気ままな日常を綴っています。 -4ページ目

気ままな日常を綴っています。

いつか静かに消える時まで。。
一人静かに思いのままに生きたい。。

(物語)

死体や不具にされた人々が累々と横たわる戦場を巡視し、これらの人々を眺めながら、彼がフランス兵1名にロシア兵何名が該当するかを数え、自分を欺きながら、フランス兵1人にロシア兵5名が該当した事に喜びの理由を見出したのは、この日に限った事ではありませんでした。

5万の死骸が累々と横たわっていたから、『戦場は荘厳であった』と、彼がパリへ書き送ったのは、この日だけのことでは有りませんでした。

 

セント・ヘレナ島においても、余暇を自分が樹立した偉業の叙述に捧げるつもりだ、とうそぶき、孤独の中で彼は次のように書いているのです。

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『ロシア戦争は、近代における最も有名な戦争となるべきはずであった。なぜなら、それは、堅実な良識と真の利益の為の戦争で有り、万人の平和と安全の為の戦争であったからだ、それは純粋に平和愛の保守的な戦争であった。

 

それは偉大な目的の為で有り、偶然の異変に終止符を打ち、平和を生み出す為出会った。

新しい展望が開かれ、万人の安寧と幸福に満たされた新しい営みが開始されたはずで有り、ヨーロッパの体制はその基礎が固められ、その制度の制定を残すばかりとなっていたはずである。

 

この偉大な諸問題が余にとって解決され、どこにも不安が無かったら、余も自分の会議と自分の神聖同盟を持ったはずである。

あれは余の考察の剽窃(ひょうせつ)である。

偉大な皇帝達のこの会議において、余らは各自の利害を家庭的に審議し、書記と主人のように、円満に諸民族との振合いを考えたはずである。(※ウイーン会議のことかい❓)

かくして早晩、ヨーロッパは実際に同一の民族の構成する所となり、万人が、どこへ旅行しようと、常に共通の祖国に居る事になったであろう。

全ての河川が万人の為の水路となり、海が共有となり、大規模な常備軍が諸皇帝の親衛隊だけに縮小される等々の案は、余の言明していた所である。

 

偉大な、強力な、栄光の祖国フランスへ帰還するや、余はフランスの国境の宣言し、今後一切の戦争は防衛戦争で有り、一切の新たな領土拡張はーー反民族的であると宣言するはずであった。

余は、王子と帝国の統治に参加せしめるつもりであったし、余の独裁政治は終わり、彼の立憲政治が始まるはずであった。

パリは世界の首都となり、フランス人は全民族の羨望の的となっていたであろうに❗️。。

 

さらに余の余暇と余生は、皇后と共に、王子の皇帝修行の間、真の農村の夫婦のように自ら馬を御して、順次に国の隅々を訪ね歩き、苦痛を聞き、不正を排し、国の至る所に知識を広め、美徳を施す事に捧げられるはずであった。。。』

 ーーー

諸民族の死刑執行人という、自由の無い、悲しい役割を神によって定められた彼は、自分の行為の目的は諸民族の幸福で有り、自分は数100万人の人々の運命を指導し、権力という手段によって善徳を行う事が出来るのだ、と自分に言い聞かせていたのです(❗️)。

彼はロシア戦争について、さらに次のように書いています。

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『ヴィスラ河を渡った40万人のうち、半数はオーストリア人、プロイセン人、サクソニア人、ポーランド人、バワリア人、ヴィルテンベルヒ人、メクレンブルク人、スペイン人、イタリア人、ナポリ人などであった。

皇帝の軍は、実を言えば、3分の1がオランダ人、ベルギー人、ライン河両岸の住人、ピエモント人、スイス人、ジュネーヴ人、トスカナ人、ローマ人、第32師団、ブレーメン、ハンブルグなどの住民達で、フランス語を解すのは14万人に満たなかった。

 

ロシア遠征で、実際にフランスが消耗した兵力はせいぜい5万人である。ロシア軍はヴィルナからモスクワへの退却の間の諸戦闘で、フランス軍の4倍の兵力を失っている。

モスクワの大火は、森の中で寒さと飢えで死んだ者を含めて、10万人のロシア人を殺している。

最後にモスクワからオーデル河までの移動の間に、ロシア軍も苛烈な気候の被害を被り、ヴィルナに到着した時はわずか5万に細り、カリーシでは1万8000以下という惨めな状態だったのである。』

