「あなたがたには、あすのことはわからないのです。あなたがたのいのちは、いったいどのようなものですか。あなたがたは、しばらくの間現われて、それから消えてしまう霧にすぎません。むしろ、あなたがたはこう言うべきです。『主のみこころなら、私たちは生きていて、このことを、または、あのことをしよう。』」
ヤコブの手紙4章14‐15節
明日のことなんか分かる人などいない。もちろん、明日の計画を立てたなら、その予定があることは知っているけど、その予定の中で何があるのかなんてわかったものじゃない。
でも一つだけ言えることがあります。それは、明日という日を神様が備えてくださるという事。いや、明日という日にも、今日まであなたに一日一日を備えてくださった神様が明日を備えるという事、そしてその日に、これまで神様がその日その日におられたように、明日という日にも神様はそこにおられるという事。
でも、神様はあなたの明日という日を変えたい。
あなたが思っている以上のものに神様は明日という日を変えたいのです。あなたが自分でこうしよう、ああしよう、と計画するのは結構。でも神様はあなたが思う以上の日にしたい。
神様はそのために御子イエス様をあなたに与えた。古いあなた、罪に捕らわれ、自分の思いに支配されたあなたに、神様のいのち、まことのいのちあるあなたに変えるため、御子イエス様があなたのそれらの古い自分、罪、悲しみ、束縛するものをすべて十字架に身代わりに背負い代わりに罰せられ、死なれた。そしてよみがえられることによって、古い、死して行くしかないあなたを造り変え、神様の子という新しいものにしてくださるのです。あなたがこの救いをいただくなら、あなたの明日は新しいものになる。いや信じるその時から。
神様はその御子イエス様の十字架にかけて、あなたに明日という日を保証しています。それは、これまでの古いあなたの日ではない、御子イエス様をあなたのために死に渡すことができる方が保証し、その神様が明日もあなたと共におられる。神様の子としての明日がある。何と感謝なことだろう。え?明日が来ない人だっているじゃないかって?大丈夫です。癒されるかもしれないし、もしそうだとしても、明日は彼らにはあります。死しても後、天の御国で神様がその方の明日を迎えてくださるから。信じていない人が死しても明日はありますが、それは…死…厳しい言い方ではありますが、でもそうならないためにイエス様がその救いの道を備えていてくださったんです。
明日のことは明日が心配するから大丈夫。いや明日を御子イエス様ゆえに保証してくださる方がいる。だから「主のみこころなら、私たちは生きていて、このことを、または、あのことをしよう」と、ただ明日を、いや今日という日を神様にただ期待し委ねよう。神様の御心を求め歩むところに神様はそのいのちを、祝福を注がれる。古い私が計画していたようなものではない、ただ神様に大いに期待しよう…神様は明日もあなたと共におられる。