《 ミストブローと ソフトタッチ… 》
 
「はい、どうぞ。」
   と、リカが座り易いようにセット椅子の背を 少し右側に回転させながら出迎える良子に、
「あ… ありがとうございます。」
   と、照れ笑いを浮かべながら 軽く会釈をする リカ。 一瞬、チラッと鏡で自分の恥ずかしい姿を再確認してみる。 クリーム色のタオルターバンで頭をスッポリと包まれ、光るクリーム色のカットクロスを まとわされているという、正にその姿だ。 それを又、もう一度見る事によって更に羞恥心が増幅するのだろうか? そんな状態で、クロスの裾を気にしながら腰掛けた。
「どういたしまして。」
   と、言いながらカットクロスが スッポリとセット椅子を覆うように介助して、椅子を正面に向き直させる良子。
   鏡の中に映った自分の姿を、改めて真正面から凝視する リカ。 その頭を包んでいるのが、肌の色に近い 淡いクリーム色のタオルターバンであるせいか、まるで丸坊主になってしまったかのような錯覚を起こしてしまう。 更に、身にまとったクロス迄もが クリーム色づくしなのが 本当に、てるてる坊主みたいで 何だか余計に恥ずかしいのだ。 それでどうしても、ほんのり頬を赤らめてしまっている。
   その気持ちを察した という訳でも無いであろうが、良子はワゴン上から白いタオルを1枚取った。 それを リカの首の後ろから両肩の上に拡げ、両端を胸元で赤いダッカールによって留める。 すると これ迄クリーム色1色だった姿が、肩に真っ白いタオルが掛けられる事によって 絶妙なカラーバランスが生まれた。 
   それにより、リカの姿が より美しく輝きを増すのだ。 勿論、これは マリ店長のセレクトであり、功績である。 良子は そういった事は一切意識せずに 只、用意されている物を 上から順番に使っているだけなのだから。
「どうでしたか? 新しいシャンプー台は。」
   と、尋ねながら良子が リカの頭からクリーム色のタオルターバンを そっと外す。 すると、しっとりと濡れて黒光りした美しい髪が露わになった。 クリーム色のカットクロスに遮られているので、服は見えないモノの 首から上だけは、やっと自分の普段の姿に再会出来て 安心をした リカ。 少しだけ、恥ずかしそうな表情を和らげて、
「何だか 凄く楽で、良かったですよ。」
   と、にこやかに答えた。 良子は ワゴンから目の粗いコームを取って、リカの髪の1本1本にトリートメント剤が良く浸透するように 丁寧に櫛目を通しながら、
「そうでしょう? 体勢がとっても自然体ですものね。」
   と言い、その後は静かに何度も何度も 優しく髪を撫で付ける。 綺麗なオールバック状の 自分の頭を鏡の中に見ながら、満足げな表情を浮かべる リカ。 それはこれ迄、ふみこ美容室で何度も経験している このヘアケアーが、目に見えて効果が有るのを良く知っている為であろう。
   良子は コームを置くと、もう1枚の白いタオルを細く巻いて、リカの首の後ろから顔周りに ターバン状にあてがう。 そしてその、タオルターバンの交差した部分を長いゴム紐の端にある輪ゴム状になった部分で留める。 その後、ゴム紐のもう片方の端に付いたクリップを 頭上からスーッと後ろへ引き、ターバンの首の後ろ部分に留めると、
「はい!それじゃあ、髪にしっかりと栄養が浸み込むように ミストを かけましょうね。」
   と、言いながら 脇に用意してあった 黒いボディーのピジョン・ミスティーO2を寄せる。 そして、吹き出しホースの先端ノズルに掛けてある、クロスと同じ様な パール状のメタリックな光沢に輝く クリーム色のミストキャップを手に取った。 その、被り口の黒いゴム部分を 両手で広げながら、リカの頭に前の方から ターバンの上にキッチリと沿うように注意しつつ、ゆっくりと丁寧に被せる。
   すると まだミストが入っていない状態のキャップは、大き目の厚手ビニールキャップといった風情で リカの肩の白いタオル上に、ペッタリと垂れ下がっている。 注入口のプラスティックの重みの為であろう。 そして、控えめにクリーム色の光沢を放っている キャップの注入口に ホースの先端を挿し込みながら、
「少〜しだけ、熱くなりますからね。」
   と言って、ミスティーO2のスイッチを入れる良子。 鏡越しに 少し上目使いに良子の目を見詰めて、
「はい。」
   と、すっかり 良子を信頼しきった表情で返事をする リカ。 吹き出しホースから 勢いよく送り込まれて来るミストをはらんで、徐々に膨らむ ミストキャップ。 その光沢有るクリーム色の表面を、両手で軽く もて遊ぶかのような仕草をしながら、
「入って来た、入って来た。」
   と、無意識に 独り言を つぶやいている良子に対し、
「でも… いつも そんなに熱くは無いですよ、これ。 むしろ温かくって気持ち良い位。」
   と、その体感からの正直な気持ちを伝える リカ。
「そうですね。 おっしゃる通り、心地良く快適な温度だと思います。 トリートメントの栄養分が ゆっくりと髪の毛の内部まで浸透するように、比較的低温で 長い時間をかけるように設定してありますからね。」
   と言いつつ、ミストキャップのクリーム色で ツルツルした表面を、温度確認するかのように 両方の手の指を いっぱいに広げて擦っている良子。
「ああ…、温かくって良い気持ち。 この感触が楽しみで いつも通ってるような物ですよね〜、ここに。」
   と、リカが快感の声を漏らす頃には完全に、クリーム色のミストキャップは パンパンに膨らんだ。 その、上部に開いた3つの穴から シューッと、ミストの筋を吹き出しながら妖艶に輝いている。そして、
「いつも、何も注文しなくてもサービスで これをやって下さるから、お家に帰ってからも 1週間以上は髪が しっとりサラサラしているんですよ。 それが凄く気持ちが良くて、もう病み付きって感じです。」
   と、こんもり大きく膨らんだ メタリックな光沢に輝く、クリーム色をした風船の中に頭を突っ込んだ状態の リカ。 本当に 気持ち良く 嬉しそうな顔で、やや興奮して 無邪気に話し続ける。
   パールのような 光沢有るクリーム色で、大きく膨らんだミストキャップ。 そのキャップに殆んど隠されながらも 美しく端正な リカの顔。 その周りを優しく包み、控えめに少しだけ細く覗く 白いタオルターバン。 そして美しく輝くクリーム色のサテン地のポリエステル製袖付きカットクロスと、その肩に掛かって赤いダッカールで留められた 白いタオル。 更にそのタオルで出来たVゾーンの、クリーム色のクロスの衿元に ほんのちょっぴり見える 最初に首に巻かれた白いタオル。 それらの全てが見事に調和をしながら リカの美しさを正に演出し、引き立てているかのようだ。
