「ところで、その六か月目に、御使いガブリエルが、神から遣わされてガリラヤのナザレという町のひとりの処女のところに来た。この処女は、ダビデの家系のヨセフという人のいいなずけで、名をマリヤといった。御使いは、入って来ると、マリヤに言った。『おめでとう、恵まれた方。主があなたとともにおられます。あなたはどの女よりも祝福された方です。』しかし、マリヤはこのことばに、ひどくとまどって、これはいったい何のあいさつかと考え込んだ。すると御使いが言った。『こわがることはない。マリヤ。あなたは神から恵みを受けたのです。ご覧なさい。あなたはみごもって、男の子を産みます。名をイエスとつけなさい。その子はすぐれた者となり、いと高き方の子と呼ばれます。また、神である主は彼にその父ダビデの王位をお与えになります。彼はとこしえにヤコブの家を治め、その国は終わることがありません。』そこで、マリヤは御使いに言った。『どうしてそのようなことになりえましょう。私はまだ男の人を知りませんのに。』御使いは答えて言った。『聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。それゆえ、生まれる者は、聖なる者、神の子と呼ばれます。ご覧なさい。あなたの親類のエリサベツも、あの年になって男の子を宿しています。不妊の女といわれていた人なのに、今はもう六か月です。神にとって不可能なことは一つもありません。』マリヤは言った。『ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。』こうして御使いは彼女から去って行った。」
ルカによる福音書1章26-38節
クリスマスが近づいてきましたね。クリスマスはある一部の人だけに幸せになってほしいとか、不思議な出来事が起こった、というものではなく、あなたに幸せになってほしい、と願われた神様が成されたことなんです。今日はという事で、そのクリスマス、その少し前に起こった一つの出来事を見ていきたいと思います。
ということで↑は今から約2000年程の前、神の御子イエス様が人となって生まれる少し前の出来事です。この時期からおおよそ皆さん想像がつくと思いますが、ローマ帝国が当時覇権を握っていて、イスラエルもその影響を受け、苦しみの中にありました。せめてイスラエルの王がまともなら、一昔前に治めていたダビデ王のような人なら…と当時の民も思ったでしょうが、残念ながら残虐な、自分の地位にしがみつき、それを脅かすものを徹底的に排除する、それこそクリスマスの中で起こった出来事で、自分の代わりに王になる救い主が生まれた、と聞いたら、2位歳以下の赤子を全員虐殺するなんてことをするくらい、そんなとんでもないもの、ヘロデがイスラエルの王だった。まあローマの傀儡でしかないのですが。そんな希望は、神はどこにいるんだ、と多くの民が思っていた中で↑の出来事が起こったのです。そう、救い主イエス様の誕生の知らせを御使いがマリヤに届けに来ました。
ちなみにマリヤですが、彼女は当時15歳くらいです。当時女性は人数にも数えてもらえないほど小さな扱いを受けていました。今の時代なら考えられない、そんなことをされたら大変なことが起こりそうですが。彼女はダビデ王の家系のものでした。が、だからと言って王族らしい生活ができるのかと言ったらそうでもなく、バビロン捕囚によって王権は失われてしまいましたし、ローマが国を支配していて、その傀儡としてヘロデが暗躍している。それでも彼女は神様を求めていました、希望を抱いていました。
そんな彼女のもとに一つの驚くべき出来事が起こりました。御使いが突然現れ、「おめでとう、恵まれた方。主があなたとともにおられます。あなたはどの女よりも祝福された方です」と、彼女に告げます。さすがにこれにとまどうマリヤに御使いはさらに、「こわがることはない。マリヤ。あなたは神から恵みを受けたのです。ご覧なさい。あなたはみごもって、男の子を産みます。名をイエスとつけなさい。その子はすぐれた者となり、いと高き方の子と呼ばれます。また、神である主は彼にその父ダビデの王位をお与えになります。彼はとこしえにヤコブの家を治め、その国は終わることがありません」と告げました。御使いが現れただけでも驚きなのに、なんと救い主をみごもっている、と。
