灯台の光を疑うと… | とある働き人の聖書のお話

とある働き人の聖書のお話

東京で牧師をしておりました。
7年前子供が小学生に上がるまで離れていましたがぴったりの時に新しい働き(子ども関係)に招かれ、伝道させていただいています。

「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」

私たちを導く灯台の光、これを疑ったら…むしろ照らしてくださっている方がいる…そんなことを考える↓の記事、どうぞ~ ^^) _旦~~

 

クイーンエリサベス号がある時大西洋を進んでいました。夜になって少々しけ模様となっていました。

するとかなり遠く人ありますが、明かりが見えてきました。

「船だ!」船長は直感しました。しばらく進むうちに、明かりはどんどん近づいてきました。急ぎ警笛を鳴らしました。

それでも向こうは航路を変えようとしない。

 

そこで無線を打ちました。

「何をぼけている。こちらはクイーンエリサベス号であるぞ。すぐ航路を変えよ。」

すると返信があった。

「何をふざけている。こちらは灯台さまだ。」

 

所感)こういうこと、たとえはともかくとしてえてしてないだろうか?暗闇の中の状況を航行していて、せっかく光が灯されたのに、自分のプライドでそれを無視する。大丈夫、大丈夫、まだ大丈夫、相手が動けばいい。でも、同時に神様は、あなたのために灯台の光を照らしてくださっている。あなたが道に迷わないよう。時には養われ、時には励まされ、あなたがこの暗闇の航海を無事に脱出できるように…あなたのために命さえ投げ出すほどの愛、神様の導きを疑ってはいけない。

 

俺様、を取り下げて神様にゆだねよう。相手が引き下がるのを待つのではなく、神様が導かれる方法に従ってみよう。相手が引くのではなく神様が御心を成してくださることを祈ろう。