   ミストキャップの表面を 無意識のうちに撫でるようにしながら、そして 吹き出すミストに手をかざして それらの温度の確認作業をしていた良子は、
「そうですね。 当店では 芙美子先生の方針で、全ての美容メニューに シャンプーとヘアケアー、つまり このトリートメント・サービスが付いていますからね。 先生は ご来店いただく全てのお客様の髪に、いつも健やかであって欲しいと心から願っております。 ですので、利益とか 全く抜きにして、ご奉仕を させていただいてるんですよ。」
   と言って、にっこりと リカに微笑みかける。 リカは心地良いミストの温かさで 頬を紅潮させながら、
「ええ、それって凄く ありがたい事ですよね。 それに第一、このお店って 色んなメニューが全部リーズナブルですよね。 …とは言っても私、これ迄 いつもカットだけしか お願いした事は無いんですけど。」
   と、首をすくめて ちょっぴり舌を出しつつ 一生懸命に話すものだから、その頭に被せられている クリーム色のミストキャップが、どうしても揺れてしまう。 それに伴ってキャップにつながったホースが、椅子の背をピタピタと叩いている。 その可愛い仕草を 優しい眼差しで見守りながら良子は、
「そうでしたよね、これ迄は。 でも今日は、思い切って パーマとカラーに、初挑戦してみましょうか?」
   と、ズバリ核心に触れた。 その言葉を聞いて、それ迄 まだハッキリとした決心が出来ないままだった リカは思わず、
「えっ!?」
   と、絶句して表情を強張らせた。 しかし、そこへ 間髪を入れず、
「勿論、パーマはソフトに くせ毛風。 カラーも トーンは抑え目にして、奇をてらわず ごく自然にイメチェンが出来るようにですね。」
   と、良子が気配りを見せたので、リカの顔から スーッと 不安と緊張が消えた。 そして、背中を押して貰って 決心が固まったのか、
「え… ええ。 良子さんに 全てお任せします。」
   と、まるで胸のつっかえが消えたかのような自然な態度で、信頼の言葉が発せられた。
   すぐ脇の サブ用具室で用具を選びながら、二人の会話を 一部始終聞いていたマリ店長。 彼女はその結論を、実は見事に予測していた。
  それで既に、リカの為のパーマとカラーの準備を それこそロッドの太さからカラーリングのトーンの選定迄、完璧に良子のイメージ通りに 2台のワゴンに準備を整え終えていたのだ。 そして、
{ うふふ。 やっぱり、私の思った通りだったわね。}
   とでも言いたげに、唇の端で にんまりと不敵な笑みを浮かべて ワゴンを押し始めた。 そして、
「ようこそいらっしゃいました、柴崎様。 ミストのお加減は如何ですか?」
   と、自信に満ちた語り口で リカに声を掛けた。それに対し一瞬、ドキッとした リカは、
「あ… はい。 快適です。」
   と、緊張の微笑みを浮かべながら答えた。 マリ店長は、
「今回、リニューアルに合わせて新しく導入したそのミストキャップ、素敵な色でしょう?」
   と、鏡の中の 新色・光沢クリーム色のミストキャップを被せられた リカの目を見詰めながら、優しく問い掛けた。 すると リカは、
「ええ、とっても。 でも何だか、少し恥ずかしいです。」
   と、照れ笑いしながら答えた。 すると ワゴンを定位置に止めたマリは、
「何で? どうして、恥ずかしいの?」
   と、ねっとりとした感じで更に問う。 そして、
「い… いえ、何と言うか? この、今の… 私の格好が何となく… 」
   と、困惑の表情を浮かべて、ドギマギしながら目を伏せがちに、鏡越しに答える リカに、
「恥ずかしがる事なんて、全く無いわ。 その新しい、綺麗な光沢あるクリーム色の大きなキャップとまるでドレスのようなクロスが とっても お似合いで、素敵よ。」
   と、優雅な身のこなしで腕を組み、真剣な顔をしながら やや強い口調で語り掛けた。マリ店長独特の、自信に満ち溢れた態度だ。 そう言われてリカは 更に照れながら、
「そ、そんな… 」
   と、下を向いて つぶやくように答え、頬をポーッと真っ赤に染めた。
{ うふふ、可愛い子だわ。 やっぱり、この子は私の睨んだ通りの素質を持った… }
   と、思いながら 更に一段と不敵な笑みを浮かべた店長は、
「今日は 貴女の記念すべき、パーマとカラーの初体験の日でしょう?」
   と、今度は一転して 猫なで声で問い掛けながら、
「でも、良子さんに全て任せておけば 安心でしょ?」
   と、更に優しい声で続けた。 コワ持てで、気迫溢れんばかりのマリ店長。 その、迫力ある問い掛けや 逆に媚びるような語り掛け。 そんな、まるで言葉による揺さぶりに翻弄された形の リカは、
「え、ええ。 勿論、信頼しています。」
   と、やっとの思いで答える。 そして、まるで助けを求めるかのように、鏡越しに良子の目を しっかりと見詰めるのであった。
   目を閉じて 気持ち良さそうに、うっとりとした表情を浮かべる リカ。 その リカを 愛おしむかのように優しく、 優しくシャンプーを続ける良子。
   クリーム色のカットクロスと、それに重ねられた明るいパールグリーンのシャンプークロス。 どちらも、悩ましく綺麗な光沢を放っている。 クロスの裾から覗く、黒いストッキングに包まれて スラリと伸びた リカの両脚。 そして足元の、スクエアな爪先にガッシリとしたヒールの付いた歩き易そうな黒いパンプス。 それが、キチンとフットステップの上に、揃えて乗せられている。
   シャカシャカシャカ と、リズミカルな音と共に ゆったりと静かな時間が過ぎていく。 リカが今にも眠ってしまいそうな程、気持ち良さそうにしているので 話しかけるのを遠慮する良子。 そうやって、黙々とマッサージをするかのようにシャンプーを続けている彼女に、
「ねえ、良子さん?」
   と、しっかりと目を閉じたままの リカが話しかけ、遂に その沈黙が破れた。
「はい。」
   と、優しく微笑みかける良子。
「実は さっきの話… 会社での事なんですけど、聞いて貰えます?」
   と、続ける リカ。
「ええ 勿論、私などが聞いても差し支えが無ければ。」
   と、優しく包み込むように答える良子に、恥ずかしいのか 目を硬く閉じたまま リカが話し始めた、その内容とは。
 
