ー楽しみを与える神様ー | とある働き人の聖書のお話

とある働き人の聖書のお話

東京で牧師をしておりました。
7年前子供が小学生に上がるまで離れていましたがぴったりの時に新しい働き(子ども関係)に招かれ、伝道させていただいています。

「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」

「幸いなことよ。知恵を見いだす人、英知をいただく人は。それの儲けは銀の儲けにまさり、その収穫は黄金にまさるからだ。知恵は真珠よりも尊く、あなたの望むどんなものも、これとは比べられない。その右の手には長寿があり、その左の手には富と誉れがある。その道は楽しい道であり、その通り道はみな平安である。知恵は、これを堅く握る者にはいのちの木である。これをつかんでいる者は幸いである。主は知恵をもって地の基を定め、英知をもって天を堅く立てられた。深淵はその知識によって張り裂け、雲は露を注ぐ。」

箴言313-20

 

神様はあなたを楽しませ、また平安を与えたい。

どうも私たちは日本の宗教、檀家とかのイメージから、神様は束縛し支配する神様だと考える。もしくはあれするな、これするな、と何にも味のない者、喜びも減ったくれもない、と。でも、そうではない、神様はむしろ私たちを自由にし、楽しみを与え、平安を与えたいのです。そういう生き生きとした関係を神様はあなたと持ちたい。

 

びっくりですね。私も上のことばを読み直して、改めて神様の思いを知って嬉しくなりました。私たちは上に書いてある者を必死に捜し求める。神様以外に。いや、神様を疑い、神様は愛するというのに「私が求め、私が良いと思う物」を「私が思う時に与えてくれない」と考えてしまう。これ、アダムとエヴァに始まり、人間の本当に弱い性質だと思う。私もその筆頭格の一人かもしれない。なんか、父親にねだるけど、父親の言うことは聞かない子供のような感じですが(^^ゞ

 

でも、私たちは忘れてはいけないのは、神様は何も与えない神様ではないのです。私たちはごくごく当たり前に生きていますが、私たちにいのちをくださったのは神様。そうでしょ?どんなに人間が努力しても、魂だけは造りだせないでしょ。作れるならロボットは生き物になれる、でもできない。なぜか?魂は神様が与えてくださった者、そして私たちは生きられるのです。そして衣食住も、神様は備えてくださっている。日々当たり前のように食べ、服を着、また住む場所が与えられているけど、これらは神様が備えてくださっているんですよ?ない人もいるじゃないか、と思う方、神様は誰かを通してサポートしてません?

 

実に当たり前と思っている中でも神様は私たちに必要な全てを備えていてくださっているんです。まあ他にも上に書いてあるように、「地の基を定め、英知をもって天を堅く立てられ…深淵はその知識によって張り裂け、雲は露を注ぐ」ようにされる。

 

でも、神様はそうした物理的な物だけを私たちに与えるだけの方ではないのです。上にちょろっと、父親にねだるけど父親の言う事を聞かない息子、と書きましたが、父親は物を与えるだけで父親している、とは思わない。子どもの幸せを願い、こどもを教育、導くでしょう?

 

同じで神様は、私たちを愛し造られた神様は、あなたの幸せを願っているのです。でも、私たちは神様から離れてしまい、本来神様から頂けるはずの、神様の豊かな祝福を、恵みを、愛を、いやいのちを失ってしまい、神様との関係が断絶されてしまった。物理的な物は神様は与えてくださっているし、私たちに神様の方に帰っておいで、と訴えている、でも神様から受けられるはずの神様しか与えられない豊かな命はそこにはない。そして私たちは幸せどころではない、死という刑罰、いや永遠の裁きを受けなければならなくなっていたのです。

 

しかし、我が子の幸せを願う神様は、このままでは、とご自分の御子イエス様を私たちの罪の身代わりに十字架に架けて死なせる、という決断をされたのです。そして神様は御子イエス様のいのちという代価を支払ってあなたを取り戻してくださったのです。神様の子として。そしてあなたを天の御国へとあなたのうちに住まわれながら共に歩み導いてくださるのです。あなたのために御子のいのちさえ惜しまず与えるかたが、あなたと共に歩まれる。それ程に愛される方が。ここに真のいのち、平安、希望があるのです。これは、この世の友は決して与えることはできません。金銀財宝にも勝り価値があり、ここにいのちがあるのです。

 

確かに私たちはいろんなものを持つ事はできる、でも真のいのちを損じたら何の意味があるだろう。神様はあなたに御子イエス様のいのちという最もご自身の大切なものを差し出してでもあなたに愛を誓われ、あなたをこのいのちの道へと招かれている。これに歩め、信頼するように、と。

 

イエス様はこの箴言より後の時代にこうおっしゃりました。「神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすればそれに加えてそれらの者は一切与えられる」と。神様をあなたのうちにお迎えしよう。そして神様の御心が、これほどの愛があなたのうちに完全になされる事を期待し祈ろう。その時神様はあなたに、上の約束のように楽しみと平安、何よりいのちを与えてくださる。具体的に何か?それは私は神様ではないのでわかりませんが、神の御子イエス様のいのちをもって取り戻されたあなたに神様が計画を持っておられるのですから、ただただこの神様に期待しましょう。