ー友ー | とある働き人の聖書のお話

とある働き人の聖書のお話

東京で牧師をしておりました。
7年前子供が小学生に上がるまで離れていましたがぴったりの時に新しい働き(子ども関係)に招かれ、伝道させていただいています。

「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」

「世には友らしい見せかけの友がある。しかし兄弟よりもたのもしい友もある。」 

箴言1824(口語訳)

 

友は本当に互いを助けあう。辛い時には励まし合い、祈り合う。でも、本当に優れた友というのはただひとり、神の御子イエスキリスト様を置いて他はない。

 

↑のことばはソロモン王が残したことばとされているものの一部。いや、これ、聖書を知らない人や教会に興味がない人でも、うんうん、とうなずくような内容のことばですね。まあ特に最近は人間関係が希薄になったり、ネットだけで繋がっているだけで実際はどうなのだろう?という関係だったり。

 

でも、↑にあるように、逆に私たちを励まし助けてくれることもありますよね。私も引越し族でしたから、新しい人間関係を築き上げて行くのが大変。しかし本当に辛い時に神様はいつも友を置いてくださった。どこにいっても。どんなつらい状況の中でも。家族を失った時も。必ず誰かともがいて私を励まし立ちあがらせてくれた。それは物理的な問題のこともあれば霊的な事もそうだった。

 

私は今、神様が友を置いてくださった、と書きましたが、実にその通り。聖書のある所では、「人が一人でいるのは良くない」、と語られた箇所があるんです。まあ天地創造の最初の頃の話なのですが。一人でいるアダムのためにエヴァという最高の助け手・奥さんを与えて下さったのでした。

 

そう、神様は私たちにふさわしい人をいつでも備えて下さるんです。アダムに対してはエヴァだったように、私たち一人一人に神様は友を、必要な人をいつも備えてくださっている。それは見せかけだけの友ではない。あなたを助け、励まし、また時に神様の方に目を向けさせ、希望を持たせてくれる友、誰かを神様は備えてくださっている。それは神様が私たちを愛するがゆえに、関心を持っているという何よりの証ではないだろうか。私たちの生涯に、いや私たち自身に神様が関心を払ってくださっている。その私たちに神様は必要な友、家族、何かを備えてくださっているのです。なんと感謝な事だろう。そうして神様は彼らを通して私たちの心や目を神様の方に向けさせてくださる。

 

ところで、↑の訳はとても分かりやすいからそれを選んだのですが、新改訳という訳では「滅びに至らせる友人たちもあれば、兄弟よりも親密な者もいる」と訳されています。実に恐ろしい話で、まあ確かに世の中を見回しても、私たちを悲しみの道、罪に引き込もうとする人たちもいる。これ現実を見ればわかるでしょう。

 

でも、もっと恐ろしいものがある。それはサタン。彼は自分の滅びを知っているから何とか私たちを神様から引き離し、滅びに至らせようと動き回っている。良き友とは違い、私たちを良い方向に向かわせるのではなく、神様なんて信じたって何になる?そんなの信じてなくても生きている人たちはいるじゃないか、と神様から引き離そうとしてくる。そしてアダムたちは神様よりも自分が神になろうとし、またそれより優れた何かを追い求めるようになってしまった。アダムとエヴァだけじゃない。私たちもそう。そうして私たちは神様から離れ、その罪ゆえに神様と断絶されてしまった。

 

しかし、神様は私たちが罪の中、悲しみの中一人でいるのは良くない、滅びに向かう事は良くない、我慢ならない、と私たちに最高の友を与えて下さった。それは神の御子イエスキリスト様です。彼は私たちを滅びの道に進ませるのではなく、むしろ私たちと親密になり、いのちを得させてくださった、くださるのです。私たちが支払うべき罪の代償、裁き・死を何の罪もないイエス様が身代わりに背負われ十字架で死なれる事によって、その代償を支払ってくださったのです。そこまでしてでもあなたを取り戻したかった。あなたをその滅び、神様から離れたいのちのかけらもない、光もない、そんな中から、墓から引っ張り出されたのです。御子イエス様の復活と共に。

 

私たちは忘れてはいけません。イエス様の愛は、↑にあるような見せかけの愛でも滅びに至らせる愛でもない。あなたのために命を投げ出してでも救い出された神様です。死にまで下られた。信じられますか?何の罪もないのにですよ?イエス様の愛は口先だけではなく行動に移される、見せかけだけのあいではない、いのちを得させる愛なのです。何より罪を赦して終わりではなく、見放すのではなく、あなたが御子イエス様を救い主として信じ受け入れるなら、あなたの内に今日からイエス様は住まわれ、世の終わりまで、あなたが死して後・ないし再びイエス様が来られるその日まで、その愛を、そこまでしてでも取り戻したかった神様の御心、ご意思を表してくださるのです。見せかけの友のような苦難の時にいないのではない、いつも24時間365日、あなたと共にいる。

 

ここ数日、神様との本音の関係、ためらわない関係、について書いてきましたが、その神様の愛は見せかけだけではなくいのちに至らせる。イエス様はあなたを友としたい、と宣言された。裏切るとわかっている弟子たちにさえ。あなたはこのイエス様の呼びかけにどう答えるだろうか。あなたの人生に、あなた自身に関心を持たれる神様は、あなたのために真の友、救い主イエス様をお与えになり、その友のために命を投げ出し、なおあなたの内に住まい続け、導かれると約束されている。あなたは今日、この主の呼びかけにどう答えるでしょうか?

 

「人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛は(イエス様以外)だれも持っていません。わたし(イエス様)があなたがたに命じることをあなたがたが行なうなら、あなたがたはわたし(イエス様)の友です。」

 

イエス様が求めることはただ私たちが悔い改め神様の御前に帰る事。今日、私たちは友と呼んでくださるイエス様の声に応え、イエス様を愛し、イエス様と共に歩もうではありませんか。私たちも見せかけだけの応答ではなく、友に心から信頼し歩みたいものです。