 ーーー

彼は自分の意思でロシアとの戦争が行われたと思い込んでおり、事件の凄惨さに心がひるまなかったのです。

彼は大胆にも、この戦争の責任を一身に引き受けていたし、その曇った理性は、数10万人の死者達の中にゲッセン人やバワリア人よりフランス人が少なかったという事に、弁明を見出していたのでした。。

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(解説)

ナポレオン、セント・ヘレナ島へ流されるまでの経緯。

 

ナポレオンのロシア遠征は大失敗に終わりました。この失敗を機にナポレオンの力は弱まり、各国がナポレオン打倒に動き出すことになるのです。

1813年、ナポレオンとヨーロッパ諸国との間で ライプツィヒの戦い がおこりました。別名 諸国民戦争 とも呼ばれます。この戦いで、ナポレオンは プロイセン・ロシア・オーストリアの連合軍に敗北します 

1813年10月16日にライプチヒの戦いに敗れたナポレオンを追って、ロシア軍・プロイセン軍はパリを目指し、1814年3月末、ついにパリは陥落します。

パリではすでに変わり身の早い政治家たちが動き、ナポレオン退位、ブルボン家の王位復活に向けて策動が進んでいました。

1814年4月2日、元老院は皇帝ナポレオンの退位を宣言し、6日にはルイ18世の即位を決定、王政復古となった。ナポレオンは、4月4日に条件として地中海のエルバ島の所有(支配権)と歳費の支給を同盟国側から出させることを認められて、自ら退位に同意して流刑地エルバ島へ流されました。

 

ナポレオン後のヨーロッパ国際秩序の再建のために始まったウイーン会議は一向に進展せず、フランス国内ではルイ18世の王政復古で戻ってきた亡命貴族が幅をきかし、ブルジョワの中には革命の成果が帳消しにされてしまうのではないか、農民の中には革命前の身分制度が復活するのではないかという不安が広がり、またナポレオンのもとで戦った兵士は解雇されて生活に困り、ナポレオン復活を待望する気運が強まって行きました。

 1815年2月26日、ナポレオンは千名足らずの兵をつれてエルバ島のポルト-フェラヨを出発、そこからわずか20日間でパリに駆けつけ、道々、農民や労働者が「皇帝万歳」と歓呼して迎えました。(ナポレオンの復位)

 

しかし、ナポレオン軍はワーテルローの戦いでイギリス・オランダ・プロイセンの連合軍に敗れ、1814年7月3日、パリは開城、ナポレオンは再び敗れ去った。ナポレオンはアメリカに亡命するつもりであったがイギリス軍に捕らえられ、南半球の大西洋にある孤島セントヘレナ島に流されることとなりナポレオンは結局、この島で生涯を終えることになりました。

(1821年5月5日、ガンのため死去)

 

ナポレオンは対外遠征を繰り返し、各地を支配しました。そして支配を受けた人たちはフランスへの反発を強め、反対に自分たちの 民族性 を強く意識するようになりました。

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(雑感)

ま。セント・ヘレナ島でのナポレオンの書簡ですが、全く反省が見られませんね。

彼は数10万人以上もの人を犠牲にしながらも、なお、自分の正当性と優秀性を世に訴えようとしていたのですね。

ウイーン会議の内容についても『自分が言っていた事の模倣』とか言ってますし、(実際はナポレオンから逃げて別の愛人を作った)皇后と王子への未練もタラタラです。

さらに、驚くべき事は、フランス軍で犠牲になった兵士達の中にフランス人よりも他国人の方が多かったんだから、フランス人の犠牲はそんなに無いでしょう❓みたいなこじつけにしか見えない論理です。

さらに、自分のやった征服戦争が、『自分を中心としてまとまる諸民族の幸福の為』というわけ分からない事まで記載しています。

ナポレオンって、こんな男だったのだなあ〜と感慨深く読みました(笑)

 

お早うございます♪  今朝は、令和8年3月20日の日記です♪

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こんばんはー♪  現在18時6分です♪

室温17.2度。湿度34%です。

 

