエス様が住まわれ、あなたの全行程、いや、天の御国に至ってなお神様の平安の内に住まわせてくださるのです。

 

私たちは私たちの命を生きたものとするために命をかけて愛されたイエス様のすべての御業に感謝しよう。イエス様がどれだけ愛してくださっているのか、世の様々な思い煩い、苦難に目を留めるのではなく、それら全てに勝利されたイエス様のくださる、作り変えてくださった新しい命、恵みを仰ぎ見ようではありませんか。神様はイエス様の命とともに新しい命をあなたに与え、良いもので満たし、生かし導いて下さる。今日、私たちはこの神様の偉大なる愛を受け、感謝し、歩もう。