ー驚くべき援軍ー | とある働き人の聖書のお話

とある働き人の聖書のお話

東京で牧師をしておりました。
7年前子供が小学生に上がるまで離れていましたがぴったりの時に新しい働き(子ども関係)に招かれ、伝道させていただいています。

「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」

「さて、シヌアルの王アムラフェル、エラサルの王アルヨク、エラムの王ケドルラオメル、ゴイムの王ティデアルの時代に、これらの王たちは、ソドムの王ベラ、ゴモラの王ビルシャ、アデマの王シヌアブ、ツェボイムの王シェムエベル、ベラの王、すなわち、ツォアルの王と戦った。…そこで、ソドムの王、ゴモラの王、アデマの王、ツェボイムの王、ベラの王、すなわちツォアルの王が出て行き、シディムの谷で彼らと戦う備えをした。エラムの王ケドルラオメル、ゴイムの王ティデアル、シヌアルの王アムラフェル、エラサルの王アルヨク、この四人の王と、先の五人の王とである。シディムの谷には多くの瀝青の穴が散在していたので、ソドムの王とゴモラの王は逃げたとき、その穴に落ち込み、残りの者たちは山のほうに逃げた。そこで、彼らはソドムとゴモラの全財産と食糧全部を奪って行った。彼らはまた、アブラムのおいのロトとその財産をも奪い去った。ロトはソドムに住んでいた。ひとりの逃亡者が、ヘブル人アブラムのところに来て、そのことを告げた。アブラムはエモリ人マムレの樫の木のところに住んでいた。マムレはエシュコルとアネルの兄弟で、彼らはアブラムと盟約を結んでいた。アブラムは自分の親類の者がとりこになったことを聞き、彼の家で生まれたしもべども三百十八人を召集して、ダンまで追跡した。夜になって、彼と奴隷たちは、彼らに向かって展開し、彼らを打ち破り、ダマスコの北にあるホバまで彼らを追跡した。そして、彼はすべての財産を取り戻し、また親類の者ロトとその財産、それにまた、女たちや人々をも取り戻した。」

創世記141-16

 

神様は、あなたを取り戻すために戦われた。戦われる。私たちは孤独だ、と思うかもしれないが、神様は御子イエス様という最大の援軍を送ってくださっている、この事を忘れてはいけない。

 

さて、↑の出来事は紀元前のイスラエル地方での出来事。死海の南端の方で戦争が起こりました。↑にあれこれ地名が並んでいますが、当時のバビロンとかトルコとかその辺の王たちが、イスラエル方向、死海と呼ばれる方に侵攻してきて、その彼らと、ソドムとゴモラの王たちが戦争をした、という出来事です。その中には、信仰の父と呼ばれたアブラハムの甥っ子のロトもいたのでした。

 

神様の愛するアブラハム、その彼と袂を分かち、ソドムとゴモラの町へと移住して行った彼。しかし神様は彼を見捨ててはいなかったのでした。この戦争によって捕らえられてしまったロトを救出すべく、神様はアブラハムにこの現状を伝え、救出に向かわせるのでした。

 

ところで、聖書になじみのない人でももしかしたら気づくかもしれないのですが、ここにソドムとゴモラの王が登場します。結果として彼らをも助ける形となるわけですが、このソドムとゴモラは後に、あまりの罪のひどさに滅ぼされる街です。そんな街をも神様はなんと憐れまれていた。びっくりでしょう?ロト一人を救出するなら、別にそこまで大きな戦いにもならずにぱっと救出するすべもあったでしょう。

 

しかし、それだけでは終わらせなかった。神様は、彼らに対しても、あの裁きの瞬間の前から悔い改めの機会を示されていた、神様の愛を。ただ、残念ながら彼らはますます悪に走って行くわけですが。

 

それにしても思わされるのは、神様がそのご意思をもって援軍をアブラハムを通してロトたちのところに送られた、という事。神様は、どうも日本人のイメージですと何もしない神様のように思われがちなのですがそうではない、神様は援軍を送られるのです。あなたのために、あなたがいのちを損なうことがないように、暗闇の中にいて希望を失っている人を救い出すべく、何かをされる神様なのです。

 

この戦争の闘いの中心にいたソドムとゴモラの王たちは弱い者たちを助けるどころか、自分たちは山に開いた洞穴のようなところに隠れ、やり過ごそうとしていた。何もしない、できない。しかし神様は、王の王たる神様はあなたを見過ごす事などできないのです。彼らを見過ごすことができず、ご自身の愛をそこに示された。わたしはあなたがたのことを知っている、と。

 

この究極はまさにイエス様そのものではないでしょうか。神様は、私たちが神様から離れ、悲しみの中に、暗闇の中に、痛みの中に、戦いの中に、神様を知らず孤独に戦っている私たちに援軍を送られた。いや、もっと言うなら罪の中におり、連合軍ならぬサタンの手にとらわれている私たちを、勝手に神様から離れ、神様などいなくても生きて行ける、自分が王だ、神だとしている私たちを憐れまれ、やがて来る裁きの前に、神様は救いの道を用意された。

 

私たちが罪の報酬として受けるべき死を、御子イエス様が身代わりに負ってくださった。子の負うことのできない罪、死を、私たちの重荷を身代りに背負い、またサタンと戦い撃ち砕くべく、十字架に身代りに架かられ、死なれ、葬られ、またなお3日目に死人の内よりよみがえられた。これによって、サタンも罪も全部撃ち砕かれたのです。

 

私たちが自分の罪を認めイエス様の十字架の前に悔い改め、イエス様を救い主として受け入れるなら、私たちはこのイエス様にあって、この最悪の罪の奴隷、死の縄目から解き放たれるのです。そして私たちが罪ゆえに失ってしまっていた神様との関係が和解されるという最高の財産を取り戻してくださり、私たちはいのちを得る。多くの神様にある財産を受けるのです。最後は御国を相続するのです。

 

いやもっとすごいですよ?それだけではなく、戦って終わりではなく、あなたの内にイエス様が住まわれ、あなたの内に世の終わりまで住まわれ、あなたの内にその御心を現してくださる、導いてくださるのです。生きてあなたの内に働かれる。あなたは孤独ではない。神様があなたのために送られた援軍、最高の援軍たるイエス様は今も生きておられ、あなたの内に住まわれ、導かれる。私たちはこのうちに、本当のいのちを得るのです。

 

神様は、あなたを取り戻すために戦われた。戦われる。私たちは孤独だ、と思うかもしれないが、神様は御子イエス様という最大の援軍を送ってくださっている、この事を今日も覚え、主に信頼し歩もう。またアブラハムのごとく、私たちはまだイエス様を知らない友のために祈りの援軍、証の援軍となろう。こんな状況どうしようもないじゃないか、と思おうが、神様はあなたを通して何かをなされる。主の十字架の愛に、その力に勝るものはなし。今日、私たちはイエス様を王として迎え入れ、信頼し従い歩もう。