(物語)
ピエールの前を走っていた将軍は、丘を下ると、急に左へ折れました。
ピエールは彼を見失って、前方を行進していた歩兵の列中へ馬を乗り入れてしまいました、ピエールは右往左往して列の中から抜け出そうと試みました。
しかしどこもかしこも一様に不安そうな顔をして兵士達ばかりでした。
全ての顔が、何の為に彼らを馬蹄にかけようとするのか分からず、この白い帽子を被った男を、一様に怒りと不審の入り混じった表情で睨みつけました。
「何だって列の中さ馬を入れるんだ❗️」と、1人が彼に怒鳴りつけました。
もう1人が銃の台尻で馬を突きました、その為にピエールは鞍橋にしがみ付き、よろけた馬をやっと押さえながら、兵士達の前方の広々とした所へ走り出ました。
前方には橋があって、橋のたもとに、兵士達が立って、盛んに銃を撃っていました、ピエールはそちらへ馬を近づけて行きました。
自分でもそれと知らずに、ピエールはゴールキとボロジノの間のコローチャ河の橋付近に紛れ込んだのでしたが、ここは開戦と同時に(ボロジノを占領して)フランス軍が攻撃を加えて来た地点だったのでした。
前方に橋が有って、その両側の草場で、昨日彼が見た乾草の列の間に、煙に包まれて兵士達が何かしているのが、ピエールの目に見えました。
その辺りに激しい銃声がしているのに、彼はそこが戦場だとは少しも思いませんでした、彼は周りに唸りを立てている銃声も、頭上を飛び過ぎる砲弾の音も聞こえませんでしたし、対岸に居る敵兵の姿も見えませんでした。
そしてあまり遠くない所に大勢の死傷者達が倒れていたのが、ややしばらくはそれも目に入りませんでした。
彼はひとりでに込み上げて来て、一向に消えようとしない微笑を浮かべたまま、辺りを見回していました。
「なんだ、前線を馬でウロウロしやがって❓」と、誰かが彼に怒鳴りつけました。
「左へ寄れ、右へ避けろ❗️」と、幾つもの声が叫びました。
ピエールは右へ折れました、すると思いがけなくラエフスキイ将軍の知り合いの副官と出会いました。
この副官は、やはり彼を怒鳴り付けようと思ったらしく、腹立たしげにピエールを睨みましたが、彼だとわかると会釈をしました、「どうしてこんな所へ❓」と、言葉を掛けて馬を飛ばして行きました。
ピエールは、自分が出る幕を間違えてする事も無くまごまごしているような気がして、また誰かの邪魔をしてはまずいと思って、副官の後を追いました。
「ここはどうしたんです❓一緒に行って構いませんか❓」と、彼は聞きました。
「ちょっとお待ちください。」と、副官は言って、連隊長の前に駆け付けると、何事か伝え、そしてはじめてピエールの方を振り向きました。
「どうしてこんな所へ来たのです、伯爵❓」と、副官は笑いながら言いました。
「何でも見てやろうって訳ですか❓」
「ええ、そうですよ。」と、ピエールは言いました、しかし副官は馬首を返して馬を進めて行きました。
「ここはまだいいですよ。」と、副官は言いました。
「左翼のバグラチオン軍の所では、凄惨な激戦が行われています。」
「本当ですか❓それはどの辺ですか❓」と、ピエールは聞きました。
「一緒に丘の上へいらっしゃい、よく見えますよ。我々の砲兵の陣地ならまだいくらかマシですよ。」と、副官は言いました。
「如何です❓参りますか❓」
「ええ、お願いします。」と、辺りを見回して調馬師を目で探しながらピエールは言いました。
その時初めてピエールは、よろよろ歩いたり、担架で運ばれたりして来る負傷兵達の姿に気づきました。
昨日、彼が馬で通った乾草の列が並んでいる草場に、乾草の列の間を塞いで窮屈そうに首を折り曲げて軍帽をずり落とした1人の兵士が身動きもせずに倒れていました。
『どうしてあの兵士を運んでやらないのだろう❓』と、ピエールは言いかけましたが、そちらを振り向いた副官の顔に厳しい顔に気が付くと、口をつぐみました。
ピエールは調馬師の姿見つからないままに、副官と共に低地を伝ってラエフスキイの丘の方へ馬を飛ばして行きました。
ピエールの馬は副官から遅れて、ゆらゆらと彼の身体を揺すって行きました。
「いや、大丈夫です、でも何だかこいつはやけに身体を揺するようですね。」と、ピエールは不審そうに言いました。
「おや❗️負傷していますよ。右の前脚の膝の上の所です。弾丸傷ですね、きっと。おめでとう伯爵、銃火の洗礼を受けられましたな❗️」と、副官は言いました。
硝煙の中を第6軍団の線に沿って進み、前方へ移動して、耳も聾するばかりの砲撃を続けている砲兵陣地の後ろを通って、彼らは小さな森に入りました。
森の中は品やると涼しく静かで、秋の匂いがしていました。
ピエールと副官は馬を降りて、歩いて丘に登り始めました。
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(解説)
特に記載する事はありません。
ピエールは、戦場へ命令を受けて馬で走って行った将軍の後を追いましたが、途中で見失い、思わず歩兵隊の前に馬に乗ったまま踊り出してしまいます。
シルクハットに燕尾服の太った男性が馬で前をウロウロしているって、ちょっと滑稽な場面です。
ピエールが躍り出たのは、ちょうど夜明けにフランス軍が最初に砲撃を開始したゴールキとボロジノの間のコローチャ河の橋付近でした。
そこへ通り掛かったラエフスキイ将軍の知り合いの副官に声を掛けられて、今、一番の激戦地となっている左翼のバグラチオン軍を見学しやすい丘の上に案内されます。






