戦争と平和 第4巻・第2部(2)ロシア軍、側面行軍の終点タルーチノ陣地で復活を遂げる。 | 気ままな日常を綴っています。

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(物語)

有名な側面行軍とは、ロシア軍が敵の進撃と反対方向に絶えず真っ直ぐに後退を重ね、フランス軍の進撃が中止された後に、最初に取られた直線路から外れ、背後に敵の姿が見えないので、豊富な糧秣に引き寄せられて、ひとりでにそちらの方へ流れて行ったというだけの事でした。

ロシア軍の首脳部に天才的な司令官達を考えなくても、それどころか指揮官などの居ないただの軍だけを考えても、その軍は食糧のより多い、物資の豊かな地方へ弧を描きながら、モスクワの方向へ戻って来るより他は、行動の在り様が無かったはずでした。

 

ニージェゴロド街道からリャザン街道、トゥーラ街道、さらにカルーガ街道へのこの移動は、ロシア軍の略奪兵の群れもこの同じ方向に流れ、ペテルブルグからもその方面へ軍を向ける様にクトゥーゾフに命令が送られた程に、極めて自然な事だったのでした。

開戦以来、さらにボロジノ会戦で、弾き返された方向へ転がり続けて来たロシア軍という球は、回転する惰力が消え、新たな突きを与えられぬままに、その球にもっとも自然な位置に止まったのでした。

 

クトゥーゾフ の功績は、世に言われている様な何か天才的な機動作戦という様なものにあったのでは無く、彼1人だけが激動した戦局の意義を理解していた事に有った事でした。

彼だけが、その時既にフランス軍が何も行動しない事の意義を理解していましたし、彼だけがボロジノ会戦の勝利を信じ続けていたのでした。

そして何よりも、彼1人だけが、ロシア軍の無益な戦闘を抑える事に、その全力を傾けていたのでした。

 

この手負い野獣(=ロシア軍)の呻き、フランス軍の破滅を暴露したものは、ロリストン(※フランス軍の将軍)が講和使節としてクトゥーゾフ 陣営に派遣された事でした。

ナポレオンは、正しいとされている事が正しいでは無く、自分の頭に浮かんだ事が正しいのだとする、彼独特の信念を持って、最初に彼の頭に浮かんだ何の意味も無い文句をクトゥーゾフ に書き送りました。

 

『クトゥーゾフ 公爵閣下、多くの重要な問題について閣下と協議する為に、余の副官を派遣いたします。何とぞ、余の使者の申し述べる事を信じていただきたい。分けても、余がかねてより閣下に対して抱いている尊敬の念と格別の好意を、余の使者が伝えるであろう時は、そこに毫(ごう)の偽りも無い事を信じていただきたい。最後に閣下に神の聖なる加護のあらん事を祈る。     モスクワ 1812年10月30日  ナポレオン 』

 

『この私がたとえ如何様な事にせよ、取り引きの首謀者とみられる様な事が有りましたら、何の顔(かんばせ)ありて国民に見える事が出来ましょう。。これはわが全国民の意志なのであります。』と、クトゥーゾフは返書を送り、相変わらず攻勢に出ようとする軍を抑える事に全力を注ぎ続けました。

 

フランス軍がモスクワで略奪に明け暮れ、ロシア軍がタルーチノ陣地で休養を取っていた1ヶ月の間、両軍の力関係(士気と兵力)に変化が生まれ、その結果優位がロシア軍の側に移りました。

フランス軍の状態と兵力はロシア軍には不明でしたが、それにも関わらず両者の関係が変わると、直ちに攻撃に出る必要性が無いという徴候が数限りなく露呈し始めました。

それらの兆候とは、軍使ロリストンが派遣されて来た事であり、タルーチノの有り余る糧秣であり、あらゆる方面からもたらされるフランス軍の無為と無秩序の情報であり、わが諸連隊に新兵が補充された事であり、好天であり、ロシア兵の長期の休養であり、休養の後では軍内に必ず湧き上がる召集された目的を遂行したいという苛立ちであり、久しく見ていないフランス軍がどうなっているかという好奇心であり、フランス部隊の鼻を明かす百姓達やパルチザン達の痛快な勝利の噂であり、それによって掻き立てられた羨望であり、フランス軍がモスクワに居る限り各人の胸の中から消えぬ復讐心であり、そして個々の兵士達の心の中に湧き上がった、わが軍が優位に立った、という意識でした。

 

実質的な力関係が変わったーーだから攻撃が必要となった。。

そして直ちに、時計の針が1回転すると、時刻を打ち、音楽が鳴り出す様に、少しの狂いも無く、軍の首脳部では、実質的な力関係の転換に即応して、慌ただしい動きと、唸りに続いて、音が鳴り出したのでした。。

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(解説)

ロシア軍の側面行軍は、フランス軍の進撃が中止された後に、最初に取られた直線路から外れ、背後に敵の姿が見えないので、豊富な糧秣に引き寄せられて、ひとりでにそちらの方へ流れて行きました。

そして、糧秣が豊かなタルーチノ陣地でたっぷりの休養をとる事ができたのでした。

 

一方、モスクワを占領していたフランス軍は、(手ぶらでフランスには帰れない)ナポレオンの命令により、講和の為の使節

ロリストンがクトゥーゾフ陣営に派遣されて来ます。

おそらく、クトゥーゾフは、フランス側の焦りを見抜いていたと思います。

それにモスクワは大火災になり、糧秣も乏しいし、フランス軍の体力と士気はうんと低下しているはずだ。。それに寒さも。。

そこでクトゥーゾフは、講和を断ります。

 

フランス軍がモスクワで略奪に明け暮れ、ロシア軍がタルーチノ陣地で休養を取っていた1ヶ月の間、両軍の力関係(士気と兵力)に変化が生まれ、その結果優位がロシア軍の側に移りました。

そして、無為な戦いを嫌い、軍の無駄な体力消耗を嫌うクトゥーゾフでさえ、フランス軍への攻撃の時期が来た。。と思うのでした。