ー苦しみが幸せ?ー | とある働き人の聖書のお話

とある働き人の聖書のお話

東京で牧師をしておりました。
7年前子供が小学生に上がるまで離れていましたがぴったりの時に新しい働き(子ども関係)に招かれ、伝道させていただいています。

「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」

「苦しみにあったことは、私にとって幸せでした。私はそれであなたのおきてを学びました。」 詩篇11971

 

これはもう、すごい話ですね。

苦しみにあったことが幸せ?

 

ある北京に住む一人の男性(もう何十年も前の話で今ご存命かは分かりませんが)が、こんな話をしていました。私はハンセン病にかかったことは幸せだった、と。当時この病にかかることは絶望以外の何物でもありませんでしたから、その話を聞いた人は驚いたそうです。そんな状況になれば、なぜだ神様!!と恨みたくなるでしょう。私でもそんなことを絶対に言える、なんてとてもじゃないけど宣言できません。

 

なぜ彼はそんなことを言ったのか?そのハンセン病にかかったことでキリスト教系の施設に入り、イエス様に出会えた。永遠のいのちを与えられた。これに勝る喜びはない、と彼は言っていたそうです。

 

私たちは忘れてはいけないのは、あなたにいのちを下さったのは神様です。人間はどんなに科学を発展させたとしても命だけは造る事はできません。できるならロボットにAIを与えるだけではなく、いのち、魂を造って生き物にするでしょ?でもできない。倫理的な問題以上に物理的に。それは神様しかできない話。

 

あなたのいのちは神様が下さったもの。ならどうしてあなたの人生に責任を持たないはずがありましょう。だから、神様はあなたのどん底に下るために、神様であられるのに全部なげうって人間となられ、神様を見失い、生きる道がわからない罪人、社会から見捨てられた人、不治の病に侵された人、自分こそ神だと思っていた人たちのところにも言って悔い改めに導かれた。強盗、今まさに死刑になろうとしている強盗のところにさえ生き声をかけ、救いに導かれた(ちなみに悔い改めた強盗も最初はイエス様を罵っていたんですよ?)。そのためにイエス様はご自身のいのちさえしに渡してまであなたを取り戻そうとされた。

 

あなたは神様のもの。「物」と書かなかったのはあなたは神様のロボットではないから。生きた人格を持った関係を取り戻すべく、死んだあなたを生きたもの、そしてのちには死して後も永遠のいのちを与えるためにあなたのどん底にまで来られた。神様はどん底に、こんな私など見捨てられた、誰も相手にしない、そんなところにまで下って来られ、あなたと出会ってくださる。そして語られる。

 

あなたは神様を神様として信じていますか?そこいらに置いてあるような、八百万の神や仏像などと一緒にせず、真の神様として、あなたの主、神様として招き入れようではありませんか。そしていつも主のみ声を求め従い歩みたいものです。主はあなたを見捨てない。何も誰もいないと思うところに主は間違いなくおられ、あなたに語られる。何を語るかなんて私にはこれ!という事はできない、だって私はあなたの事を知らないから。でも神様はあなたの事を知っているから、あなたのために語られ導かれるでしょう。期待しましょう!!いや何よりも、神様が私の救い主となってくださり、罪を赦し救い出されたことに感謝しようではありませんか。