   数日前の事、会社のトイレで用を足している時に数人の後輩女性社員達が、しゃべりながら入って来た。 そして彼女らは、鏡に向かって化粧を直しながら、本人が中に居るとも知らずに リカの悪口を言い放題だったそうなのだ。 普段から、仕事が出来る リカに対する やっかみを強く持つ後輩達。 38歳で独身の彼女を、まるで お局的な オールドミス扱いをしている。 そして 腹いせをするかのように馬鹿にするという、どうしようも無い連中なのである。 そんな彼女らの、聞くに耐えないバッシングの数々。
   その中で、リカの真っ黒なストレートボブのヘアースタイルに対する批判があった。 やれ お堅いだの、野暮ったいだの という内容だ。 それが何故か今回特別、リカの心に引っ掛かってしまったようなのだ。 自分達よりも遥かに美しい、非の打ち所の無い美人に対するやっかみ。 しかも見た目だけでなく、仕事もバリバリ出来る リカへの嫉妬心剥き出しの、たわ言ではあるのだが…。
   彼女達からすれば、自分達が ほんの幾つかだけでも若いという事だけが唯一の拠り所で、リカだけを異常に年寄り扱いしているのだ。 しかし そういう皆も、既に30歳は とっくに越えている独身連中である。 なので、余り他人の事は言えない筈なのだが、本人達はそれに全く気付いていないのが滑稽だ。
   リカは、
「やっぱり、今どき 真っ黒で 真っ直ぐな髪って、野暮ったいんでしょうか?」
   と、悲しい声で質問する。 普段、女企業戦士として バリバリ活躍している リカの姿からは想像出来ないような、とても気弱な雰囲気が漂う。 しかし、実は この内気で遠慮がちな性格の方が、本来の リカの姿なのである。 仕事の時に見せる、男顔負けの強いイメージこそが、偽りの姿だと言える。 開き直りというか 一種のトランス状態を無理して、常に作り出し続けているのだ。
   そうやって毎日 構えていればいる程、休日に素の自分に戻ったときのギャップが大きくなるのだろう。 しかも、自分が 心を許せる唯一の存在、良子の前である。 ホッとして、正直に ナチュラルな姿を さらけ出す事が出来るのだ。

