ー瞳のようにー | とある働き人の聖書のお話

とある働き人の聖書のお話

東京で牧師をしておりました。
7年前子供が小学生に上がるまで離れていましたがぴったりの時に新しい働き(子ども関係)に招かれ、伝道させていただいています。

「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」

「神よ。私はあなたを呼び求めました。あなたは私に答えてくださるからです。耳を傾けて、私の申し上げることを聞いてください。あなたの奇しい恵みをお示しください。立ち向かう者から身を避けて右の手に来る者を救う方。私を、ひとみのように見守り、御翼の陰に私をかくまってください。」

詩篇17篇6-8節

 

神様は私たちを見ておられる。別に監視をして支配しようとか、そういうわけではない。私たちを愛するからこそ、私たちが困ってないか、心配してくださる。

 

今日はこの箇所が本当に実感した。体調が一気に崩れ(38.2℃)、食欲なし(朝昼晩食べられず)。どうなってるんだ?という感じな時、ふと↑の箇所が私の頭をよぎった。こんな私を心配してくださる神様がいるんだって。妻が心配し、子どもが私を心配し、でもそれ以上に神様が私の事を機にかけ心配してくださっている。

 

↑の詩人は、神様を呼び求めます。それでいいんです。人は弱い。弱音を吐いちゃいけないなんてことはない。むしろ神様は私たちが神様を呼び求める事を何より待っておられる。神様は、私たちに奇しい恵みを示したい、救いたい、あなたの声に耳を傾けておられるのです。

 

いつのころからだろう、私たちが神様から離れるようになったのは。子が親の心配を煩わしく感じるようになって自分で自立しようと頑張る。神様なんていなくても自分でやっていける。神様は自分の事を分かっていない、と考え始める。しかし、親が子を思うように神様に状にあなたの事を心配し分かっておられる方はいないのです。

 

神様はご自分のその手で、あなたを造られた。あなたが母の胎の中にいるよりもはるか前から計画し、胎の中であなたを組み立てられた。神様は生まれたらはい終わり、ではなくあなたの行く末を見守ってくださっている。いや「見守って」いるだけではなく具体的に行動を起こされるのです。あなたに必要な衣食住を日々備え、健康を備え、友を備え…あなたが当たり前と思うものすべては神様から来るんです。子どもが親がくれるものを煩う時がありますが、そもそも当たり前のように生活しているけど、親が養い守ってくれているから生きていられる、楽しい生活が送れるわけではないですか。

 

そんなわがままな子である私たちを神様は見捨てなかった。それでも神様はその御目を、瞳をあなたに向けられ見守っておられる。

 

聖書の中に放蕩息子、という話が登場します。2人兄弟で裕福な父の元で暮らしていたのですが、ある日弟息子は、父の元にいても満足できない、と財産を、父が生きているにもかかわらず分けてほしい、と言って都会に出て行きました。そして都会で湯水のように財産を使って後、大飢饉があって彼は食うにも困る状態になったのでした。その時ふと我に返り、父の元にはすべてがある、雇人たちにも食べさせているではないか、と。父の元に帰り謝ろう、そう決断しました。

 

何と都合のいい話。彼は父の元に帰った時、雇人の一人になる覚悟をしていきましたが、父は、それどころか子として迎え入れたのです。いや、それどころか、まだ遠くに息子がいる時から父は彼を探しておられたのです。そして抱きしめ、最高のものに着替えさせた。神様の子として迎え入れた。父の目は、ずっと息子に向けられ、心配していたのです。自分の財産を食い散らかしたことよりも、彼が生きて無事に帰った事、それを何より喜んだのです。

 

神様は、私たちを見捨てる事はされない。まだ。私たちは↑の弟息子のように、神様のところに最高のものがあるのに、離れて行ってしまった。しかし彼が悔い改め告白するように、神様の内にこそすべてがあるのです。そして私たちが神様から離れ、失ってしまった恵み、いのちをもう一度あなたに与えるために、神様はもう一つの最大の財産である神の御子イエス様を私たちに遣わし捜しに来られた。そして、その財産を使い果たす、御子イエス様のいのちを私たちの罪の代価の身代わりとして十字架に架け、死なせ、葬られた。

 

しかし神様は罰して終わりではなく、あなたをもう一度ご自身の元に引き戻すべく、イエス様を復活させられ、私たちにもこの和解の恵みに与らせていただいたのです。

 

神様はご自分の御子イエス様のいのちさえ惜しむことなくあなたに与えられた。最大の財産であるはずの御子のいのちさえ。あなたは神様から離れ失われゆく事が我慢できなかった。それ程にあなたを神様は心配されている。勝手に滅びればいい、ではない。だったら御子イエス様のいのちなど私たちには差し出さなかっただろう。

 

神様は、あなたに神の子としての大いなる特権を、何より我が子のために最高のものをいつも備えて下さるのです。私たちはもっともっと神様に叫び求めよう、呼び求めよう。神様はあなたの祈りに応えて下さる。御子イエス様のいのちさえ惜しまず与える方が、あなたにそれほどまでに愛した、そのあなたに用意しておられる御心、計画、楽しみじゃないですか。今日、御子イエス様によって和解させていただいたこの恵みの中を喜び楽しみ歩もうではありませんか。

 

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