こうして良子と リカの会話が続いている間、芙美子は美代子に、

「良子さんの お客様が来られましたので、今のうちに こちらの [R席]の方から先に、ご案内しましょうね。」

   と言いながら、[N席]から [F席][M席]へと戻り、その左側に在る バックシャンプー式の 黒いボウルに黒い椅子のシャンプー台の前を通り過ぎる。

   そしてその先の、観葉植物に囲まれ奥まった 落ち着きのある空間、良子の [R席]の前迄 二人で歩いて来た。

   すると、

「うわ〜っ! ここは又、凄く落ち着いていて…  何だか、心癒される場所 って感じよねぇ〜。」

   と、美代子が思わず ため息混じりな、感嘆の言葉を漏らした。


 そう、それもその筈。 この [R席]は、サロン・ド・F(エフ)の中でも特に、お客様に最高のレベルで リラックスしていただけるように設計が なされた、本当に特別な場所なのだ。

   お客様に、より リラックス感を得ていただけるようにと、先程通った 黒いバックシャンプー台を過ぎた辺りから、床に置いてある観葉植物の数が グッと増え始める。 そして 周りの壁紙の色も、それ迄の清潔感あふれる真っ白から、優しく淡いグリーンの物に変わり、一寸した森林浴効果が表れるような設計が なされていているのだ。

    又、そこに ほのかに漂うアロマの香りも それを手伝っていて、一歩 足を踏み入れただけでも 心地良くなってくる。 そして、その中央に位置する 渋い、うぐいす色の革製セット椅子の背もたれ部分には、梨地仕上げを施して品良く 艶を消した真鍮製の銘板に、良子のイニシャル[R]の文字が 誇らしげに鈍く輝いている。 席正面の、鏡の縁取りと 鏡下に張り出した棚は、どちらも床と同じマホガニー調の天然木で統一されて、とても落ち着いた雰囲気だ。 又、フックに架かったハンド・ドライヤーも 渋い色調のグリーン と、徹底して 森林の雰囲気を追求してある。

   そして、とても大切な事だが、お客様の視界に入る正面の鏡周りには、下手すると目障りにも成り得る アーム式の器材は一切無い。 この席一番奥の 観葉植物の陰に、ひっそりと[R席]専用の キャスター付でスタンド式のフード・ドライヤーや遠赤促進器、ミストブロー器が置かれている。

   意外と広い店内の、丁度 反対方向にメインの用具室が在る為、マリ店長の負担を少しでも軽減出来るようにと、こちらサイドにもサブの用具室として この場所が用意されている訳だ。

 奥の壁に、胸の高さから上に造り付けられたマホガニー調の収納扉の中には、トリートメントやパーマ・カラーの液剤や ビニールキャップ、ロッドやペーパー等の用具類が収められている。 又、収納扉下部の丁度 胸の高さ辺りに付けられたバーには、ハンガーに パーマ用やカラー用、それにカット用のクロスが ズラリと掛けられているのだ。

   それらは、癒しの空間[R席]専用のクロス類なので、その雰囲気を決して損なう事の無い、グリーン系を中心とした 落ち着いた色調が取り揃えてある。 袖付き・袖無しの、上品なタイプが各種だ。

   これだけの素晴らしい空間と設備を整えて、与えて貰っている良子は、それこそ美容師冥利に尽きる というものであろう。 この事により、どれだけ芙美子が良子の事を評価していて、大きな期待を持って 見守っているかどうかが分かる。


「もう ここに関しては、何の説明も必要無いみたいですわね。」

 と、芙美子に声を掛けられて我に返る迄 美代子は、

「へえ〜…。 ふ〜ん…。」

 と、しきりに感心していて 半ば放心状態であった。 そして、

「ここ 素晴らしいわ、先生。 癒される。 本当に… 」

 と、今度は興奮気味に芙美子に訴える。

「ええ。 このスペースには、今回の改装の中でも最大に、一番の気を使いましたわ。 良子さんの お客様方は特に、普段の生活の中での喧騒を離れて、ほんの ひと時の癒しを求めて、この美容室に おいでになられる方が多いですので。」

   と、芙美子が答えると 美代子が、

「そうね。 ふみこ美容室でも 彼女の所、いっつも ひっそりと静かだったわよね。 その点、私なんて 先生とワイワイ会話をするのが楽しみで、来てるようなものだけどね。」