   シャンプーを終え、その滑らかな生クリームのような泡を シャワーで念入りに すすぎ落としながら良子は、
「そんな事ありませんよ。 確かに最近は 茶髪全盛時代で 染めている人が殆んどかもしれません。 けれども、柴崎様の綺麗な黒髪は とっても魅力的ですし、ストレートのスタイルも 良くお似合いだと思います。
   その時々によって、髪の長さだけは 少しずつ違っていても、確立された ご自分のスタイルを守り通されていますよね。 そういう 芯の通った姿勢は、柴崎様の個性をとても良く際立たせる事になります。 ですからそれは、ビジネスの場においてもプラスにこそなれ、決してマイナスになる筈がありません。
   そして 暫らく前からは、私の提案を聞き入れて下さり 裾にシャギーを入れるようになったでしょう? それからは又、随分印象が まろやかになって、更に魅力的になられましたよ。」
   と、誠実な態度で キッパリ と答える。
「ええ。 私も 前よりずっと良くなったと思っていますけど…」
   と、歯切れの悪い リカ。 それに対し シャワーを止め、両手を使って 彼女の濡れた髪の余分な水気を、粗方取ってしまった 良子。 その後、髪に栄養を与えつつ パーマやカラーをする際にはプレ処理剤ともなる、この店オリジナルのトリートメント剤を たっぷりと手のひらに取る。 そしてそれを、リカの髪全体に塗り始めながら、
「でも 今日は… 思い切って、ほんの少しだけ冒険してみたい って所かしら?」
   と 質問を切り出してみる良子に、
「え… ええ。 まあ…」
   と、まだ本当に決心がつかない様子で口ごもる リカ。 その曖昧な返答に対し、それ以上 その件には触れる事をせずに、施術を続ける良子。 そして今度は、今しがた シャンプーの際に自分の指を通して感じた、リカの髪の素晴らしい健康状態に関する話題に切り替える。 とても手入れの行き届いた、ベストな髪の状態を心から賞賛しながら リカの髪に、まんべん無くトリートメント剤が行き渡るように塗り続けた。
   そうやって、完全にたっぷりと塗り終えた所で良子は、シャンプーブースから手が届く所にある棚の上に手を伸ばす。 そして、そこに積んである20枚程のタオルの中から、特別に意識する事も無く 淡いクリーム色の物を1枚選び取り、それを両手で拡げると、手早く リカの頭をターバン状に包む。 その後、パールグリーンのシャンプークロスのマジックテープを、バリッと剥がしながら椅子を起こした。 そして、シャンプーボウルから首を起こして 虚ろいから覚めたように目を開けた リカに、
「さあ、お席へ。」
   と、言いながら 濡れたシャンプークロスを黒いボウルの脇に在る ランドリーボックスに入れる。 立ち上がるように促がす為、背中を軽く押す良子に リカは、
「ああ〜、 気持ち良かった。」
   と、小さな声で 独り言のように答え、シャンプー椅子から腰を上げる。
   そして 良子に先導される形で [R席]の方へ向かう。 その、リカのクリーム色のカットクロスが揺れて キラキラした光沢が とても美しい様は先程と同じだ。 只1つ違うのは、綺麗な黒髪を覆い隠すように包まれた 淡いクリーム色のタオルターバンである。 これによって、頭から全身にかけてクリーム色1色になってしまっているのだ。 その恥ずかしい姿を確認するかのように、歩きながら[M席]の鏡を チラッと覗き見る リカ。 するとそこには、自慢の美しい黒髪が クリーム色のタオルですっかり隠されている自分が映っている。 その状態は、顔が丸々剥き出しになっていて 相当恥ずかしい。 そして今度は[R席]の鏡に映る自分を見て、
{ まるで、てるてる坊主みたい。}
とでも思っているのだろうか? 恥ずかしそうに目を伏せながら、早足で歩く。 はにかむようなその様子が、何とも初々しい眺めだ。 そんな羞恥心たっぷりの仕草が、シャンプー台への行き道とは 又、違った趣きで ほんのりとした色香を漂わせている。 但し、この全身クリーム色1色の リカの姿はマリ店長の計算では無かった。 良子が、シャンプーブースでタオルを選び取った際の、偶然の賜物だったのだ。
 そう、 そこに積んであるタオルの半分は真っ白であった。 しかしそれを選ばず、無意識に クリーム色の方を手にしたのだから…。
《 リカの悩み ~ シャンプー… 》
 
