「あなたは彼らの国で相続地を持ってはならない。彼らのうちで何の割り当て地をも所有してはならない。イスラエル人の中にあって、わたしがあなたの割り当ての地であり、あなたの相続地である。」
民数記18章20節
神様は私たちにすべての物を備えていてくださっている。神様のうちに全てがある。あなたの人生は神様が保障されるからだ。
さて、↑の話しは、神様に仕えるレビ人についての話。エジプトから救い出されたイスラエルの民は、神様がかつて彼らの先祖たちに、ここに連れ帰ると言われた地を目指していました。そして神様はそれぞれの部族にご計画を持ち、この地は彼らに任せよう、とそれぞれの部族に相続地を分け与える事を伝えていました。
しかしどういうわけか、レビ人には目に見える相続地は与えない、と。まあ牧草地とか、それぞれの各部族の収入の1/10が与えられたり、と色々あるのですが。ただ、正直な話、肉の目で見るなら、どうしてそんな損をしなければいけないんだ?他の民は目に見える地が与えられるのに、と考えた人もいたかもしれない。これだけ一生懸命神様に仕えているのに、と。
これ、私たちもよく陥る話なんだと思います。これだけ一生懸命に生きているのにどうして神様は報いて下さらないんだ?目に見える形で、とか。他の人たちはうまく成功しているじゃないか、どうして私は?とか。私はこれだけのことをやっているんだから、神様はもっと私を祝福し、報いる「べきだ」、それは当然だ、と考える。
でも神様はこのレビ人に、神様ご自身が全ての必要を見たし、また神様ご自身が共にいて彼らを祝福する約束をされた。土地はなくとも神様ご自身が彼らの生涯を保証する、と。彼らには彼らへなりの御心がある。でも、あなたにはあなたへの御心があるんだ、と。人の目には何もないように見えるかもしれない、しかし神様ご自身が彼らの嗣業、彼らを保証される素晴らしさを彼らに訴えたのです。
私たちは目に見える良い物を求めるかもしれない。この世と同レベルのものを。しかし私たちはこの世と同レベルのものを求めてどうするのですか。神様は天地万物を造られた方ですよ?神様があなたにくださるものは、知恵は、愛は、この世の与えるものに遙かに勝る。
事実、このレビ人への約束を御子イエス様にあって私たちにも実現された。彼らレビ人は実は直前に神様に反乱を、反旗を翻した。まあ全部の人ではないのですが。一体そんなレビ人にどうして神様がそんな素晴らしい物を受ける資格などあるだろう?同じように、私たちだって神様にいつも反旗を翻し、裏切り、自分の思うように神様を操ろうとする。道具にしか見ない。そんな私たちに神様の愛を受ける資格などどこにあるだろう?
しかし、神様はそれでも私たちを見捨てられなかった。神様の嗣業、祝福を、神様の本来与えたかった霊的な資産、祝福を失ってしまった私たちを取り戻されるために、罪の奴隷の私たちを救うために、神の御子たるイエス様を人として生まれさせ、その間に住まわせ、ご自身の愛を直接的に注がれていった。具体的な必要も与えて下さった。でもそれだけではなく、私たちのいかんともしがたい罪の問題、刑罰を、罪もない御子イエス様が背負われ十字架に架かられ死なれる事で、私たちを罪の奴隷から救い出され、神様の子として引き上げて下さったのです。イエス様を「自分の罪のための」救い主として信じ受け入れる時。
そうして復活されたイエス様と共に私たちは新しくされ、神様が新しい神様がご自身の御心を、愛を、あなたの内に注がれ、なお住まわれ、あなたの内にご計画をなされる、新しいいのちを御子イエス様にあって与えて下さったのです。
アダムとエヴァも、古今東西人間は神様の与えて下さる物の価値を低く見る。神様は肝心なものを与えない、とエデンの園で神様がくださるものを満足せず、目に見える新しい、自分の目によさそうな、神様のようになれるそのものを取ろうとしたように。しかし神様は完全な最善のものを備えていてくださっていたのです。しかし彼らはその良い物を疑った。
神様は御子イエス様のいのちさえ、受けるに値しない罪人の私のために、私たちのために、あなたのために与えることができる方ですよ?そこまでして取り戻された神様の愛をどうして疑う必要があるだろう?そこまでして取り戻された今、新しくされた今、どうしてもっとこの神様の与えて下さるものに期待しないでいられるだろう?神様はあなたを御子イエス様にあって保障されている、神様ご自身があなたの内に御国を建て上げ、ご自身の御心を、愛を、注いでくださるんですよ?
もっと神様に期待しよう。もっともっと神様の御心を私の内に現してください、あなたの御心をなしてください、と祈ろうではありませんか。御子イエス様にあって神様ご自身が相続地となられた、神様があなたのすべてを今保証されている。たとえ困難な時があろうとも、神様がそこに住んでくださっている。あなたのために罪と闘うために御子イエス様のいのちさえ惜しまず与えて下さったこの神様に大いに今日も期待し歩もうではありませんか。