彼女は↑を見てわかる通り、まだ男性を知らない処女です。ありえない。しかも彼女には婚約者がいますし、婚前に妊娠したとなれば石打によって殺されてしまいます。この段階でマリヤがここまで考えたかわかりませんが、実は彼女の身におこることは現実的には大変なことが起こりかねない。
でも神様からのことばを預かり告げたみちかいのことばは、「おめでとう、恵まれた方」。神様はマリヤに恵みを届けに来られたのです。色んな大変なことはあるけど、その全ての中に神様の恵みをもたらすんだ、と約束されたのです。彼女からしたら何があるか分からない大変さ、前代未聞の話。しかしそんな前代未聞な中にも神様が彼女に恵みをもたらす、祝福するんだ、そう約束されたわけです。救い主イエス様の誕生もそう、でも彼女自身がイエス様の御側にいられる、ある意味でも最も身近でともにいてくださる、神様の約束が、神様の思いがいつも共にある、そんな恵みに神様は御使いを通して招かれたのです。イエス様がまことの王となられ、すべ治めてくださる、そのイエス様の治める国はとこしえに終わることはない、その中にマリヤがいの一番である意味では選ばれた。
もちろん赤ちゃんイエス様をその身に宿すなんてことはもう、それ以前もそれ以降もないこと。でもそれ以上にこの神様の恵まれた方にしたいという思いを受け取って初めてすべては始まるわけです。もし彼女がここで断っていたら…それは書いていないのでわかりませんが、別な女性を選ばれたか。いずれにしても救い主誕生は変らなかったでしょう。でも、もしマリヤが拒否していれば、彼女の内に神様がもたらそうとしていたある意味でクリスマスプレゼント、神様のお恵み、恵まれた方にしたいというその思い、愛、祝福を受け取ることはできなかったし、それは始まらなかった。
マリヤは神様にとって不可能なことはないんだよ、と、またかの彼女の親類のエリサベツも不妊の女性、しかも高齢、それでも主によって子供を宿している、神様に不可能なことはないんだ、と御使いから告げられ、「ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように」と答えました。神様の御心の現れ方は人それぞれ、それぞれに神様の計画がありますし、私たちはこの話を聞いたからマリヤのように救い主を宿せるようなものになるわけではありません。が、私たちがあのクリスマスに生まれてこられたイエス様を受入れる時、そこから神様のあなたへの恵まれた方にしたいというその御心、ご計画が現れ、広がっていく。マリヤにはマリヤの、エリサベツにはエリサベツの、それぞれに神様の御心、恵みが現されたように、あなたも恵まれた方にしようと、神様はイエス様を人として生まれさせてくださったのです、かのクリスマスに。
あなたのいかんともしがたい状況さえ、神様の恵みに変えられる。不可能だ、いったいどうしたらいいんだ、と思うものさえ神様の御心によって、神様の恵みに変えられる。いや、溢れるのです。人の思う限界や計画をはるかに超えた神様の驚くべき恵みをあなたにもたらそうと、神様は御子イエス様を神でありながらそのありようを捨てられないとは考えず、もっとも小さなものとして、小さな家に、目にも留めてもらえないような人の所に降ってこられた。あなたにもこれをもたらしたい、と。あなたの思い煩いや痛み、罪の支配から解き放ち、神様の恵みで回復させようと、御子イエス様を遣わし、愛を現し、最後はそのいのちを惜しまず与えてでも救いをもたらし、あなたを本当に恵まれたものとしようとされたのです。
あなたはこの神様の心を割かれ、すべてを投げだしてでもあなたを恵まれたものにしたい、祝福されたものにしたい、という思いをどう受け止めるでしょうか。かのクリスマスを昔の出来事、わたしとは無関係、と終わらせていませんか?このイエス様の恵まれた方にしたいという神様の計画は、思いは今日もあなたに注がれている。イエス様は生まれて来て死んで終わりではなく、復活され、今も生きておられ、その恵みをあなたにもたらそうと今日もその御手を、御思いを現されている、あなたに御使いどころかご自身が近づいてあなたをまねてくださっている。こんなありえない不思議な出来事を超えた、イエス様のいのちとともに与えられる大きな喜びをもたらそうと。あなたはこのイエス様ご自身を受け取っていますか?恵まれたものとなっていますか?