   その間[R席]の方では リカがセット椅子に案内され、座っていた。 すると良子がまず 彼女の、ピンクのブラウスの やや高めの衿を器用にクルリと内側に折り込む。 次に、マリ店長が準備したワゴンの上から白いタオルを1枚取って、首の前方から巻いた。 そして、その端を背中側で交差させて 両肩の上に平たく納める。 それから ワゴンサイドに掛けてある、光沢の有るクリーム色 サテン地のポリエステル製 袖付きカットクロスを手に取ると、その広げた衿の部分を両手で持って、膝の方からフワリ と滑らせるように 手前に引く。 その時、リカの自然に上げられた両手に 袖を通すように更に引き続けて、首元をタオルが ほんの少し見える位置で、マジックテープで留める。
   その後、クロスの裾がセット椅子の背を、充分に覆い隠すようにしながら その衿と裾の中間にあるマジックテープも留めた。 すると、スッポリと 彼女の身体と椅子全体を包み込む形でまとわせ終える事が出来た。 それから良子は リカの さほど長くない、真っ直ぐな黒髪にブラシを通しながら、
「さて 柴崎様、今日は 如何いたしましょうか?」
   と、優しく質問した。 頭と手足以外を、スッポリとクロスで包まれた状態の リカ。 それはまるで、サテン地の艶々したクリーム色のドレスで身をまとった、美しい お姫様のようだ。 そのプリンセス・リカは、首を左に傾けるようにしながら クロスの袖から出した右手で、自分の髪の毛先を 指を絡ませるような仕草で いじりながら、
「そうですね…  今日は…、 一寸…   ほんの一寸だけ…   イメチェンしてみようかなぁ〜…   と思って…」
   と、少し暗い表情を浮かべながら、ポツリポツリ… と答えた。 良子は ソフトなタッチでブラッシングをしながら、鏡越しに その表情の変化を見逃さず、更に優しい声で、
「会社で何か、嫌な事でもあったんですか?」
   と、ズバリ 尋ねた。
「えっ!  な… 何で分かったんですか?」
   と、今度は ビックリした顔で、鏡に映る 良子の柔らかい微笑みを見上げる リカ。
「え、ええ…  何となく。 ご来店の時迄は、走って来られたせいもあって 気丈に振る舞っておいででした。 けれども、この椅子に座られて こうしてクロスを まとわれた時からの、まるで思い詰めたような眼差しが… 」
   と、ブラッシングを続けながら話す良子。
「我々 美容師は、鏡に映った お客様の お顔から、色んな情報を引き出すんですよ。 不思議と 直接お話をしていても気が付かない事でも、鏡越しだと伝わって来るんですよね… 」
   と、ブラシを一旦 ワゴンに載せてから、さり気なく両手の指で リカの髪に手櫛を通す。 そして、指先で毛髪の状態をチェックしながら、
「毛先も傷んでいないわね、よし!」
   と、独り言を つぶやき、
「ホント、不思議なんですけどね。」
   と、リカに向けての言葉を続ける。
「へえ〜? そんな物なんですか。」
  と、素直に感心する リカ。
 
…ここで良子は、サラリと いかにも美容師全般が そうであるかのような言い方をしている。 しかし実際の所、この鏡越しの感性は 心理学博士でもある彼女の、特技中の特技であるので、誰もが感じ取る事が出来るという訳では無い。 念の為…
 
   そして良子は 更に、
「それに、いくら今日が サロン・ド・F(エフ)の新装開店日だからって… あの、お仕事熱心な柴崎様が ご来店いただいている事がまず、とても不自然です。 お忙しいはずの平日に、わざわざ お休みを取って… 等と言う事は、今迄には決してありませんでしたし。 それに、ご予約の仕方も いつもとは全然違いました。 これ迄でしたら、必ず ご希望をキッチリと お決めになってからしか いただいて無かったのが、今回は 白紙のご予約でしょう?」
   と、今度は 状況証拠を次々に並べていく。 それに対して リカは、観念した様子で、
「参ったわ… 流石、良子さん。 でも 正直、私の事を そこ迄、気に掛けて下さっていて 本当に嬉しいです。」
   と、やや 興奮気味に話す。 すると 良子は、
「さあ! それでは、どんな風にするのかは、ゆっくり話し合いながら決めるとして、まずはシャンプーから行きましょうか。」
   と、元気に 励ますような声を掛けながら、リカの両肩を 軽くポンと叩き、
「こちらのシャンプー台へ、どうぞ。」
   と、言ってエスコートした。
「はい。」
   と答えながら リカは、クリーム色のカットクロスを身にまとったままの姿でセット椅子から立ち上がる。 すると、クロスの背にある 衿と裾の中間部のマジックテープが、外れそうになった。 クロス全体が、椅子に擦れるように引っ掛かる為だ。 そして、良子に促されるままに黒いバックシャンプー台の方へ歩き出した。 するとその、リカの歩みに合わせて クリーム色のカットクロスの袖や裾が、ゆらゆら揺れる キラキラと綺麗な光沢を放つ様が、とても美しい。
   そして、黒いシャンプー用の椅子に リカが座ると、良子が 黒いボウル横のフックに手を伸ばす。 そこに掛けてある、数枚のシャンプークロスの中から 使用する1枚を選び出す為だ。 そして 数秒後、綺麗な光沢の明るいパールグリーンの物に決めた。 それを、リカの背後からクリーム色のクロスの肩に重ねるように着せながら、
「この新しいシャンプー台、凄く楽で 良いですよ〜。 殆んど自然に座ったままの姿勢でシャンプーしますからね。 それに、フェイスガーゼも必要無いので 普通に会話しながら出来ますしね。」
   と、言葉を掛けつつ 首元のマジックテープを留める。 そして 背中を軽く押さえるようにしながら、椅子を少しだけ リクライニングさせる。 その時、シャンプークロスの背中側にある半透明の防水用ベロをボウルに入れながら、少し緊張して首に力が入っているリカの頭を 優しくホールドして、
「大丈夫ですよ、力を抜いて下さいね。」
   と、声を掛けながら シャンプーボウルの窪みに誘ない終える。 その後 ボウルの頭側、施術者の立ち位置に移動して、
「さあ、流しますよ。」
   と、まず シャワーの湯を自分の手首にかけて温度を見ながら、少しずつ リカの髪を濡らしていく。 そして たっぷりと髪の全体に お湯を行き渡らせたら一旦 シャワーを止める。 それから、ポンプ式の容器から 一押し、シャンプーを手のひらに取った。 この店オリジナルの良質な純植物性の物だ。 それを丁寧に、髪全体に馴染ませながら泡立てていく。 シャカシャカシャカ と優しく、そして時には力強く、リズミカルなタッチでのシャンプーマッサージが始まる。

