ー平和を告げるものー | とある働き人の聖書のお話

とある働き人の聖書のお話

東京で牧師をしておりました。
7年前子供が小学生に上がるまで離れていましたがぴったりの時に新しい働き(子ども関係)に招かれ、伝道させていただいています。

「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」

「主(神様)はいつくしみ深く、苦難の日のとりでである。主に身を避ける者たちを主は知っておられる。…見よ。良い知らせを伝える者、平和を告げ知らせる者の足が山々の上にある。ユダよ。あなたの祭りを祝い、あなたの誓願を果たせ。よこしまな者は、もう二度と、あなたの間を通り過ぎない。彼らはみな、断ち滅ぼされた。」 

ナホム書17,15

 

神様は、いつくしみ深い、何より、神様に身を避けようとする一人一人のことを神様は覚えておられる。いや神様は一人一人のことをよくご存じであり、あなたの今を知っている…何と感謝なことだろう。でも、神様は私たちのことを「気にかけている」ままでは終わる神様ではない…平和を告げる者があなたの内に現れ、それを実現されるから。慰めを与え、ついにはそれをも打ち破られる…

 

当時、イスラエル王国のうち、北王国はアッシリヤ帝国に捕囚され散らされた。そのアッシリヤが今まさに南ユダに迫っている状況にありました。北イスラエルさえ敗北してしまった今、もはや絶望の極みにありました。

 

その中で神様がナホムを通して民に語ったのがまさに↑の言葉だったわけです。まあ正直じゃあ今のイスラエル、もとい南ユダ王国がましかと言われたら…??という状態です。それでも神様はあなたを覚えているから、だから私に身を避けなさい、必ず平和を告げ知らせる者があなたがたの前に現れるからただ待ち望むことを語ったのです。これにどれだけ慰められ、また励まされたことか。

 

そして事実、あり得ない方法をもって神様はアッシリヤ帝国を裁かれ、滅ぼされたのでした。これは聖書にもありますが、歴史上の事実でもありますし、アッシリヤ滅亡の不思議を見たら驚くことでしょう。確かに神様はユダの苦しみを悲しみ、彼らへの熱愛ゆえに見捨てることができず、彼らのために立ち上がり、これを打ち砕かれたのでした。

 

でも、神様の本質的な願いはそこには終わらない。ただ一時的な救いを得ることではない。本当の平和の使者が、平和を告げるものが必ずあなたがたの前に立つ、と約束されたのです。いやもう立っている。私たちの本当の悲しみ、絶望、罪という名のアッシリヤに苦しむ私たちを神様は悲しまれ、これを打ち砕くために、平和の訪れを告げるために御子イエス様を私たちに遣わされ、私たちが何かしたわけでもない、帰って神様からすぐに離れてしまうような私たちと知っていてなお、私たちの罪を身代わりに背負われ、死という罰を受け、復活されたことで、私たちを罪の奴隷、闇を打ち砕き、永遠のいのち・神様の子として迎え入れられたのです。そして新しい助け主、聖霊様を遣わし、今日もあなたを導かれる。

 

確かに神様は私たちの個々の問題に対してもこれに打ち勝たせてくださるでしょう。でも神様の本質的な願いは私たちが神様に立ち返り、神様とともに生きる事。その中に神様がご自身を現したいのです。

 

悲しむ者は幸い。その人は慰められる…罪の状態、神様から離れ、本当のいのちを失っているこの状況を悲しみ、神様にその身を避けるなら神様は必ずあなたを慰められる。平和の使者としてあなたと共に生き、導かれ、闘われ、最後はもう一度平和の使者として、全てを打ち砕き、サタンをも打ち砕かれる。あなたを神様の治める完全な御国に迎えられる…

 

もうあなたの前に十字架を通してその道は開かれた。

私たちはこの平和の使者なる主とともに、この方に望みを抱き、今日も歩もうではありませんか。あなたの罪、死をも打ち破り、新しいいのちの道へと導かれる主に期待して。