   と舌を出しながら、イタズラっぽい笑顔で返す。 すると芙美子は、

「そうですわね。 いつも楽しく お話しさせていただいてますわよね、うふふ…。 

 さてと、それでは最後に反対側、一番向こうの明美さんの席に ご案内いたしましょう。」

   と言いながら、美代子を促すように歩き始めた。  


   丁度その時、カウンターでの会話を終えた良子と リカが[R席]に向かって歩いて来ている所だった。 それで すれ違いの形になり、芙美子は 一旦 立ち止まると、遠目に リカに向かって深いお辞儀をしてから 再度 歩き始めた。

   マリ店長も、美代子の為の白いミストブロー器を[F席]にセッティングを終えて、リカの為の用具を揃えに[R席]奥のサブ用具室に入って 用具を選んでいる所だった。

《 良子と リカ… そして 癒しの空間… 》


   丁度その時 店のドアーが開き、上品な30代位の 美しい女性が駆け込むように入って来た。 カウンターの中で、 

「いらっしゃいませ。」 

   と、満面の笑顔で出迎えたのは もう一人のスタッフ、元キャ●ディーズの 伊● 蘭に良く似た 48歳の日本美人、南 良子である。 

   少し毛玉の出来た、渋い深緑色をしたタートルネックのセーターに、オーソドックスなグレー系ヘリンボーン・ツイードのボックスプリーツの膝丈スカート。 それに、茶色い厚手のタイツに 快適そうな焦げ茶のスウェード製デザートブーツを合わせて履いている。

 髪型は、肩に丁度届く位の、ミディアムレングスだ。 殆んど黒に近いブラウンに染められた その艶やかな美しい髪には、ごく緩いウエーブがかかっている。

 そんな、控えめな色とスタイルのヘアーや、地味な 野暮ったい服装が表す見た目通りの、元々 とっても大人しくて引っ込み思案な性格の女性である。 

   その為、こと美容技術に関しては確かな光る物を持っては いる物の、その言葉数の極端に少ない 朴訥な接客態度を見ていて、経営者である芙美子は 彼女が ふみこ美容室に入った当初には、

{ これは、技術者でありながらも 同時に接客商売である 美容師には、とてもでは無いけれども不向きなのでは?}

   と戸惑い、かなり真剣に悩んだものだが、実際には 違っていた。 いざ蓋を開けてみると、全くの取り越し苦労であったのだ。 それは彼女が、東京の某有名国立大学と その大学院で心理学を専攻して、博士号迄 修得していたという、美容師としては大変珍しい異色のキャリアの持ち主であった為だと言える。 その特技であるカウンセリングの技術を、最大限に活かす事によって お客様方に とても喜ばれたのである。

   美容室という所は、単に髪を美しく整える というだけの目的では無く、普段の生活で溜まったストレスを発散する為、そして癒される為に ご来店になる お客様は とても多いのだ。 そんな方々には逆に、良子の 朴訥ではある物の、心の悩みや相談事迄をも 親身になって聞いてくれる、誠実で ひた向きな接客態度は 何よりも心強い。 そして更に、任せて安心の高い水準の丁寧な美容技術は凄く好評で、根強いファンを着実に増やし続けているという訳なのだ。

   それでもう、今では この芙美子の美容室には無くてはならない、とっても大切な存在となり得たのである。


「いらっしゃいませ。」 

   と、芙美子や他のスタッフ一同も声を揃える。 

   髪を振り乱すように、一心不乱にカウンター迄 駆け寄り、

「ごめんなさい! 遅れちゃって…」 

   と、今迄 一生懸命 走って来た為か、息を切らしながら話すお客様。 その ジッと静かにしていれば 見た目には上品な美人女性は、良子の最上の お得意様の一人、柴崎 リカである。 

   大手証券会社に勤める バリバリのキャリアウーマンで、女優の 黒● 瞳に そっくりの、38歳の とても上品な美人だ。 肩に届かない位のミディアムショート丈 ストレートボブの黒髪は、いかにも出来る 女企業戦士という風情を醸し出している。 顧客の接待や その他で、土曜も日曜も無い程のハードな日々が続き過ぎた為に、

{もう限界…}

   とばかりに、有給休暇を取って何はともあれ サロン・ド・F(エフ)の開店に合わせて予約を入れておいた次第なのである。 只、朝から慌てていた為か、折角の休みなのに 普段と全く同じタイトなネイビーブルーのビジネス・スーツを、着て来てしまっていた。