「えっ? 何よ 貴女、先生にアメリカ迄 行かせて貰ったの? で、ここに在るグッズを み〜んな 彼氏と一緒に選んで来たって訳?」

   と、美代子が驚いた表情で 立ち上がりながら尋ねると それに対し、

「ええ、そうですよ〜。 費用も全~部、先生持ちで〜。」

   と、まるで屈託の無い笑顔で答える明美。

「んまぁ〜! 先生。 それって、一寸 甘やかし過ぎなんじゃ無い?」

   と、いきり立つ美代子。 子供の頃から 映画道楽だった父親に連れられて、数知れない映画を観て育ってきた彼女は、そんな中でも アメリカの底抜けに華やかなミュージカル映画や、開拓者精神溢れる西部劇に、特に強い感銘を受けて来た。 それでいつしか、アメリカという国そのものに憧れの念を抱き続け、育って来たと言える。 そして、大人になり 宝飾の仕事で果たした成功。 そこで手に入れた富により、世界中を旅行して回る事が出来るようになったのだ。 そんな中、やはり世界中のどの国よりも アメリカが好きで 何度となく足を運んだ。 しかし 自分が経験して来たのは、あくまでも観光旅行であり、言うなれば上辺だけの観光客向けのアメリカである。 そんな思いが、瞬時に心の中で交錯してしまったのだ。 それで、今の明美に対する強い嫉妬 という形で表れて、その矛先を向けた扶美子に対してつい、声を荒げてしまったのだろう。 しかし、

「え? そうですか?」

   と、キョトン としている芙美子の言葉と姿に、完全に肩透かしを喰らってしまい、

{ だめだこりゃ。 この人に何を言っても… }

   と、諦め顔で 心の中で呟き、つい失笑してしまう。 そして、そんな事にムキになって いきり立っていた自分自身が滑稽に思えてしまうのであった。 そうやって、心を和ませて 表情を和らげる事が出来た美代子。

   この、上手く場を治めた芙美子の対応は、天然の賜物なのか? それとも計算し尽くされた物なのか? それは本人だけにしか分からない謎である。

「では 最後の最後に、特別に こちらへ。」

   と、すました顔で芙美子が 美代子を促して歩き出し、ウエスタン・ワールド奥に在る バックシャンプー式の白いシャンプー台の脇を通り過ぎた。 そして 古びた羽目板の壁から又、元の白い壁紙に戻る部分に迄、差し掛かる。 


…そう、このウエスタン・ワールドには専用のシャンプー台迄 備えてあるのだ。 それはまるで明美の為に、あたかも一軒の独立した美容室が与えられているようだとも言える。 

   只、実は 芙美子とマリ店長による 当初の計画では違っていた。 それは元々、夏樹を除く 現在居る4人のスタッフのうち、マリ店長と良子が黒いバックシャンプー台を使い、芙美子と明美が白いスタンダードのシャンプー台を使う予定だったからだ。

   それが、次のプランの段階で 明美の席を独立空間にする事が決まった。 下半分が空いているとはいえ スイングドアーで仕切って、それ以外の部分は板壁という形でだ。 しかしそうなると、明美のお客様にシャンプーの度、扉越しに移動していただく事になってしまう。 流石に それでは 大変で、あんまりであろうとの判断で、結果[A席]にも専用のシャンプー台を設置する事にしたのだ。 しかも、若人向けにバックシャンプー式の台が導入される事になったのである。

   そしてそれは、使う明美にとっても 大きなメリットになる。 まず、バックシャンプー式だと お客様とワイワイ おしゃべりしながらシャンプーが出来る。 しかも、自分も腰が痛くならなくて済むので 願ったり叶ったり という訳なのだ…

 

「本来は スタッフオンリーで、決して お客様にお入りいただく場所では無いんですけれど…」

   と、芙美子が説明する通り 美代子の目の前に開けた、その広々としたスペースは、先程からマリ店長が 道具の出し入れの為、忙しく何度も出入りしていたメインの用具室だったのだ。[A席]からも 他の3つの席からも、間仕切り無しで直接行き来が出来るような造りになっていたのである。 

   規模は数倍ではあるが、基本的に逆サイドのサブ用具室と同様の造作である。 壁の、丁度胸位の高さから上に造り付けられた真っ白の収納扉。 その中には、各種の液剤や様々な小物類が収められている。 そして、収納下部に在る胸の高さのバー。 そこに ズラリと並んで架けられた、色取りどりのパーマクロス、カラーリングクロスやカットクロス。 こちらのクロス類は、サブ用具室に架かっているような、上品な抑えられた色調とは明らかに違う。 華やかで派手な色合いの、明るいピンクやパープル、そして真っ赤や鮮やかなイエロー、オレンジ色等も混じっている。 それら各々の色目が、カット用のサラリとしたナイロン素材タイプと、光沢のあるヌメッとした防水生地の塩化ビニール製パーマ用とが取り揃えてある為、かなりヴォリュームある枚数となっているのだ。 それと特筆すべきは、女性らしさ満点の花柄クロスの種類の豊富さだろう。 流石は、女性専用美容室である。 そんな、かなりカラフルな様相は、正に 壮観という感じだ。

   そう… こういった、クロスの色目の違いこそが、用具室を[R席]と分けた、最大の理由なのだ。 勿論、店が広い為に起こる マリ店長の負担を軽減する為という物理的な事も、重要な理由の一つだが…。