昨夜は全く寝れていなかったと思います。

今日の御墓参りも気にはなっていましたが(むしろ気候の良い朝の散歩を楽しみにしていた✨)、さきものまた暴落かい❓の方が気になってたかな。。

時々動画の『サモエドりんたろう』とか『この世に生きづらい人系』の動画を見て遊んでいました♪

それからパーレビ国王の動画も見てたかな。。今、ちょっと話題になっていますしね。

りんたろうはお風呂のシーンですごく大変そうでしたが、犬はめちゃくちゃ気持ち良さそうでした💞

で、この時間(⬇︎)にさきものが急速に戻していたので『ナンジャラホイ❓』とガバッと起き上がりました(^。^)

 

しかし、起きて顔を洗ったら、すっかり忘れてしまって、朝食のマーマレード付き食パンとコーヒーを飲みながら英字新聞をがっついていました。

平尾霊園は9時からなので8時半には自宅を脱出します♪

1日分くらいは消化しておきたかったのでね。

 

6時半頃の福岡市の東の空。

だいぶん、陽が昇るのが早くなって来ています。

今日は快晴ですね✨

 

8時半自宅脱出❣️

浄水通りの花飾りです。ベコニアがメインです。

ちょっと逆光ですけれど💦

 

浄水通りから1本奥に入った道を歩いていると、ここは「平丘町」という超高級住宅街で、浄水通りよりもうんと豪邸が立ち並んでいます。

ちょっと個人のお宅なのでお写真はどうかな。。と思いましたが、表札も出ていないので、失礼して撮影させていただきました。

こんな豪邸がず〜〜〜と続いています✨

 

いつもの平尾山荘です。

茅葺き屋根は綺麗に吹き替えられています。

なんか機械的に見えるのは気のせい❓

 

しだれ桜❓がチラホラ咲いています。

 

ソメイヨシノもまだ固い蕾ですが、先っぽがほんのりピンク色で可愛いです✨

 

9時15分頃平尾霊園に到着。

霊園の中にもソメイヨシノの木がたくさんありますが、まだまだでしたね。当然ですけれど。

 

合同墓地の献花台にお花をお供えして、お線香を焚いてお参りをしました。

 

帰宅は10時15分頃かな。。平尾霊園は思ったよりも近いですね。。今は気候も良いし。

ブログフォローチェックをして朝の続きの英字新聞を進めていました。

もう、5月5日の分を前倒しで記載しているので、20日間くらいお休みして通読と読書の方が良いかな。。あまり前のニュースを挙げるのもねー。とか思ったりしていました。

 

お昼ご飯は、昨日の残りの塩鯖とシャウエッセンと、大根と人参の煮付けとお野菜少々。。

美味しかったです💞

 

ところで、昨夜お布団でゆっくりはしていましたが、あまり寝ていなかったので、ちょっとダラけていました。

そうそう。。。朝、急速にさきものが戻したのはなんで❓とようやく思い出して、動画を探して説明をして貰っていました。

まー。今回はイスラエルのネタニヤフが攻撃早急に済ませると言ったとかなんとか。。

この方、すごく秀才でお顔も柔和ですけれど、結構エグいと思うんですけれどねー★

ま。私は民族として征服された経験もありませんので、コメントするアレは無いんですけれどね。

いや〜〜〜。。命奪うまでやっつけるっていう恨み(しかもミサイル30発❣️1、2発でもよかろうもん)というかなんというか。。怖いです。

 

それにしても良いお天気なので、舞鶴公園の桜も見物する事にしました。

14時すぎから出ました。

 

ソメイヨシノ、あと少し❣️ガンバレ✨

 

しだれ桜は、日当たりが良いこの1本の木だけ3分咲きくらいになっていました。

お花は小さくて可愛いです💞

舞鶴公園は八重桜の『関山』がとっても有名ですけれどね。。こういう清楚な咲き方をするものも気品があります✨

 

ハウステンボスみたいに仕立てられている花台。

紅白でおめでたい色合いです✨

 

今日はヴェローチェで16時近くまで英文の通読をしていました。

帰宅は16時半くらいかな。。

帰りにローソンでサラダパスタをゲットして、味玉子半分とレタスを足して、ノンオイルの胡麻ドレッシングを少々足していただきました。

いちごとバナナのデザート付きです💞

とても美味しかったです(^。^)

 

今日はこんな感じでした。

今日はもうお布団に入ります。

 

今週は実家の庭掃除と介護施設はお休みする予定です。

25日の水曜日に行きます。その日は自宅の水道と電気が止まるんで💦

それでは、今日も良い一日をお過ごしくださいね💞

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(余談)

Australian police said Wednesday they have charged two Chinese nationals with foreign interference, accusing them of spying on a Buddhist group at the behest of police in China.

