さて、有田では、手間が掛かりハイコスト、技術者の柿右衛門一族からの流出などにより、柿右衛門様式磁器(濁手)の政策を維持出来なくなってしまってのですが、その後に出現したのが染付の素地に金や赤の色を付けるという金襴手様式でした。
恐らく以下の作品がこのような「金襴手様式」に属するものと思われます。
「金襴手様式」でコストを抑えられるから、価値がないのか❓と思われるかもしれませんが、この時代の古伊万里の技術は最高潮に達しているものと思われています。
前回の古伊万里のお写真と比べてもわかると思いますが、絵付けの繊細さはむしろ少し時代が下ったこの時代のものの方が洗練されているとも見えます。
(輸出用伊万里)
これらの作品は、真鍮や金、銀を用いて装飾がなされた伊万里です。
O(油)、A(酢)など中身を示す言葉の頭文字をつけた注器などヨーロッパで無かったような物も作られました。
東インド会社は、木などで作った見本や図面を送って磁器制作上の細かな指示を与え、海外でより良い値段で売れ、需要の高いものを求めました。
(伊万里 18世紀 色絵傘美人図壺)
(伊万里 18世紀 色絵花籠文大皿)
(伊万里 18世紀 色絵樹下美人図大壺❓)
(伊万里 19世紀後半 色絵山水禽獣文広口大花瓶 高さ198㎝)
本作品は、巨大な器体の表面を余すこと無く細密な文様で、青・赤・金を基調に彩られています。
対で鑑賞できるように、鷹に山水、獅子、鳳凰なども文様が左右対称に描かれています。
明治の伊万里を代表する絢爛豪華な作品です。
(素焼広口大花瓶)
上の大花瓶を色絵付け焼成する前の段階のものです。
ロクロを使用して成形されており、熟練した技術が要求され、現在では再現困難と言われています。
本焼成することにより、大きさが約1割程小さくなります。
さて、伊万里(有田焼)は、1879年ウイーンで開かれた万博に出品し、好評を博します。
(伊万里 19世紀後半 染付花籠文大皿)
青色の濃淡だけで写実的に文様が描かれた迫力ある作品です。
1873年、ウィーンで開催された万国博覧会に出品された大皿です。
大まかではありますが、以上でポルセレイン・ミュージアムの古伊万里の作品のご紹介を終えたいと思います。
最後まで読んで頂き有り難うございました❣️