苦難の意味 | とある働き人の聖書のお話

とある働き人の聖書のお話

東京で牧師をしておりました。
7年前子供が小学生に上がるまで離れていましたがぴったりの時に新しい働き(子ども関係)に招かれ、伝道させていただいています。

「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」

今日は、東日本大震災から10年という事で、少し苦難の意味を分かち合いたい。

なぜ苦難があるのか?

 

チャールズ・八ドン・スポルジョン氏はその著書でこう記す。

「主にある友よ。天国について深く考えよ。それはあなたの前進を助け、途中の苦難を忘れさせる。この涙の谷は、はるかによい国へ達するための小道にすぎないし、このわざわいの世界は、よりよい祝福の国への飛び石にすぎない」と。

 

天国は死んだら行くところ、でもそれはイエス様の命にあってあたえられたもの。

イエス様の命がかかってあなたをこれに導こうとされている。苦難の日はそれはだれでもある。でも、この天国はイエス様の命にあって導かれるもの。死んでから初めて味わうのではなく、その前味を私たちはいただく。苦難の中にあってイエス様も一緒に乗り越え、あなたに素晴らしい御心へ、栄光を見せて下さる。苦難は誰でもある、でもイエス様をその中で頼るか否か、それが大事なのではないか。

 

今日、あなたは一人ではない。

命を惜しまず与えられたイエス様が一緒におられることを忘れないで。