   そんな、一分のスキも無さそうな見た目とは裏腹な ドジな面を合わせ持つ、とってもキュートな女性なのだ。

「ごめんなさい。 休みの日だと思ったら、ついつい油断して 寝坊しちゃったんです…」

   と、首をすくめながら 恥ずかしそうに言葉を続け、カウンター上にバッグを掲げる。

   良子が そのバッグを受け取りながら 

「いえいえ、そんな。 柴崎様、ほんの5分位じゃないですか。 気になさらないで下さい。 それより、本当に ようこそいらっしゃいました。 この新しいお店での 私の記念すべき、第一号のお客様です。 本当に、ありがとうございます。」

   と、心を込めて お礼を述べてから バッグを一旦、カウンターの脇に置くと、

「こちらこそ。 今日に合わせて休みが取れて、本当に良かったです。 もう、最近 ストレス続きで、どうにか なりそうでした。 それで 良子さんに髪をいじって貰いたくって、ずっと この日を心待ちにしてたんですよ。 あっ! それより、開店おめでとうございます。 ご… ごめんなさい。 自分の事ばっかり言っちゃってて、お祝いを言うのも遅れちゃって…」

   と、リカが答えながらスーツの上着を脱ぎ、淡いピンクの上質なコットンのブラウス姿になった。

 「どうもありがとうございます。 畏れ入ります。」 

   と、良子は丁寧に お辞儀をしてから、リカのネイビーの上着を受け取り ハンガーに掛ける。 そして、それを先程のバッグと共にクロークに収めると、カウンター上のパソコン画面に目をやり、リカの予約を確認する。

   それから、

「柴崎様、本日の予約内容が空白になっていますが。 今日は どのようになさいますか?」

   と、尋ねた。 すると リカは、

「どうするかを、良子さんに相談しながら決めようと思って来たんですけど。 いいですか? それで。」

   と、答えた。 すると良子は

「ええ 勿論、OKですよ。 では、こちらへどうぞ。」

   と、カウンターから歩み出て、自分の[R席]の方へ リカを案内し始めた。

 芙美子が ほんの少し慌てて、
「え、ええ。 勿論ご案内致しますので、どうぞ ゆっくりと ご覧になって下さいませ。」
   と言いながら 美代子に歩みを合わせると、BGMの静かな ゆったりとした音楽の中に、二人のコツコツという足音が響き渡る。
「では まず、正面に見えます3脚のセット椅子。 この真ん中が私が担当させていただく お客様専用の[F席]です。」
   そう言って ちょっぴり大股で数歩 歩み寄り、椅子の背もたれ部分を ゆっくりと撫でながらウットリとした表情で、
「私のこだわりで 素材は ご覧の通り、染めてない革製です。 今はまだ オープンしたばっかりの新品状態ですので なめしただけの革色ですが、使い込む程に どんどんアメ色に変化して味わい深くなっていくのを楽しみにしていますの。」
   と言いつつ、セット椅子背もたれ中央部分に付いた真鍮製銘板の[F]の文字を指差し、
「ここに 私、芙美子のイニシャル[F]の文字が入っていますでしょ?」
   と、心底 嬉しそうに説明を続ける。
   前面の鏡は、上品な白木の縁取りがなされ、周りの白い壁紙に上手く調和している。 そして、鏡の下に張り出した 雑誌や飲み物等を置く為の小さな棚も、縁取りと同じ白木造りだ。 又、その棚右側のフックには 白いハンド・ドライヤーが架けてある。 全体に、とても清潔感がある雰囲気だ。
「う〜ん、なかなか お洒落よねぇ〜。」
   と、美代子は感心する。
「お気に召しました? では 次に、この向かって左側のセット椅子。 ブラックレザー張りにクロームメッキの… 」
   と、言いかけている 芙美子の言葉を遮るように、
「マリちゃんの席ね!  あっ、やっぱり[M]の文字が付いてるわぁ〜。」
   と、美代子が自信たっぷりに 口を挟むと、
「おっしゃる通りですわ。 ここはマリ店長の お客様専用の[M席]ですの。 うふふ… マリ店長らしいでしょう?」
  と、サラリと答える芙美子。

