悲しみを慰めるのは | とある働き人の聖書のお話

とある働き人の聖書のお話

東京で牧師をしておりました。
7年前子供が小学生に上がるまで離れていましたがぴったりの時に新しい働き(子ども関係)に招かれ、伝道させていただいています。

「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」

私たちには様々な苦難苦しみ、悲しみがある。

これを一体何が慰めるのか。

なにか忘れるために趣味に走る?

そうではなく、「何が」ではなく「誰が」なのです。

 

ものや何かの現象、行動は一時的でしかないし、あなたを保証しない。しかし、神様は御子イエス様の命を与える保度にあなたを愛された、この方があなたを心配してくださる。慰めて下さる、命へと導かれる。

 

弱さは恥ではない。神様に委ねることは恥ではない。

神様が御子イエス様の命をあなたに差し出してまでも心配し、慰め、その先へと導かれる。私たちはこの神様が心配して下さるその喜びに生きよう。これは慰めで終わらず、命へと続く。

 

チャールズ・ハッドン・スポルジョン氏はこう語る。

私たちの悲しみの慰めとなるものは、『神が心配してくださる』ということである。友よ。いつも心配そうな顔をしてあなたの信仰を辱しめてはならない。あなたの重荷を主にゆだねなさい。