夏目漱石「門」を読み終えたので、少しゆっくりしていました。(令和6年3月12日) | 気ままな日常を綴っています。

気ままな日常を綴っています。

いつか静かに消える時まで。。
一人静かに思いのままに生きたい。。

おはようございます♪  今日は令和6年3月12日の日記です♪

ーーーーー

こんばんはー♪  現在17時4分です。先程まで晴れていましたが、また北風が強くお天気が悪くなって来ています。

室温16、1度。湿度44%ですね。。

 

今日は、朝6時前には起きていました。

最近ではマトモな時間の方ですね(^。^)

身支度を終えてブログフォローチェクをしながらの朝食ですね。

6時22分です。

大雨ですので、窓の外は暗いですね。。

 

朝から、夏目漱石の「門」を一気に読み上げてしまいました。

ざ〜とですから少し不正確かもしれませんが、感想文を下記の方に載せておきます。

私的には、「個人の内面の葛藤」ではなく「個人に及ぼす外部社会との葛藤」ですね、この本のテーマは。

 

はい。

今日は、アメブロの「財布の日」だそうですね。

これ、私がここ10年間くらい使用している財布ですね(^。^)

これ以前は、スーパーの1000円くらいのを使っていたのですよ〜⬇︎⬇︎

この財布は50歳も過ぎて年齢にふさわしい❓ものを。。という気持ちで15000円くらいでお正月に大丸でゲットしたものですね。

透かしの皮の文様が気に入ったのです。マイセンの透かしみたいで。

使い勝手が良ければ、なんでも良いと思います。
昔、調剤薬局で働いていた時、患者さんの財布は5割以上がルイ・ヴィトンでしたね。
あれには驚きました(^。^)
まあ、私よりかは1ヶ月の支出は絶対に多い方ばかりでしょうけれどね。
お財布に10マン、20マンはびっくりしましたけれど、それが「世の中の一般」ということにもっとびっくりした覚えがありますね(^。^)
ただ、ブランドの財布とか鞄に食われないようにしないと、人をブランドで測る癖が出て来そうですね。
本当に、価値観が一致する人を見つけるのは難しい事だと思います。
 
さて、今日は英語も普通の半分程度にして(2023年11月号)、頭休めに石坂洋次郎の「陽のあたる坂道」を読み始めています。
田代信次がいきなり2ページ目から出てくるのは良いですね(^。^)
この人の役は映画の石原裕次郎が有名ですけれど、私は小学校3年生くらいにテレビで石坂浩二さんが役をなさっているのを見たと記憶しています。
絵描きの役だから石坂浩二さんぴったりですね。他に、和泉雅子さん(ヒロイン)、川口晶さん(妹役)、田村正和さん(長男役)が出ていましたね。
とても記憶が鮮明ですね。
不思議と石坂浩二さんと川口晶さんの記憶が強くて、当時かなりのイケメンさんで人気だった田村正和さんの記憶は薄いのですよ〜⬇︎
やはり、信次という主人公の人間的魅力でしょうかね。
当分、爽やかな気持ちで過ごしたいですね。
 