   正面の鏡の周りはクロームメッキで縁取られ、その下に張り出した棚も 漆黒の深い光沢。 フックに架かったハンド・ドライヤーも、まるで昔の床屋さんで使っていたような クロームメッキとブラックの大型の物である。 そして、黒革とクロームメッキの無機質な椅子の背もたれ部分中央に付いた[M]の字の銘板もステンレス製という、徹底したブラック&シルバーの世界なのだ。
   鏡の左上の壁部分に取り付けてある、国内では現在 生産されていない色の為に、わざわざ外国から取り寄せられたという アーム式の お釜型フード・ドライヤーのボディーも、クロームメッキに縁取られた真っ黒という こだわりようだ。 その、お釜下部のフード部分は スモークの入っていない クリヤーになっている。
   そして[F席]との間である 鏡右上の壁には、同じく アーム式のタカラベルモント製 ヘアースチーマーも取り付けてある。 丸いスモークのボディー本体に 被り口がダークグレイの物だ。
   このヘアースチーマーは、配置的に芙美子とマリ店長の二人が共用する事が出来るが、鏡の左側にある黒いフード・ドライヤーの方は、マリ店長専用である。

…因みに、芙美子が担当するお客様のセットには、据え置き式(ソファータイプ)フード・ドライヤーに移動をして お入りいただく事になっている。 先程の受付カウンター後ろの、ヘアケアー商品を陳列した大きな棚の、丁度裏側にあたる所に在るアイボリー色ボディーの、タカラベルモント製の古風なタイプだ。 お釜下部のフードは、跳ね上げ式の前面部分が少しスモークの入ったクリヤーで、後ろ半分はボディーと一体のアイボリー色の物である。
   そして、ふんわりとした座り心地のソファー部分は、黄土色がかった くすんだベージュ色で、落ち着いた雰囲気を醸し出している。
    位置的には、芙美子の[F席]の真後ろ、歩いて7~8歩という場所だ…

「こんな真っ黒のお釜だなんて、珍しいわよね。いかにもマリちゃんって感じだわぁ〜。」
   と、右手を上げて 黒いフード・ドライヤーの ピカピカに磨き上げられたボディーを擦りながら、美代子が ため息にも似た声を漏らす。
「そうですわね。 ちょっと、宇宙っぽい SFみたいな世界ですよねぇ…」
   と、芙美子が 微笑みながら答えていると、
「何が、宇宙っぽい SFの世界ですか? 全く、ガキみたいな発想しか出来ないんだから!」
   と、ドスの効いた声でつぶやきつつ パーマ道具を載せたワゴンを押しながら現れたのが今、話題に上っていたマリ店長である。
 
  歌手の 夏● マリに そっくりという事で、学生時代から[マリ]というニックネームで呼ばれ続けている、スレンダーな超美人だ。 実際に この店でも、店主の芙美子以外は 彼女の本名を知る者は居ない という、どことなく陰のある ミステリアスな存在である。
   芙美子より3歳年下の50歳。 今から32年前、当時18歳で手の付けられない不良少女(スケ番)だった頃に、そして芙美子がまだ 新米美容師だった頃に、運命的出会いをした女性である。
   そしてそれ以来、ずっと芙美子を 実の姉のように慕い、片腕として補佐を し続けている軍師的存在だ。
   その風貌は、シャープな顔立ちを際立たせるようにキッチリとまるでバレリーナのように結い上げられた黒髪。 無駄な贅肉の一切無い均整の取れた肢体。 そこに長く尖った衿が特徴の、シンプルで真っ白なコットン・ブラウスの裾を おへその位置で無造作に結ぶ。 そしてその はだけた胸元からは、キラキラと輝く金色のセクシーなタンクトップが覗いている。
   それに、形良く 丸いヒップを強調するかの如くピッタリとフィットしたブラックの革パンツに先の尖ったブラック・ブーツを合わせるという、全く一分の隙も無い着こなしだ。
   そして 何よりも、数々の修羅場を くぐり抜けて来た者だけが持つ、独特の 研ぎ澄まされた鋭い剃刀のように 危険な雰囲気。 それが又、息を呑む様な美しさを醸し出している。

