貴重な思い出が消えてしまいそうなサパは再訪しない | peroの根無し放浪渡世日記

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バックパッカーで旅仲間からはperoと呼ばれています。金融業➡︎探偵➡︎通信関係➡︎エセ小説家。東京に単身移転後16年余り暮らし、2022年6月に故郷・和歌山へ。妻が他界して7年以上も経つのにまだ生きている。藤井弘司としての著書が数冊有り、密かに文学賞を狙ってます(笑)

こんにちは〜、根無し浮き草無職渡世人のperoでござんす(笑)

長期入院中の上の妹が所有するマンションに住んでいるので家賃不要、下流クズ老人にとってはありがたいことです🙏

頭痛は相変わらずおさまらないし、首や背中の骨も痛む状態だけど、22日に予定通り日本を離れます🛫

70歳になった途端にデスクワーク系の仕事が決まらなくて、軽作業や警備や掃除系は人が慢性的に足りないようだけど、金貸しと探偵以外は殆どデスクワークの仕事で生きてきたからね〜😆

ともかく転倒後遺症で身体が動かなくなる可能性もあるので、ラストの海外のつもりで飛ぶことにした


そこで、今日は息子たちに遺書を兼ねた現在の加入保険や預金や株式などの状況を書き出したり、いろいろと過去の物を整理していると、懐かしい写真や手紙とかがいっぱい出てきた💦


その中に少し前に👇のドキュメントをテレビで観て、はるか昔2000年の夏に訪れたベトナム旅行の写真がたくさん。

アルファポリスで連載が中断していた旅行記「サバイディー、南方上座部仏教国の夕陽」を先週から第六章として189話から連載を再開したので、昔の画像も連載旅行記に貼っていこうと思う。



再開した旅行記、第六章からはベトナム旅行記「アイスコーヒーウイズミルク」です👍



でも、少数民族の村・ムーカンチャイは美しい棚田で観光客を呼び寄せため海外青年協力隊の彼女が紹介されていて、僕ももう一度元気なうちに棚田で昔から有名なサパを再訪したいと思ったのだけど、ちょっとWEBで調べてみたら今のサパは昔と全く変わってしまっていることが分かったえー

下が👇現在のサパです、画像はWEBから借りました。





湖の周りに観光客用のホテルや施設が林立しているようですが、2000年のころは湖の周りには何も無かったはず🤔

バックパッカーもそんなに多くなかったからね、まぁ時代は変わっていくから当然なのかもね。


以下は僕が訪れたころのサパです、画像が古いですけど💦


棚田です





ワンデイトレッキングでカットカット村を訪れました、案内係のベトナム人男性と、おふたりはサパで合流した日本人女性ですニヤリ




このおふたり、24年も昔なので画像はそのままでいいでしょう、手前の女性が僕の旅の師匠です😅





当時のサパの入り口あたり、ラオカイからのミニバスはここに着きました🚍




2泊したファンナムゲストハウス、今はどうなっているのかな❓





当時の僕、46歳の青年でした(笑)





ゲストハウスの窓からの風景




そんな訳で、この先ベトナム旅行記の連載が進むにつれて昔のサパの様子を紹介できますが、再訪したとして、そのころのサパは跡形も無くなっている気がして、思い出は大切に残したいから行かないことにします笑い泣き


今日の晩御飯、この時期に鍋🍲(笑)、今日は気温が下がったからね😅








面白い社会風刺のニコニコ動画、替え歌が爆笑🤣

👍


今夜はこの曲でおやすみなさい💤

帰り来ぬ青春😂

また明日👋