「信仰によって、ノアは、まだ見ていない事がらについて神から警告を受けたとき、恐れかしこんで、その家族の救いのために箱舟を造り、その箱舟によって、世の罪を定め、信仰による義を相続する者となりました。」
ヘブル人への手紙11章7節
よく、大船に乗ったつもりでなどという例えがありますね。100年以上前のタイタニック号などはその象徴だったはずだった。しかし、備え付けられているものは中は良くとも実際にいのちをまもるすべは揃っていなかった。まあ、最後まで伝道する人、賛美を演奏する人など様々いましたが。結局はハリボテを貼った泥舟だった。しかし、神様が用意される船は大船、どころの騒ぎではない。救いへと至るいのちの船。あなたが沈まないために、救命胴衣でも何でも差し出されたイエス様。私達はこの神様に導かれ、歩ませていただこうではありませんか。
さて、新約聖書はしばらく信仰シリーズを見ていますが、今日はノア。何年か前に映画化されていましたが、もう、ラストあたりはめちゃくちゃ。あえてネタバレを避けるために言いませんが。ノアはそれまで船など存在しない、洪水などなかった時代、あり得ないことを神様から示された。でもそれは、神様にとっての救いの御手であり、決断の機会でもありました。
その時の様子は聖書の創世記に記されているので引用しますね。「主は、地上に人の悪が増大し、その心に計ることがみな、いつも悪いことだけに傾くのをご覧になった。それで主は、地上に人を造ったことを悔やみ、心を痛められた。そして主は仰せられた。『わたしが創造した人を地の面から消し去ろう。人をはじめ、家畜やはうもの、空の鳥に至るまで。わたしは、これらを造ったことを残念に思うからだ。』しかし、ノアは、主の心にかなっていた。…地は、神の前に堕落し、地は、暴虐で満ちていた。神が地をご覧になると、実に、それは、堕落していた。すべての肉なるものが、地上でその道を乱していたからである。
そこで、神はノアに仰せられた。『すべての肉なるものの終わりが、わたしの前に来ている。地は、彼らのゆえに、暴虐で満ちているからだ。それで今わたしは、彼らを地とともに滅ぼそうとしている。あなたは自分のために、ゴフェルの木の箱舟を造りなさい。箱舟に部屋を作り、内と外とを木のやにで塗りなさい。それを次のようにして造りなさい。箱舟の長さは三百キュビト。その幅は五十キュビト。その高さは三十キュビト。箱舟に天窓を作り、上部から一キュビト以内にそれを仕上げなさい。また、箱舟の戸口をその側面に設け、一階と二階と三階にそれを作りなさい。わたしは今、いのちの息あるすべての肉なるものを、天の下から滅ぼすために、地上の大水、大洪水を起こそうとしている。地上のすべてのものは死に絶えなければならない。しかし、わたしは、あなたと契約を結ぼう。あなたは、あなたの息子たち、あなたの妻、それにあなたの息子たちの妻といっしょに箱舟に入りなさい。
またすべての生き物、すべての肉なるものの中から、それぞれ二匹ずつ箱舟に連れて入り、あなたといっしょに生き残るようにしなさい。それらは、雄と雌でなければならない。また、各種類の鳥、各種類の動物、各種類の地をはうものすべてのうち、それぞれ二匹ずつが、生き残るために、あなたのところに来なければならない。あなたは、食べられるあらゆる食糧を取って、自分のところに集め、あなたとそれらの動物の食物としなさい。』
ノアは、すべて神が命じられたとおりにし、そのように行なった。主はノアに仰せられた。『あなたとあなたの全家族とは、箱舟に入りなさい。あなたがこの時代にあって、わたしの前に正しいのを、わたしが見たからである。あなたは、すべてのきよい動物の中から雄と雌、七つがいずつ、きよくない動物の中から雄と雌、一つがいずつ、また空の鳥の中からも雄と雌、七つがいずつを取りなさい。それはその種類が全地の面で生き残るためである。それは、あと七日たつと、わたしは、地の上に四十日四十夜、雨を降らせ、わたしが造ったすべての生き物を地の面から消し去るからである。』ノアは、すべて主が命じられたとおりにした。大洪水が起こり、大水が地の上にあったとき、ノアは六百歳であった。」
長い引用になりましたが、信仰というのは望んでいることがらを保証する=実態となって現れる、ということをこの信仰シリーズで最初に見ましたが、ありえない、神様がそんなことをするはずがない、しかも600歳、こどもたちに手伝ってもらう(3人の子供とそれぞれ妻がいた)にしても、限界がある。しかも見たこともつくったこともないものををどうやって作るんだ、と思うこともありえた。全種類の家畜2頭ずつ?ありえない、と思うでしょう?
子どもたちが生まれてから洪水まで100年。神様はいつ洪水を起こすかわからない、別に好きなように生きてもいいじゃないか、と彼の実態がある意味で試された。神様の命令に従って乗るも乗らないも自由。しかし彼は信じた。神様は完成してすぐに洪水を起こしたのではなく、最後の最後まで、他の民の悔い改めを待ちましたが最後まで神様の救いを信じなかった。神様は、完成を待たれたし、人の手では不可能な各つがいを神様が集めてくださったのです。神様は彼らを救うために、待たれた。そして救いの道を箱船を持って示されたのです。神様の救いの意思、神様が導かれる、それを信じたのでした、ノア一家は。
よく、ノアの「方舟」というと、曲線状に動物が溢れんばかりに乗っていかにも沈みそうな絵を見ますが、そうではなく浮いているだけでいい「箱船」だった。神様は適当な方舟ではなく、綿密な設計を示された。8人で作るには大変、でも神様は彼らのため、待たれたのです。
↑の「信仰による義」という言葉を難しく感じる人もいるかも知れませんが、神様は、荒波、思い煩い、夜の嵐から私達を匿い、守り、神様という箱船にあって私達を導いてくださるのです。神様が導いてくださる、その最高のみこころ、御国へと、導かれる。死んでからではない、もうその旅路は始まっている、前味を味わわせていただける、何よりこの世の旅時は神様が一緒に進んでくださるのです。荒波があろうと、沈まない船に。救いに。イエス様の命、十字架という最高の箱船にあなたを招かれた。沈みゆく私達を、いのちの内に招かれたのです。
神様など信じて何になる?ではなく、私達をまず神様は愛され、その御手を伸ばされた。命がけで、死・罪より、引き上げてくださったのです。イエス様がその波の中に入って引き上げてくださるのです。そして復活のイエス様があなたと一緒に世の終わりまで導かれる。
あなたは沈む泥舟に、まあいいか、と何も保証のない内を歩むか、それともイエス様が保護し養われ、導かれる救い・箱船に乗るか、どちらでしょう。ある意味選択は自由。しかし、神様は緻密な箱船をノアに示されたように、あなたを神様は真剣に考え、愛し、また導いてくださる。汚れた動物も含め、すべての生きとし生けるものが救いの船に乗るのを待っておられた。同じようにあなたがいのちの内に招かれるのを待っている。私達はこの神様に信頼し、最後までともに歩ませていただこうではありませんか。決して沈むことのない、イエス様とともに。
