ー掘って掘って掘りまくって岩の上に土台をー | とある働き人の聖書のお話

とある働き人の聖書のお話

東京で牧師をしておりました。
7年前子供が小学生に上がるまで離れていましたがぴったりの時に新しい働き(子ども関係)に招かれ、伝道させていただいています。

「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」

「なぜ、わたしを『主よ、主よ。』と呼びながら、わたしの言うことを行なわないのですか。わたしのもとに来て、わたしのことばを聞き、それを行なう人たちがどんな人に似ているか、あなたがたに示しましょう。その人は、地面を深く掘り下げ、岩の上に土台を据えて、それから家を建てた人に似ています。洪水になり、川の水がその家に押し寄せたときも、しっかり建てられていたから、びくともしませんでした。聞いても実行しない人は、土台なしで地面に家を建てた人に似ています。川の水が押し寄せると、家は一ぺんに倒れてしまい、そのこわれ方はひどいものとなりました。」

ルカによる福音書64649

 

これは神の御子イエス様が今から2000年ほど前に語られた言葉の一つです。非常にわかりやすいたとえかな、と思いますが、頑丈な土台に家を建てるのか、土台無しで家を建てるのか。もう結果は火を見るよりも明らかですよね。

 

では私たちの人生の土台は何か?どうでしょう?この土台が何かによって私たちの人生は全く変わってきますよね。あなたの人生の土台は何ですか?

 

私たちは様々な価値観を持ち、様々な神を持ち合わせています。神というか、自分の心のよりどころとしているもの、と言った方がいいでしょうかね。しかし、私たちの周りには自分の人生を支え続けるに耐えられるほどの土台はありません。いや、クリスチャンであっても、この土台を間違えるとやはり揺らぎます。

 

イエス様は、ただイエス様のことばを実行することで人生が安定する、なんてことは一言も言っていないんです。「イエス様のことばを聞き、それを行う」と、この関係の中で養われること、それこそが私たちの人生という家を支える大事な土台だというのです。そのイエス様との日々の交わり・交流において、その愛を知り、慰められ、励まされ、時にチャレンジを受けながら支えられ、この方を信頼し、従う、応答しいていく中において、あなたの生涯、家は豊かなものとなっていくのです。

 

イエス様は私たちの失われたいのち・土台を建て直すために自信がいのちを投げ出し、私たちの罪、死にゆくいのちを新しいものに変え、神様の家族として私たちは迎え入れられました。あなたがもしイエス様をあなたの救い主として受け入れるなら、あなたもこの神様の家族に迎え入れられます。そうして建てられる家は崩れることなくやがて天の御国に私たちは迎え入れられるのです。死して終わる家ではなく、永遠に神様と共に住まう喜びのあなたに。

 

でもイエス様は、ただ救われたからハイ終わり、そういう、浅い関係ではない、ただ岩の上に立てるように、ともおっしゃらなかった。家を建てるために地面を、岩にまで到達するほどに、掘って掘って、さらに深く掘る、神様との関係を掘って掘って掘りまくる、深めていく、神様の御心を求め祈り、この瞬間自分の思う通りにならずに思い悩むのではなく、まさにこの時主をお迎えする、そうして建てられていくあなたの家、家、あなた自身は神様の豊かな恵みにあふれるのです。その家の中に、あなたの内に神様が豊かに働かれ、あなたを神様の命であふれさせ、何かを神様があなたを通してなされ、豊かな実を結ばせていくのです。

 

あなたは誰を土台としていますか?

あなたは掘って掘って掘りまくるほどに神様との豊かな関係を持っていますか?と言っている私も今悔い改めさせられましたが(;^_^A今日もう一度救われた喜びに思いをはせ、かつさらに豊かにイエス様を求めていこうではありませんか。掘って掘って掘りまくって。