オーストラリア警察は水曜日、中国の警察の指示で仏教団体をスパイしたとして、2人の中国人を外国干渉の罪で起訴したと発表しました。

  Australian:オーストラリアの、オーストラリア人

  charge:請求する、記入する、非難する、告発する、充電する(他動詞)

  Chinese national:中国籍を持つ人

  interference(インターフェアレンス):干渉、口出し、じゃま、不法妨害(不加算)

  foreign interference:外国政府が透明性のない方法で他国の意思決定や社会に影響を与えようとする行為

  accuse:+目的語+of+(代)名詞〕〈人を〉〔…のかどで〕告発する,告訴する(他動詞)

  spy:〔…を〕こっそり見張る 〔on,upon〕(自動詞)

  behest(ビヘスト、ビハスト):命令、要望、要請(加算)

  at the behest of 〜:〜の要請により、〜の命令で

 

The pair -- a 25-year-old man and a 31-year-old woman -- have each been charged with one count of reckless foreign interference, which carries a maximum penalty of 15 years' imprisonment.

25歳の男性と31歳の女性の2名は、それぞれ1件の無謀な外国干渉の罪で起訴され、最高で懲役15年の刑が科される可能性があります。

  count: (起訴状の)訴因(加算)➡︎この場合の意味

  reckless:無謀な、向こう見ずな(形容詞)

  a maximum penalty of 15 years' imprisonment:最高15年の懲役刑

   imprisonment:投獄、入獄、拘禁、禁固、監禁(不加算)

 

When the two appear in court on Wednesday, police will allege they worked with a Chinese national charged last August for covertly gathering information on the Guan Yin Citta Buddhist group in Australia's capital, Canberra.

今週水曜日の法廷で、警察はオーストラリアの首都キャンベラにある観音慈恵仏教団体に関する情報を密かに収集したとして、昨年8月に起訴された中国籍の者と、この2人が共謀していたと主張する予定です。

  allege:(十分な証拠なしに)(…を)断言する、強く主張する、申し立てる(他動詞)

  a Chinese national charged:起訴された中国籍の人

  covertly:密かに、こっそり(副詞)

  the Guan Yin Citta Buddhist group:観音菩薩の教えを広めることに重点を置いた大乗仏教の団体➡︎中国政府はカルトとみなしている。

 

They are alleged to have worked under the command of China's Public Security Bureau, the country's main domestic law enforcement body.

彼らは中国の主要な国内法執行機関である公安部の指揮下で働いていたとされる。

  be alleged to不定詞:「(根拠なしに)~だと言われている」や「~したと申し立てられている」という意味。

  Public Security Bureau:主に中国の公安局を指す言葉。

  enforcement:施行、執行、強制

 

China's foreign ministry called on the Australian government to take care in its handling of the case.

中国外務省はオーストラリア政府に対し、本件への対応を慎重に行うよう求めた。

  call on A to 不定詞:Aに~するように求める

  take care in〜:〜の際に注意する

※take care in〜は、「〜の際に注意する」という文脈で使われる。

Take care in driving at night.(夜間の運転には気をつけてください。)

take care of〜の形で、「〜の世話をする」「〜に対応する」「〜を処理する」という意味。

 

(物語)

戦死者や負傷者に埋め尽くされた戦場の凄惨な光景は、頭の重苦しさや、20名の将軍達の死傷の知らせや、かつては強かった自分の腕の無力の意識などと重なり合って、死傷者を見て回り、それによって自分の精神力を試す(彼はそう考えていました)事を愛して来たナポレオンに、意外な衝撃を与えました。

この日は、戦場の凄惨な光景が、自分の偉業と偉大さの基をなすものと考えていたその精神力を圧倒しました。

彼は急いで戦場を離れ、シェヴァルジノ堡塁へ戻りました。

 

