ー忘れない神様ー | とある働き人の聖書のお話

とある働き人の聖書のお話

東京で牧師をしておりました。
7年前子供が小学生に上がるまで離れていましたがぴったりの時に新しい働き(子ども関係)に招かれ、伝道させていただいています。

「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」

「主は、ご自分の契約をとこしえに覚えておられる。お命じになったみことばは千代にも及ぶ。」 詩篇1058

 

神様の約束はとこしえに忘れない。契約不履行はしない。すごいですね。人間同士だと約束を絶対に、どんなに時がたっても守り続けるなんて難しいでしょう。今特に結婚が、あれだけ式の時に誓約しても言葉だけになっているところも多いですし(;^_^Aでも神様の中では千代たとうが忘れないっていうんです。といっても千代といっても要するに決して忘れない、ということなんですけどね。

 

それほどに、神様にとって私たちは、私は、あなたは大切な存在、愛する存在なんです。神様のうちには豊かな命がある、だからここにとどまり続けよう、そう訴えるわけですね。元々人は本来はエデンの園というそのようないのちあふれる場所に住まわせていただいていたわけです。

 

しかし残念ながら私たちはとにもかくにも神様から離れていく。歴史を追ってもそう。アダムとエヴァに始まり、どんなに神様が人間を愛し、助けようとも、水のない砂漠に水を与えようと、食べ物のない砂漠で毎日食べ物を与えようとも、すぐに神様を忘れていく。神様なんかいなくても自分だけで生きていけるし、と離れていく。私をいつでも「私の思うように」満足させない神様など神ではない、と離れていく。これ、人間。これ昔から変わらなかった。

 

神様からしたらもういい加減にしろ、とその契約を取りやめたくなる日は一体何日あっただろう。でも神様はそれでも人が神様のもとに帰ることを切実にいつも願い、待ち続けた。いつもその手でこの世界を維持させ、私たちに必要な、私たちが当たり前と思う食糧衣類住処、ありとあらゆる日ごとの必要を与え、具体的にその御手を伸ばし、導いてこられた。

 

でも人は神様のもとにいつまでも帰らない。

そこでついに神様はしびれを切らせて…うち滅ぼすのではなく、ご自分の御子イエス様を私たち人間のもとに人として送られ、住んでくださり、ご自身の愛をふんだんに、惜しみなく注がれた。あなたへの愛、契約を保護にできないから。普通なら反古にするところを、それでもあなたのためなら、と。

 

そして最後は最高の愛を与えられた。それは、私たちが神様から離れ断絶されてしまった神様との、上にあるようなとこしえに尽きる事のないいのちであふれる関係を、神様の子としての立場を回復させるために、私たちの身代わりとなって十字架に架かられ、身代わりに罰せられた。そしてよみがえらせていただいた事で、もし私たちも自分の罪を認め、イエス様がわたしの罪の身代わりとなって死んで下さった、そしてよみがえられた事を信じ受け入れるなら、私たちは断絶された神様との関係が修復されるのです。そしてあなたは神様の子とされるのです。

上のことばの究極がまさに十字架に示されたあなたへの愛。散々神様から離れるあなたなど知らない、と言わず、それでもあなたのためにもわたしは十字架に架かろう、と実行されたこの十字架こそがその約束に他ならないのではないだろうか。そのいのちにかけてあなたを買い戻された神様の愛を、いのちをあなたはもう頂いている。

 

私たちはこの神さまにいつまでも信頼しよう。

神様がご自分の御子イエス様のいのちにかけて取り戻された、その神様があなたの内に生きて働いている。今日という日も神様はあなたと共にいる。死して後天の御国に行く日まで、いやその先も。今日も神様のみことばをいただきながら、従い歩もう。その時神様の栄光が、ご愛が、御力があなたを通してさらに豊かに広がるから。その時、何が起こるのか、期待しよう…祈り主を待ち望もう。やがて地上の生涯が閉じるその時か、終わりの時が来る前に、私たちは主の前に帰り、この契約のいのちを頂こう…