「行って、わたしのしもべダビデに言え。主はこう仰せられる。あなたはわたしのために住む家を建ててはならない。…わたしはあなたに告げる。『主があなたのために一つの家を建てる。』あなたの日数が満ち、あなたがあなたの先祖たちのもとに行くようになるなら、わたしは、あなたの息子の中から、あなたの世継ぎの子を、あなたのあとに起こし、彼の王国を確立させる。彼はわたしのために一つの家を建て、わたしはその王座をとこしえまでも堅く立てる。わたしは彼にとって父となり、彼はわたしにとって子となる。わたしはわたしの恵みをあなたの先にいた者から取り去ったが、わたしの恵みをそのように、彼から取り去ることはない。わたしは、彼をわたしの家とわたしの王国の中に、とこしえまでも立たせる。彼の王座は、とこしえまでも堅く立つ。』」
Ⅰ歴代誌17章10-14節
私たちは自分の王国を、自分を王・神とする王国を自分の内に建てる。しかしそれはとこしえに立ち続ける事はない。むしろその罪に、サタンに支配されてしまう。しかし、イエス様はあなたの罪を取り除き、あなたの内にその御国を建て上げようとしてくださる。そのためにイエス様は来られた(本物の永遠の王国はもう一度イエス様が来られる時)。あのクリスマスに。イエス様ご自身があなたの内に住まい治めるため。あなたは誰の国が建て上げられることを望むだろうか?
さて、↑のことばは、イスラエル王国の2代目の王、ダビデが神様に願ったこと。ちなみに、人称代名詞が非常に多いので読みづらいと思いますが、「わたし」=神様、「あなた」=ダビデ、「彼」=イエス様と読むとわかりやすいです。サムエル記でも同じ内容のものが書かれていますが、そっちでは「彼」をソロモンと見ています。ただ、ソロモンの王国はとこしえにたったわけではありません。本当にとこしえの王国を立てるのはメシヤ、イエス様だけなのです。
と、ちょっと解説的になりましたが話を戻して。ダビデは自分は王宮に住んでいるのに、神様は幕屋(聖書にあまりなじみのない人にわかりやすく言うならテントと言ったらわかりやすいかな)に住まわれている、そんなことはあってはならない、神様のために神様の住まう宮殿を建てよう、そう計画しました。ところが、神様はあなたはそれを立てる事はできない、とダビデに伝えるのです。
他の箇所では、彼は血を流し過ぎた、という理由も伝えていますが、よくよく考えたら人の造った家に収まるような神様ではない。神様が考える王国は人の定める枠のレベルではないのです。国を良くする、レベルの話ではないのです。
しかもそこでは終わりませんよ?その主体者は誰ですか?神様です。凄い話ですよ?人間が一生懸命何か努力をしたから、特別一時的に住まおう、とかそんな話ではない。神様からまず提案された。私はあなたの内に王国をたてる、しかも一時的にではなくとこしえに、と。何とすごい話。
神様は、別に私たちの支配者になりたいから王国を立てたいのではない。奴隷のようにこき使う、良いように使う、何かどこかの国の政治家のような事をしたいのではない、神様の愛、御心、完全なる愛を現したいのです。
じゃあどこに神様はその王国を立てようとされているのか。最初の方にも書きましたが、完全な王国は、イエス様が再び来られる時に完成します。が、それだけではないのです。神様は、私たち一人の一人の内に聖なる宮を建て、住まい、神様ご自身の愛を、御心を現したい、すべ治めたいのです。
私たちの血で染まった家を、悩み、痛み、悲しみ、傷、病…何より、私たちの罪で汚れ、傷つき、サタンの手に奪われてしまったこの家を、あなたを取り戻すために。これらを洗い聖め、造り変えるために。私たちは自分が王となって、神となって一生懸命生きようとして私たちは神様から本来与えられていた家、あなた自身を傷つけてきてしまった。神様を自分勝手に追い出してまで生きてきたのに。
そのために、御子イエス様は私たちのところに降って来られた。約2000年ほど前に。私たちの住まいに住まわれ、ご自身の愛を現していった。私たちの傷や病も癒していった。でも、それだけではイエス様は終わらなかった。一時的な癒しや何やらの関係をイエス様は欲しなかった。私たちの内に支配する罪を、サタンを打ち砕くべく、私たちの罪の代価を十字架上で支払うことを決断された(まあもともと定められていたことではありますが、裏切る溺死たち、私たちを見捨てず、その決断を変える事はなかったという意味で)。
私たちが自分を神・王としているその罪、私たち自身が神様を神様としないうちは神様はあなたの内に家を、聖所を建てる事などできない。ダビデが血を流し過ぎた故に神様の宮を建てられなかったように、私たち自身の罪で、神様を神様としないその罪がある中に神様はその宮を建て、住まう事などできない。だから、私たちの罪を身代りに背負われ十字架に架かられ死なれた。私たちが支払わなければらない罪の刑罰・死をその身に負われてまであなたを取り戻すことを決断されたのです。そして自分の罪を悔い改め、その王座を神様に明け渡す時、復活のイエス様があなたの内に住まわれ、あなたを造り変え、神様の愛で、その御心で新しく造り変えて下さる。いや、とこしえまで、世の終わりまであなたと共におられ、導き、養われるのです。
クリスマスは一時の物ではない、年に一度のイベントでもない、年に一度神様が何かサンタのようにプレゼントをする日でもない、あなたの内に住まいとこしえにあなたを治めるために、あなたの神様となられ導かれるために来られたもの。あなたを神様の子として迎えるために降って来られたのです。主があなたの内に住まう時、あなたの家を、あなたを奪うものは、あなたを支配するものは何者も存在しない。
今日、私たちはイエス様を救い主としてお迎えしよう。そこからすべては始まる。あなたの王、神様としてお迎えしよう。神様がすべて洗い聖め作り変えて下さる。あなたの主としてあなたを養い導かれる。人を建て上げるのはその人の王。ではあなたの王・主人・神様は誰か?イエス様はあなたのためになら命さえ惜しまず与える方。この方に信頼し、王・神様として迎え歩もうではありませんか。