2023年12月10日放送「倉俣史朗 デザインの魔法」の続き
60,000文字以内じゃないと記事が掲載できなかったようで、そんなに書いてたとは思わず…改めてレビューの続きです。放送内容の中で交友関係のくだりがあったのですが、親交の深かった方々のコメントの中にやたら名言が多かったのが気になって。「機能的でないものの向こうに夢があればいい」「『We』で考えるな、『I』で考えろ」「人にとって栄養のあるものを届けられたらいい」「作品が残らずとも概念さえ残ればいい」これらの倉俣氏の台詞は相手に向かって話しているようで、どこか自身に言い聞かせているような感じがしたんですよね。倉俣氏は自分のデザインを「幕間劇」と称しており、流行りに左右されることから作っては消えて刹那的であると認識しながら400以上もの商業空間のデザインを手掛けてきているんです。それもバブル期に、ですよ。そりゃ、いくら自分の思いを込めてデザインしてるって言ったって、形が無くなったときに本当に思いは残ってるのか、なんてわかんないじゃないですか。それを確認するすべなく、どんどん消費されていく自分のデザインを横目で見ながら新しいデザインを考えるって…それこそ精神病みますよ。賞賛されてもどこか虚しさを抱えながら自分を鼓舞して必死に疑心暗鬼や不安と戦っていたんじゃないでしょうか。倉俣氏の交友関係は安藤忠雄氏を始めとする建築関係はもちろん三宅一生氏などのファッションデザイナー、横尾忠則氏や伊坂芳太良氏などの画家とかなり幅広いのですが、その中でも私は画家グループに意外性を感じました。というのも、横尾氏や伊坂氏が描く作品は耽美というか、退廃的で緻密に描き込んだイメージがあり、倉俣氏が生み出す作品の見た目とはかなり違っていたので。でも、これらの作品から受ける「概念」が倉俣氏の作品のテーマであった「夢うつつ感」とマッチし、刺激を受けていたのかもしれません。倉俣氏は、「夢」のふわふわした印象をシンプルな形のデザインは残したまま、「透明」の質感を使って表現しました。(この兆しは「ハウ・ハイ・ザ・ムーン」からあった気がします。)横尾氏や伊坂氏の絵に見られるように、夢のような不思議な世界観の表現では曲線が多様されているイメージがありますが、これが二次元と三次元の違いなんですかね。