   それと、現在その フロアー上には マリ店長と明美用のワゴンに、キャスター式のフード・ドライヤーが1台。 そして、遠赤促進器2種類に ミストブロー器1台が 整然と置かれている。 芙美子用のワゴンと もう1台のミストブロー器は、先程 マリ店長によって既に [F席]に運び出されている。 


「うわぁ〜、凄い! こんなの初めて見たわ。」

   と、まるで 美容材料店のショールームであるかの如く美容用具で溢れかえった様子に、度肝を抜かれた 美代子。 いや、ここ迄 ズラリと50枚以上も架けられたクロス類に関しては、下手な材料屋以上の規模なので、もし? 美容業界関係者が見たならば、もっと驚くのかもしれない。 

   では何故、こんなにも多くのクロスが用意されているのだろうか? その訳は、芙美子の強いこだわりによるものである。 1枚のクロスを、一人のお客様に使用したら、それをそのまま次のお客様に使う事は決して許されないのだ。 

   1度使用されたクロスは必ず洗濯をする、というこの店独自の厳格なルールがあり、それで必然的に これだけの数が必要になるのだ。 実際に お客様によっては、香りのキツイ香水をタップリ使用されている方も多く、その匂いがどうしてもクロスに移ってしまう事があるからだ。 それがもし、次のお客様にとって苦手な匂いだった場合、その方の大きなストレスの原因となってしまう。 それでは、大変失礼な事になってしまうから、という訳なのである。

「さあ! これで店内を 一通りご覧に入れましたので、お席の方へ ご案内いたしますわ。」

と、芙美子が声を掛け 美代子と二人で歩き始めた。 今度は、用具室から店内に戻る際に 先程のウエスタン・ワールドの方からでは無く、マリ店長が行き来していた通路の方を通って、直接 [N席][F席][M席]の方に向かって行く。 


   美代子には ここ迄しか案内しなかったが、実は メイン用具室の一番奥には ひっそりと白い大きなドアーがある。 で、その向こう側には何と部屋中が常に乾燥状態になっている、という乾燥室が在るのだ。

   これ又、芙美子流のこだわりの一つである。お客様の肌に直接触れ、お顔(鼻)に近い所で使用するタオルやクロス類。 中でも特に、直接 水に濡れるシャンプークロスが、常にベストコンディションで使用出来るようにする為の設備なのだ。 例えどんなに天候が悪く 湿気が多い日でも、常にカラッとした状態が保てるように、との配慮で設けられたのである。

   美容室のお客様というのは、髪の手入れの為だけでは無く、心のリフレッシュをも求めて ご来店になる方が殆んどと言える。 その大切なお客様がシャンプー台に案内されて、首元にシャンプークロスが掛けられた瞬間。 その時にもし? 梅雨時の 生乾きの雨ガッパみたいな 嫌な臭いが、ほんの少しでもしたならば どうであろう。 リフレッシュどころでは無い不快感、嫌悪感が湧いて 興醒めもいい所である。 だからこの、芙美子の美容室に於いて、決してそのような失態が起こらないようにする為の、最低限必要な心配りなのである。

   実際に、洗濯後の脱水まで済んだタオルならば、ほんの1~2時間も干しておけば カラッカラに乾いてしまう。 ましてや ナイロン地のクロス類だと、あっと言う間だ。 勿論、光熱費は それだけ余分にかかる事にはなる。しかし、そんな経費の問題よりも、お客様の満足度を第一に優先すべきという、芙美子の強いこだわりの現れなのだ。 そんな純粋な思いで用意された部屋中乾燥機という施設は、しかも24時間365日フル稼働である。 他の誰が、こんなスケールの大きい前代未聞の特殊な部屋を思い付くであろうか?

   日々店で使われた タオルやキャップ、クロス類が 洗濯された後、ここで充分に乾燥させられそれから、順次 用具室に移動 という流れになっているのだ。

   ところで、美容用具を用具室から各々の席へセットアップするのは、ジェネラル・マネージャーとしての マリ店長の大事な仕事の一つである。 ところが彼女は、それに付随した下準備である タオルやクロス等の洗濯から乾燥、そしてそれらを畳んで用具室の所定の場所に片付ける事迄の全てを、毎日 一人でこなしているのだ。 そう… ふみこ美容室の頃から、全責任を持って。

  

… もっとも、当時は 部屋ごと乾燥室では無かったので、コインランドリーで使用されている業務用乾燥機を使っていた。 普通の美容室だと乾燥機は無しか、あっても家庭用の電気式であろう。 それが、ふみこ美容室の場合は、前述した芙美子の強いこだわりにより 大型ガス式の業務用が、しかも2台も据えてあったのだ。…

 

   一般的に考えて、通常は新米の仕事にさせられそうな雑務を、決して若い明美に押し付けたりする事などせずにだ。 これは、マリ店長の強いこだわりであり、美容用具への愛情でもある。 そして又 リーダーとしての、彼女流の後輩指導の役割も 同時に果たしている。 何故ならば、店長として上に立つ人間が他人の嫌がる下働きのような作業を 率先してやる事によって、下の者達は 自然と動きが良くなって来るものなのだ。それで 芙美子を中心としたマリ店長、良子、そして明美の、素晴らしい結束・チームワークが育まれ、何処にも負けない美容室となっている訳だ。