「シンプルなモノトーンの世界… だとか、古いモノクロームのシネマのような… とか、何か もうちょっと気の利いた表現の仕方が あるでしょうに?」
   と[F席]の右後方にワゴンを停めながら、言葉を続ける マリ。
   そのワゴン上には、これから美代子の施術に使用されるパーマの液剤や用具、タオル類が置かれている。そして、そのサイドには カットクロスやパーマクロスが使われる順番に重ねて掛けられており、逆サイドにはブラシやコーム類・ハサミが立てられている。又、ワゴンの2段目・3段目の引き出しには、カラフルなパーマロッドがサイズごとに整然と並べてある様子と、丸める様に畳まれた ミストキャップやビニールキャップ等が、少しだけ 覗き見る事が出来る。
 
…こうして、全てのお客様によって異なる液剤や用具類を、一つも間違わないように 店の奥の方にある用具室から選び出してワゴンに載せる事。 そして、各々の担当美容師の許へそれを届けるのが、マリ店長のジェネラル・マネージャーとしての大切な仕事の一つなのである…

「ワゴン、ありがとう。 でも本当ですわね、流石はマリ店長。 とっても素敵な表現ですこと。 まるで詩人ですわ。」
   と、芙美子はマリ店長の台詞に、心底うっとりと感心している様子である。
「あら? マリちゃん、おはよう。 今日も一段と元気そうね。 ところで、なかなか素敵な お店じゃないの。 ここがあの寂れてた… って言っては失礼だけど、古~い昔ながらのマーケットがあった、その同じ場所だなんて、とても信じられないわね。」
   と、美代子が マリに声をかける。
「ありがとうございます、古賀様。 早速、朝早くから お越しいただきまして、大変畏れ入ります。」
   と、深々と お辞儀をしながら、丁寧に受け答えする マリ店長。
 綺麗な丸みで、形良い頭のシルエットが くっきりと分かる程 キチンと結われ、後頭部で お団子にまとめられた黒髪は、深いお辞儀にもピクリとも揺れない。 
   そして、
「さあ 先生、どうぞ 古賀様に店内の ご案内を続けて下さい。」
   と、芙美子の方を向いて催促してから、カラーリングの用具を載せた もう1台のワゴンを取る為に、用具室の方へ歩き始めた。
「う〜ん、何だかとっても やりづらくなりましたわよねぇ…。 店長、又 私が変な事を言っても 笑わないでくださいな?」
   と芙美子が言うと、マリ店長は まるで駄々っ子を諭す母親のような口調で、
「はいはい、分かりましたよ。」
   と、言いながら 2台目のワゴンを押し始めた。 用具室とは言っても 店の奥まった部分の、お客様からは見えない位置にある一角、というだけで 完全に独立した部屋では無いので、芙美子の声が ちゃんと聞こえていたのだ。
「さあ、じゃあ 気を取り直してと。 古賀様、この向かって右側のセット椅子は… 」
   と、芙美子が 拳を握って 力んで話し始めると美代子は、これ迄の芙美子とマリ店長の楽しいやり取りと、この 芙美子の子供っぽい仕草が可笑しくて クックッ… と笑いを押し殺していた。 すると それに対して、
「んもう、古賀様まで私の事 バカにしていらっしゃる。」
   と、芙美子が ふくれっ面をして見せるものだから、遂に我慢出来ずに、とうとう声を出して笑い始めてしまった。 
   そして、
「先生、相変わらず 可愛いわねぇ〜。 いい子 いい子。」
   と言いながら、芙美子の頭を撫でる仕草をする物だから芙美子は ふくれっ面のまんま、右側にある [N]の文字の真鍮銘板が付いた、渋い茶色の革製セット椅子を指差しながら、
「んもう、説明を続けますからね。 このセット椅子は 今、ニューヨークで 美容修行中の夏樹さんの席ですから、当面は 予備の椅子という事になりますわね。」
   と益々、駄々っ子のような可愛い仕草で、説明を続けた。
 
…そう、ふみこ美容室には 元々、芙美子以外に4人のスタッフが居る。 その内の一人、大井 夏樹は 2年前にアメリカで美容の勉強をしてみたいからと、単身 ニューヨークに渡ったのだ。 そして、世界的にも有名な美容室で 働きながら修行を積んでいる最中なのだ。
   その彼女が、いつの日か帰って来た時に店が移転をしていて、もし自分の席だけが無かったらショックだろうから、という芙美子の配慮で この、夏樹のイニシャル [N]の文字が入った席が用意されているという訳だ…
 
