本物の愛 | とある働き人の聖書のお話

とある働き人の聖書のお話

東京で牧師をしておりました。
7年前子供が小学生に上がるまで離れていましたがぴったりの時に新しい働き(子ども関係)に招かれ、伝道させていただいています。

「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」

↓の話を読んだ時に、人の言葉、愛というのは塗り替えられていくんだな、と実感しました。

自分にもっと都合のいいことがあれば忘れ去られる。

しかしそんな忘れ去られるような愛とも言えない愛にどれだけの価値があるだろう。

 

でも、神様はあなたのためなら御子イエス様の伊野知沙え惜しまないほどに愛されている方だということを忘れてはいけない。

 

チャールズ・ハッドン・スポルジョン氏は語る。

あなたは主からどれだけの恩義を受けているか。

主はあなたのために何をされたか。

あなたの罪を赦されたか。

あなたを義の衣でおおわれたか。

主はあなたの足を岩の上に置かれたか。

あなたの歩みを定められたか。

主はあなたのために天国を備えられたか。

またそこに入るのにふさわしい者とされたか。

主はあなたの名をいのちの書に記されたか。

あなたに数え切れない祝福を与えられたか。

あなたのため、見たことのない、

聞いたことのないいつくしみを用意されたか。

それなら、イエスの愛に報いる何かをせよ。

 

あがない主に、口先だけの礼を言ってはならない。主がおいでになる時、あなたは主のために何もせず、あなたの愛を溜め池のように閉じて、貧しい主の民に注ぎ出さず、また主の働きのためにも流し出さなかったと告白しなければならないとすれば、あなたはどう感じるか。このような愛を追放せよ。

 

人々は実行を伴わない愛を何と考えるだろう。

 

彼らは言う。

「あからさまに責めるのは、ひそかに愛するのにまさる」と。

 

あなたにただの一度も、自己否定、寛大、義なる行為、熱心な行為をさせないような弱い愛を、いったいだれが受け入れよう。見よ。イエスがどれだけあなたを愛して、ご自身をあなたに与えられたかを。あなたはその愛の力を知っているか。それならその愛をあなたのたましいの中の疾風とし、あなたの俗悪の雲を吹き払い、罪の霧を消し去れ。

 

「キリストのために」。このことばをあなたを支配する炎の舌とせよ。

「キリストのために」。このことばを天来の歓喜とし、あなたを地上より高める天来の霊感とし、あなたを主の奉仕において獅子のように大胆に、鷲のように敏速にする天与の霊とせよ。愛は奉仕する者の足に翼を与え、働く者の腕に力を与えるものである。神に対する揺るがぬ節操を保ち、不動の決意をもって神をあがめ、うむことのない熱情をもって前進し、こうしてイエスに対するひたすらな愛を表明しようではないか。どうか、神の天然の磁石が私たちを天に引き寄せてくださいますように。