「どうか、彼らの心がこのようであって、いつまでも、わたしを恐れ、わたしの命令を守るように。そうして、彼らも、その子孫も、永久に幸せになるように。・・・あなたがたは、あなたがたの神、主が命じられたとおりに守り行いなさい。右にも左にもそれてはならない。あなた方が生き、幸せになり、あなたが所有する地で長く生きるためである。」 申命記5章29,33節
神様の私たちへの思い、
それは私たちが永遠にしあわせであること。みなさん、これ知ってます?神様は私たちの幸せを願っているんですよ?
聖書って、キリスト教ってあれしちゃいけない、これしちゃいけないって束縛されるのがいやだ、と聖書が敬遠されたりする。でも、神様は私たちを束縛したいから聖書にご自分の思いを残させてきたわけではないんです。
むしろ先入観を抜いて聖書を見てみますと、十戒は拘束しているようで~しないだろう、と書かれていたり(第4,5戒は別)、貧しい人がいるなら保護しましょう、とか、手すりをつけて屋上から落ちないようにしましょう、とか財産の事とか、裁判を捻じ曲げないとか、病気から免れるためにとか、本来神様が私たちに持っておられる豊かな幸せ、人らしく生きられるようにどうしたらいいか、その事を詳細に書いているんですよ?神様は「私たち自身」「あなた自身」の幸せを願っている。でもその本質は、神様のところにこそ幸せがある、だから神様のもとに留まること、そこにあるわけです。
ただ、私たちはそれを信じられず、神様のご計画や思いと離れたところに立ってしまう。そういえば、私たちが幸せであるために神様がおっしゃった約束を破って離れていった事から私たちは罪の世界にとらわれていきましたね。
私たちはイエス様は救ってくださった、ありがとう。でも私はこれに困っているんだ、どうしてあなたは何もしてくれないのだろう?と問いたくなります。でも、神様はあなたの幸せを願っている。だから神様はイエス様をただ十字架にかけて身代わりに罰したというだけではない、罰して今回だけはまあ赦してやろう、とかそういうものではない、「あなた自身」を「買い戻された」んです。イエス様のいのちという代価を支払って神様の子として取り戻されたのです。もうあなたが神様から離れたところで命を失っていくことを我慢できない、だからご自身のもとに引き戻されたのです。
本来私たちが打ち砕かれなければならなかったところをイエス様のいのちを身代わりに十字架上で打ち砕かれた。そして神様は私たちを本来あるべき神様のいのちにあふれたものに変えてくださった。そこまでしてもあなたを愛される神様があなたに語られる。あなたの内に生きてくださる。あなたはこの神さまの願いをどう受け取るでしょう?
「キリストは、自由を得させるために、私たちを解放してくださいました。ですから、あなたがたは、しっかり立って、またと奴隷のくびきを負わせられないようにしなさい」(ガラテヤ人への手紙5章1節)。神様はあなたを束縛するのではなく、むしろ罪、死から自由にされ、神様のいのちのもとに取り戻された。私たちは主の前にへりくだり、この揺らぐことのない真の土台の上にしっかり今日も立とう。もう迷ってはいけない。主から離れず、主に信頼し今日も歩もう。