彼は黄色く浮腫んだ重苦しい顔をし、目をドロンと濁らせ、鼻を赤く染め、声をかすれさせて、組み立て床几(しょうぎ)に腰を下ろして目を上げようとせずに、耳を塞ぎたい思いで、激しい砲声を聞いていました。

彼は自分がその原動力であると認めながら、自分の力で止めることが出来なかったこの戦闘の終わるのを、胸を締め付けられるような切ない思いで待っていました。

個人的な人間的感情が、束の間、彼がこれまで長年に渡って培って来た人生の作り物の幻影を押さえつけたのでした。

彼は、戦場で見て来たあの苦痛と死を我が身に受け止めていました。

頭と胸の重苦しさが、彼にも苦痛と死がありうる事を思い知らせるのでした。

彼はこの瞬間、モスクワも、勝利も、栄光も欲しいとは思いませんでした。(彼に、さらにどの様な栄光が必要あろうか❓)

 

彼が今願っていたものは、休息と、安静と、自由だけでした。

だが、彼がセミョーノフスコエの丘の上に居た時、砲兵司令官が、ロシア軍に対する砲撃を強化する為に、この丘の上に数門の砲を進出させる事を彼に進言しました。

ナポレオンはそれを認めて、それらの砲の挙げた戦果を報告する事を命じました。

副官が馬を飛ばして来て、皇帝の命令により200門の砲がロシア軍に集中砲火を浴びせているが、ロシア軍は依然として頑張っていると報告しました。

「わが砲撃は敵の列をなぎ倒していますが、敵は退こうとしません。。」と、副官は言いました。

「彼らはもっと欲しいのか❗️」と、ナポレオンはかすれた声で言いました。

「陛下❓」と、聞き取れなかった副官が聞き返しました。

「彼らはもっと欲しいのだな❓」と、ナポレオンは顔を険しくしかめて、かすれた声で言いました。

「よし、もっと食らわせてやれ。」

 

彼の命令が無くとも、彼の望んだ事は行われていました。

彼がその指示をしたのは、単に彼の命令が待たれている、と思ったからに過ぎませんでした。

そして彼はまた、これまでの自分の世界、偉容らしい幻影を持つこしらえられた世界へ移って行きました、そして彼の宿命として定められた、あの残酷な、悲しい、苦しい、非人間的な役割を、従順に実行し始めるのでした。

 

そして、この惨事の全ての重さを、この戦闘の全ての参加者達よりも重く我が身に担っているこの人間の、思考と良心が曇ったのは、この日のこの一時だけではありませんでしたが、しかし彼は、死ぬまで一度も、善も、美も、真理も、自分の行為の意義も理解出来ませんでした。

なぜならそれらの行為は、その意義を彼が理解出来る為には、あまりにも善と真理に矛盾し過ぎており、あらゆる人間的な者から人間的なものから余りにも遠く掛け離れていたからでした。

しかし彼は、世界の半数から賞讃されている自分の行為を否定する事など、到底出来ませんでした、よって、真理・善・一切の人間的なものの方を、むしろ否定せねばならなかったのでした。

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(解説)

う〜〜〜む。。ここも難しい所だと思います。

 

フランス軍は、苦戦を強いられているのですね、死傷者は増すばかりです。

しかも、ロシア軍は、相当な砲撃を受けているにもかかわらず頑として降伏して来ません。

フランス軍も、もう疲弊しています。

ナポレオンは、普通だったら、『ここで引く』という判断をしなければならない事態に陥っています。

しかし、彼の栄光がその『正しい判断』を出来なくするのですね。。

彼のヨーロッパ全土での陸上戦は連戦連勝、しかも10数年に渡って、ですから。

その栄誉は、『不動』でなければならないのですね、彼の中では。

 

そうこうするうちに、被害は増すばかりです。

彼は、もうどうする事もできません。

運に身を任せている状態ですね、虚しいけれど。

 

もし、彼が相当早めに戦闘を切り上げる事ができれば。。それでも彼は責めを負う事になったでしょう。。

その惨めな自分を考えたくない、しかし、戦局はどんどん不利に傾いていく。。もう、ここで決断を。。というジレンマの中で彼が自らが作り上げた自分の偉容にしがみつかざるを得ない心理を表現している部分だと思います。