安心、安定、安全ということ |      生きる稽古 死ぬ稽古

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ー毎日が おけいこ日和ー
        

安心、安定、安全の中で、

特に安心安全ということについて、

ずっと考え続けてております。

今月のはじめに、強み発掘の記事で


ということを書きました。

これは強み発掘の視点からですが、

健康本のイラストを描かせてもらっている

イラストレーターとしても、

いや、そんなことより一人の人間として、

安心安全について考えさせられることが続きました。

安心、安全、安定。

この中で、安心安全がまず土台です。

それがあってこその安定です。

ビジネスの世界で、

「安定の上にあぐらをかくな」

という言い方がありますが、

これって、安定しているということが前提です。

安定しているためには、安心安全の土台があることがベース。

で、この安心安全って、

日本では比較的手に入れやすいようですけれど、

〈あったりまえ〉に手に入れている人って、

実は少ないんじゃないかって思ったんです。

心も感覚も、血液も骨も横隔膜も神経系も、ぜーんぶが安心安全だと思ってる人、いや、そう思える時間が多い人って少ないと思うのです。

じゃあその安心安全じゃないひとが、それらを得られるためには、どうしたらいいのかな?

ってことも考えています。

その中でひとつ、

あっそうか!

って思ったのは、

安心安全っていうのは、仏様みたいな心の状態の中にあるのではなくて、

別に頑固でもいいじゃん

ケチって言われたっていいじゃん

怒りが爆発したっていいじゃん

という、なんていうか、

〈なんでもあり〉だったり、

〈ダメを許容できちゃった〉であり、

〈いや、そもそもダメかダメじゃないかっていう判断もしなくていいんじゃない?〉

というところにあるんじゃないかって思ったの。

それって無法地帯にならない?

本当に安心安全?

ということについては、もう少し考えることにします。