突撃!アンコールワット 第一部(2001年9月)‐第三十六話 | peroの根無し放浪渡世日記

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バックパッカーで旅仲間からはperoと呼ばれています。金融業➡︎探偵➡︎通信関係➡︎エセ小説家。東京に単身移転後16年余り暮らし、2022年6月に故郷・和歌山へ。妻が他界して8年以上も経つのにまだ生きている。藤井弘司としての著書が数冊有り、密かに文学賞を狙ってます(笑)

こんにちは~☀️、大型連休三日目、お出かけしてますか~?

 

僕は左の尾てい骨あたりが痛み、それでも昨夕8㎞ほども荒川土手をウォーキングしたため、一向に良くなりません。


 

突撃!アンコールワット

 

最初からお読みいただくには⇒ https://ameblo.jp/perorin/theme-10105199026.html

 

 

第一部(2001年9月)‐回顧旅行記

 

 この旅行記は過去にWebに載せたものを加筆修正しています。現在の旅の情報としては全く役に立ちませんので念のため!(まあ、少しは役にたつかも)

 

 第一部はあと何回かでそろろそ終結に入ります、よろしくお願いします。

 

三十六

 

 大回りというからにはハードな遺跡めぐりになるのだろう予測された。シェムリアップ三日目で、僕はややグロッキー気味となってしまっていた。

 だが、仕事熱心な長男さんは、僕の肉体的問題など関係なく、三日目のアンコールワット遺跡群観光にバイクを爽快に飛ばすのであった。

 

 チェックポイントで三つめのパウチを開けてもらって、初日に来た同じ道を走り、四面塔の南大門の手前を右折してアンコールトムの周囲をグルっと回ってさらに東へ進んだ。

 

 大回りの第一ラウンドは、最初左手に見えた「タ・プローム(Ta Prohm)」である。十二世紀の終わりごろにジャヤヴァルマン七世によって建立された、王の僧院と呼ばれる宿坊らしい。

 建築された当時は一万人を超える僧侶や踊り子さんたちの宿舎で、その周辺には七万人を超える人々がこの僧院を維持するために生活を送っていたとされている。

 

 入り口前の広場でバイクを降り、長男さんと別れてバイヨンで無数に微笑んでいた人面像のゲートをくぐって中に入って行った。


 

 


 東西約一キロメートル、南北約六百メートルの広い敷地の中心部まで、長い道を歩いていると所々に崩れかけた外壁などが見え、保存状態があまり良くない印象を受けた。それは、遺跡の発見当時の状態を残すために修復工事がほとんど行われていないからである。

 

 何故なら、この遺跡には驚くべき自然の威力というものが残されているからで、それは容赦なく無機質な物質に襲いかかってきている。


 

 

 

 寺院の内部に足を踏み入れても、破壊の進んだ部分が見受けられ、建物の倒壊を防ぐためのメンテナンスが少しは施されているとは思われるが、アンコールワットやバイヨンの遺跡と比べると、内部はまったく整備されていなかった。

 

 本殿から冷やりとした空気の廊下を抜けて、小さな中庭のようなところに出ると、その驚くべき光景が存在祖示していた。


 

 


 石積みの崩れかけた建物に巨大な榕樹(スポアン)の根が絡みついており、一見すると寺院を押し潰しているように見えるが、それは積み上げられた石の裂け目に入り込み、逆に破壊を抑えているかのようにも見え、この僧院との共存を誇示しているとも思われるのであった。

 

つづく・・・

 

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