   前面の鏡の縁取りと 鏡の下の棚は、床より少し明るいトーンの木製で とても落ち着いた雰囲気だ。 芙美子の [F席]との間の壁に、アーム式の遠赤促進器 タカラベルモントの白いボディーのローラーボールが取り付けられている。  
   その間にマリ店長が、カラーリング用のクロスやタオル、カラー剤、ミストキャップやカラー用のビ二ールキャップ等が載った2台目のワゴンを、先程のワゴンの右側に無言で置いた。 そして 次に、用具室に置いてあるミストブロー器、白いボディーのピジョン・ミスティーO2を取りに向かった。

《 芙美子と美代子… そして マリ… 》


「いらっしゃいませ。」 

   新装開店前の初めての朝礼を済ませて、受付カウンターの中で待機をしていた美しい店主、芙美子。 彼女が優しく柔らかな声を発すると、それに合わせて 各々開店準備の最終チェックをしていた 他の3名のスタッフ一同も、

「いらっしゃいませ。」

   と声を揃えて、それが店内に こだまする。 

   200×年3月3日の午前9時少し前、[女性専用 美容室 サロン・ド・F(エフ)] として新たに生まれ変わった芙美子のお店に、第1号の お客様である古賀様が来店された瞬間の光景だ。 

   カウンター内で深々と頭を下げている、綺麗にカールをした優雅なセミロングの黒髪の持ち主。 彼女こそが この物語の主人公、中村 芙美子である。

   上品で決して派手過ぎない、くすんだピンク色をした仕立ての良い何ともクラシカルなタイトスカート型のスーツ。 それに合わせて衿元に可愛いフリルをあしらった、上質な白いシルクのブラウスを着こなしている、しっとりとした身のこなしの女性だ。

   女優の岩● 志麻に そっくりの… というよりは、彼女が演じる[像●婦人]そのまんまの、見目麗しき熟女。 だが、その実 かなりの天然ボケ?といった感じの、53歳の美人美容師である。そのトボケた言動で、周りを いつも和ませる 独特のキャラクターの持ち主だが、こと美容に対しては 誰にも負けない情熱と独自の美学、そして とても強いこだわりを持っている。 


「まあ〜、凄い! これ、何よ! まるで、一流ホテルのロビーじゃないの!」 

   ドアーを開け、入って来るなり 目を丸くしながら ついつい大きな声を はりあげてしまった古賀 美代子。 

   ここ、華美市で一番大きな宝石貴金属店 [ジュエリー KOGA ]を、華美駅前商店街の一等地で営む、演歌歌手の八● 亜紀に良く似た、化粧の濃い派手目の美人である。 芙美子より二つだけ年下の51歳だが、エステや健康食品、ネイルサロンや ここ、芙美子の美容室でのヘアケアー等に かなりのお金を使っている為、本当の年齢よりも実際の見た目は かなり若い。 マイペースで強引な、男勝りの性格の持ち主である。 


   その美代子が、ビックリして大きな声をあげるのも無理は無い。 この サロン・ド・F(エフ)は、元々マーケットであった建物を改装してある為、充分に余るほど在るスペースを有効に活かし、入り口のドアーを開けた エントランス部分が、高級ホテルのロビーかと思えるような ゆったり、広々とした空間となっているのだ。 

   大理石の床に敷かれた上品な色使いの、高級ペルシア絨毯。 そして、豪華ながらもシンプルなデザインのソファーやテーブルを配したロビー。 その役割は、女性専用のサロンである事を 完全に守る為にあるのだ。 例えば 美容室の お客様である奥様の送迎の為、ご来店いただいた ご主人様にも ゆったりと くつろいでいただける場所として…  或いは 美容材料店の営業担当者への応対や、それこそ毎日のように やって来る、様々な職種の営業マンへの対応、処理をする為のスペースでもある。 

   その奥、正面に あたかもホテルのフロントのように、重厚な雰囲気の受付カウンターが在り、その 向かって右側部分に、お客様のコートやバッグ等の お荷物を、お預かりする為のクロークが設置されている。

   又、美容室の お客様(勿論、女性に限定…)には、カウンターの左側から 回り込むような形で店内に お入りいただくようになっているのだが、カウンターの後ろに在る ヘアケアー商品等を陳列した豪華な造りの大きな棚に遮られて、完全に回り込んでしまわなければ、カウンターの手前からは 店内の様子を うかがい知る事は出来ない。 勿論、ロビー部分からも同様だ。

