困った時の神頼み、なんて言葉がある。
しかし、神様は困ったときだけではなく、あなたが神様のうち、昨日の分かち合い(1つ↓)でいうならノアの箱船に入ってくるのを待っている。
多くある選択肢の中から選ぶのではない、神様はあなたに昨日見たように綿密な計画を持って導かれる。嵐の中であろうと、雷鳴り響く中にあっても。
あなたは今日、誰に委ね、歩みますか?
神が造り主だとわかったとき、あなたは神をほめたたえるようになる。
神の叡智に気づいたとき、神から学ぶようになる。
神の力を知ったとき、神にゆだねるようになる。
けれども、あなたが神をあがめるようになるのは、神が救ってくださったときだ。それは、いわゆる「使用前・使用後」の効能書きのとおりだ。
救われる前は、あなたはいとも気楽に神と距離を置くことができた。神は確かに重要ではあったが、それはあなたの仕事も同じだった。あなたの地位、あなたの給与。
そして嵐がやって来た。激しい怒り。争い。船を係留していた網が切れ、あなたは拠りどころを失う。
霧のようにたちこめる絶望。あなたは方角を見失って途方にくれる。あなたの心の中にはどこにも出口がないことを、あなたは知っている。
救いを仕事に求める? 嵐から逃れ出されるのではなく、身を隠すだけならば―。
力を求めて社会的地位にすがる? 嵐は、あなたの肩書きに感心したりしない。
そのとき突然、あなたは選択肢がひとつ残されているのに気づく。神という選択肢だ。
まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしのことばを聞いて、わたしを遣わした方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきに会うことがなく、死からいのちに移っているのです。(ヨハネの福音書5章24節)
「In the Eye of the Storm」より
