「事の終わりは、その初めにまさり、忍耐は、うぬぼれにまさる。」
伝道者の書7章8節
神様は私たちを初めから終わりまで導かれる。あなたが生まれる前から神様はあなたを見ておられ、お母さんの胎の中にいるときもその目を決して離す事はなかった。そしてあなたを今日まで導いてきてくださっている。私たちが知らないだけで、神様はその背後で、私たちが神様を求めることを待っている。だから私たちはただ神様を待ち望めばいい。どんなに不安な中にあろうと、なんでこんな事に?と思う王な事があろうとも、神様を待ち望もう。そうすれば事の終わりは今に勝ってすばらしいものになるから。
一方で、このことばを残した張本人であるソロモン王はこの点において失敗してしまった。彼は若い頃は神様を求め、王として本当に素晴らしかった。知恵もあり、正しく収め、他国さえその栄華をほめたたえるほどだった。でも彼は神様よりも自分の地位や栄誉を求め初めた。自らの宮殿のために民を奴隷のように使い、税を重くし、民は離れて行った。奥さんと妾だけで1000人。そして彼らのご機嫌取りのために他国に尻尾を振り始め、奥さんの言うことを何でも聞いていたから、モラルも低下。彼の死の直前は病に伏せ、誰に助けを求めたらいいのかもわからない、神様の声さえ届かず残念な最期だったという。
そしてそんな彼を見ていた息子たちはじゃあ自分はもっとこうしよう、と税をさらに上げ、結果的に王国は分裂して行った。事の終わりはとんでもない方向に向かって行った…
そう、私たちは大事なことを忘れてはいけない。何もかも手に入れたとしても、真のいのちを損じたらなんになるだろうか。人が徐々に衰えていくように、世の価値観だって日々変わるように、事の終わりがその初めに勝るのは一時的にはあるでしょうけど、それもまた衰退していく。
でも、事の終わりを初めに勝らせてくださるのは神様なんです。その神様が、あなたを造り変えて下さる、古いものを日々新しくしてくださる。何より1日1日あなたの内側を強め養い、導いてくださる、くださろうとしてくださるのです。
ただ私たちはソロモン王のように、神様から離れた。自分の好きなように生きたい、神様がいなくても別に大丈夫じゃないか。神様は自分の思う者を与えないから、ほかの存在もしない神を求めて神様から離れてしまった。その私たちは養い主を見失ってしまった。私たちが向かって行く事の終わりは、死。ついには神様との永遠の断絶、裁き。
でも最初に申し上げたように、神様は私たちを、生まれる前からあなたの事を見ておられた、母のたいの中にいるときからあなたを守って形作られ、養うほどに愛する存在のあなたがそのようになっていく事を良しとはできない。だから、神様はご自分の御子イエス様を十字架に架けて、私たちが滅びに向かわないように、私たちが受けるべき罰を身代りに背負わせ、十字架で死なせ、なお3日目によみがえらせ、その失われた関係を取り戻してくださったのです。
そのイエス様の支払われたいのちの代価ゆえに、私たちは初めの罪あるもの、罪の奴隷から神様の子へと引き上げられた、最高の恵の中に入れられたのです。それは一時的なものではない、あなたが死して後、天の御国にてあなたを迎えるその保障もされている。何よりあなたをキリストの花嫁としてやがて迎えてくださるのです。これ以上ない最高のことの終わりではないですか。その花嫁とされる準備を今も主はされている。その花嫁たるあなたを放置されると思いますか?イエス様はその準備のため、一つの約束をされた。「世の終わりまで、いつまでもあなた方・あなたと共にいる」と。そして助け主なる聖霊様を私たちに与えてくださり、今日も助け導いてくださっているのです。あなたのために祈っていてくださっているのです。あなたはこの救いをいただいたでしょうか?
また、神などいらない、と思わず忍耐。神様が最善をあなたのうちに成してくださる事を信じ待ち望もう。あなたはイエス様のいのちの代価を持って買い戻された、神様の子。ならばその神様があなたのために今なされている最善に期待しよう。この罪の世とは比べ物にならない、これほどに愛されている神様が治める御国にあなたがやがて迎えられる、そのことに希望を抱き歩もうではありませんか。主は今日も共におられる。でもそれだけではなく死して後もなお。その神様があなたに最高の計画を持っておられるのだから、その神様にただただ期待し歩もう。