   そう、このあたりの芙美子の こだわりは、かなり徹底しており、現代風な佇まいの明るい店舗ではあるが、世間で流行りのガラス張りで、美容施術中の お客様の姿が丸見え的な構えとは 全く正反対の、プライバシー重視の美容室という事になる。

   そして勿論、完全予約制とはいえ、少し早く ご来店になったりで、お待ちいただく お客様方には、このカウンターより奥の店内に別の専用待合いスペースがある。 そこには、ゆったりとしたソファー・テーブルが用意されているので、カウンター前のロビーを ご利用いただく必要はないのだ。


   そのロビーを抜けカウンター近く迄、歩み寄って来ていた美代子が、 

「おめでとう! 芙美子先生。 はい、これ… お祝い。」 

   と、抱えていた大きな花束を差し出す。 その手には、豪華な宝石の指輪が いくつもギラギラと輝いている。

「あら、まあ〜! 古賀様、ありがとうございます。」 

   芙美子は 心から感激し、感謝の気持ちを身体中で表現しつつ花束を受け取った。 

「でも、良く 私が一番大好きな お花が お分かりになりましたね。」 

   と、まるで少女のような満面の笑顔を浮かべ言葉を続ける。 

「あ〜ら先生、貴女と私… 何十年の付き合いだと思ってるの? 私、先生の事だったら何だって分かるわよ。」 

   と、一段と声が大きくなって自信に満ち満ちた態度の美代子。 彼女が大袈裟に身振りをしながら話す度に、大きなウエーブの栗色のロングヘアーが揺れる。 そして、少しキツめの香水の薫りが辺り一面に漂う。 

「うふふ、そうでしたわね。」 

   芙美子は悪戯っぽく首をすくめて見せると、 

「じゃあ、明美さん! この頂いた お花を、あの白い花瓶に飾っておいてくださる?」 

   と、一番若いスタッフの栗原 明美に指示をしてから、 

「では古賀様、コートとバッグを お預かりいたしましょう。 本日はパーマとカラーに、仕上げはいつものようにセットで よろしかったですよね?」 

   と、カウンター上のパソコン画面で美代子の予約内容を確認しながら尋ねる。 

「ええ、その通りよ。 お願いするわ。」 

   と答えつつ、美代子はカウンター越しに高級なワニ革のハンドバッグを渡す。 そして、膝丈の毛皮のコートを腰をくねらすように優雅に脱ぎ始めた。 

   すると、その中から現れたのは見事なプロポーションの身体のラインが くっきりと浮き出るようなボディーコンシャス・ワンピースであった。 燃えるように真っ赤なニット素材でミニ丈スカートである。 そして綺麗なラインの足には、目の細かい網目の黒いセクシーな編みタイツ。 それに真っ赤なエナメルの、10cmは ありそうなピンヒールのパンプスという姿であった。 

   このような、周りの目を奪うように派手な出で立ちは、並みの女性には着こなす事が出来ないであろう。 自らの美しさに対する絶対の自信に裏打ちされた、オーラのような物が醸し出されていて、まるで周りを圧倒しているかのようだ。 

    そして、脱いだ毛皮を無造作に畳んだ美代子は、自らに酔いしれるようにポーズを取りながら 芙美子の広げた両腕に それをポンと掛けた。
「まあ〜! 凄く柔らかな手触りですこと。」
   芙美子は、心の底から毛皮を褒めながらハンガーに掛けると、先程のバッグと共にクロークに入れ、
「では 古賀様、こちらへどうぞ。」
   と、カウンターの中から歩み出て、回り込むような形で店内に進んだ。 そして全部で5脚あるセット椅子のうち 真ん中の、自分が担当する お客様専用となる[F席]の方へエスコートを しようとした。
   すると、芙美子の後を 歩いて店内に入りながら美代子は、
「ちょっと待ってよ先生、その前に折角だから 少しだけ新しいお店の中を見学させて頂戴よ。」
   と言いつつ、芙美子を追い越すように一人でスタスタと早足で歩き始め、マホガニー調の天然木の床に ピンヒール・パンプスの足音を響かせる。

やっぱり、最新の位置に小説を移してみて正解だったようです。
これまで、探し出せなかった方々がお読みになった数値が早速出たみたいです。
引き続き、移していきますので、どうぞお楽しみください。