さて、13時半くらいから少し出かけました。
この時間はお天気でとても穏やかな陽気でしたね。
 
誰が植えてくれたのかわからない薔薇の新芽が美しいです💞
 
最後に今日の昼食と夕食。
昼食は野菜炒めと白いご飯。キャベツを半玉買って来ているんで消化ですね。。もやしも。
 
夕食はブリ大根を温かいご飯の上に乗っけただけですね(^。^)
ーーーー
それで、夏目漱石の「門」は今朝全部の章を読み終えました。
 
まあ、流し読みの部分も多いので、確かな感想文ではありませんが、宗助は、大家・坂井の家に御米の前内縁の夫・安井が訪ねてくるので、その席に「一緒にどうですか❓」と誘われるのですね。
もちろん、坂井さんは宗助と安井の過去を知りません。
で、宗助は、それを免れるように鎌倉の寺に座禅をしに10日間ほど出掛けるのです。
しかし、宗助は禅寺の修行には馴染めなかった。。
それを夏目漱石は、宗助がこういう座禅に象徴される修行が「超えられない門」だけれど「門は宗助の前にあるしそこに辿り着かなければならない存在」という表現ですね。
だから、宗助のようなちょっと違う生き方をした者は、必ずこの「門」の存在に怯え、超えられず、その前で佇んでいるだけなのだ。。ということを示唆していると思うのです。
しかし、これはあくまでも「世間の前では」という限定が付きます。
 
当時の社会というものは、この禅寺の延長なのですよね。
だから、宗助は自分の過去を隠しながらも、ひっそりと生きて行かなければならないのですね、生きてゆくためには。
自分の過去が今の自分の「すべての根源」では有っても大ぴらには出来ないのです。
そこに宗助が常に立ち向かわなければならない障壁があるのだ、ということだと思います。
そして、宗助の心の中自体にもこの障壁があるのですね。本心は純粋な心を大事にしているのですけれど。。
 
宗助は鎌倉から自宅に帰宅して、大家・坂井のもとを訪れて、安井の消息を聴きます。
安井はもう坂井の家を出た後で、戻って来ないと聞いて宗助はホッとします。
しかし、安井に自分の事を喋ったのか❓までは恐ろしくて聞き出せません。
宗助はここでも社会という障壁に悩まされるのですね。。
しかし、坂井は、全く関係ない話のついでに、ドブの中の蛙の夫婦の話をするのです。
何事も事故がなく、夫婦が何十年も仲睦まじく連れ添う事のめでたさをですね。。
この大家・坂井の存在はね、なんとなく「宗助の内面」を偶然にも支持しているようにも見えるのですね。
 
やがて春が来て宗助も昇給し、弟の小六も坂井の書生となって学校を続けられることになります。
それを御米は素直に喜びますが、宗助は「まだじきに冬が来る。。」とうつむくのですね。
私は、この宗助のセリフは、自分達は寄り添って社会と隔絶してる世界では平和だが、やはり社会には認められない関係であるので、一生隠れて社会という門に恐れながら生きてゆかねばならない事に変わりはないのだ。。という事を言っているだけだと思います。
 
ただ。。宗助は紛れもなく幸せな人生を生きてゆくのだろうな。。自分の本当の心に従って、愛する御米と仲睦まじく生きてゆくのでしょうから。。
なんとなく、漱石のそんな方向性が見えますね。
だから、宗助が一流大学を出て官僚にでもなって親の決めた相手とつつがなく人生を送ったにせよ、今の生き方にせよ、それはそれで全てが○なのだ。。という事を淡々と記載しているように思いますね。
漱石は、価値観の多様性という時代の流れを認識していたように思いますね。
従来の価値観と違う生き方をする人間には苦悩が伴うけれど、それを全う出来るのであれば、それはそれで幸せな事だとね。
仮に全うできなくても、その人の生き方だから、その人の判断に委ねるのがベターとも。
ここでは「恋愛・不倫」がテーマになっているだけで、このテーマは何にでも置き換えて考えることができると思います。
芸術とか文学のあり方もね。
 
今日はこの辺にします。
当分、難しい話はしないでおこうと思っています。
 
それでは、今日も良い1日をお過ごしくださいね❣️❣️
ーーーー

(余談)

階段を降りるのに気を付けてください。  Be careful going down the stairs.

階段を降りる時には気を付けてください。  Please be careful when going down the stairs.

足元にお気をつけ下さい。   Please watch your step.

石段は、雨が降ると滑りやすい場合があります。

The stone steps can be(又はget) slippery when it rains.

          ※stepとstairの違いは?:外の階段、例えば駅の階段、歩道橋の階段などはsteps, 家の中の階段はstairs だそうです。