   ところで 今回の、部屋中が丸々 乾燥機という設備に対してマリ店長は、

{ これじゃあ全く、タオルやクロスには良くっても、私の お肌の潤いも奪われてしまって、干物にさせられちゃうわ!}

   といった不安な思いも、正直言って 隠せないのだが、

{ まあ… その分、今迄以上にテキパキと行動すれば良いって事よね。}

   と、逆に プラス思考でファイト満々に闘志を燃やすのであった。 実際に今朝も、開店初日ではあるが、既に 昨日迄営業していた ふみこ美容室で使用した分が、沢山干してある。

   カラフルなタオルやクロス、そして ビニールキャップ類が、とても華やかな風景で。

《 元気印の明美と 別世界… 》


   芙美子と美代子は[R席]を出て、今度は先程の逆に 黒いバックシャンプー台から[M席][F席][N席]の前を通り過ぎる。 そして、逆サイドの白いボウルと椅子のスタンダードなシャンプー台の所までやって来た。 そこで、その先に在る明美の[A席]を目の当たりにして 美代子が 思わず、 

「えっ!」

   と絶句してしまう程、この一角は 又、これ迄の席とは 全く、趣きが違う造りになっているのだ。

  芙美子が、少女のように おどけて、

「ようこそ! 明美のウエスタン・ワールドへ。」

   と、わざとらしくポーズを取りながら 手招きしてみせたが、その通り ここは まるで西部劇の舞台のような 夢の別世界なのだ。 先程の白いシャンプー台横の白い壁紙がまず、古びた納屋のような木材の 羽目板造りに変わる。 そしてその先に [ SALOON ] と、描かれた 古びたサインボードが掲げられた入り口。 そこに スイングドアーと呼ばれる、まるで西部の町に在る酒場のような 扉が付いている。 あの独特な、パターン と両側に開く 足元の空いた古い木製扉だ。 その為に、他からは独立した かなり異質な空間となっているのだ。

   美代子が、 

「へえ〜…」

   と、感心しながら 両手で そのスイングドアーを、左右に分けるように押し開いて中に入ってみると、

 Welcome!」 

   と、明るく 元気な声で出迎えたのは、ここ ウエスタン・ワールドの主、栗原 明美である。

   先程、芙美子の言いつけで、いただき物の花を待合いスペースのテーブルに綺麗に飾り付け終えて、その後 ここに戻って来ていたのだ。

   二人組みのミュージシャン・パ●ィーの、吉● 由美に そっくりで、大きなキラキラした瞳が印象的な29歳の、バリバリ元気印の娘だ。クルンクルン のスパイラルにパーマをかけた、明るいブラウンのロングヘアー。 それに カウボーイハットがトレードマークの、本場テキサス娘も顔負けな、カウガール・スタイルのファッションがご自慢だ。

   今日は、特に開店祝いの お祭り気分を盛り上げる為、真っ赤なハットに真っ赤な口紅を合わせている。 そして、胸元に赤い薔薇の刺繍が入った黒いウエスタンシャツに、真っ赤なブーツカットのジーンズを履いて、足元は赤く染められた蛇革のウエスタンブーツ という、出で立ちだ。 更に、忘れてはならないのが 大きなシルバー製のロデオバックル。 それらの、かなり特殊で個性的な物達の全てが見事に調和していて、彼女の派手な顔立ちにシッカリ と良く似合っている。 そう… 不思議と 全く違和感が無いのである。 これこそが正に、板に付いた着こなし という事なのだろう。 

   そして、最近の美容業界で流行の 腰に下げるタイプのシザーケース。 これも ウエスタン・フリークの明美らしいこだわりで、日本でも有数の 著名なレザークラフト職人に わざわざ別注で造って貰っているのだ。 それはそれは見事な、ウエスタン調の唐草模様を施した 本物のガンベルト型の芸術品である。

「うわぁ〜、素敵! ここ、まるで西部劇の世界みたいだわ。」

   と、美代子が賞賛の言葉を 興奮気味に発すると 明美が、

「ありがとうございま〜す、古賀様。 それでは、先生に代わって 私が、このウエスタン・ワールドの ご案内を致しま〜す。」

   と、まるで トレードショーか、モーターショーのコンパニオンのように ポーズを取りながら嬉しそうに説明を始めた。

「まず、ご覧になって お分かりの通り、ここは西部の町で〜す。」

   と、周りのウエスタン的な数々の調度品を指し示し、

「そして この椅子、なかなか良いでしょう?」

   と、先程のガンベルト型 シザーケースと同じ ウエスタン調・唐草模様の細工が見事な セット椅子の背を撫でながら、

「このケースと同じクラフターの方に造っていただいたんですよ〜! 見てくださ〜い、私のイニシャルの [A]も、革製なんですから〜。」 

   と、説明を続ける。

   そう、この[A席]を含む 店内全てのセット椅子の革張りを、明美のツテで同じレザークラフト職人に依頼していたのだ。 しかも、他の4脚は 全てシンプルな無地なのに対して、この明美の席だけが特別に、最上級の 凝りに凝った ウエスタン・スタイルの唐草模様細工を施して貰っているのだ。それと、 

「この鏡の周りも、同じレザークラフトで統一してあるんで〜す。」

   と、自慢気に 明美が言う通り、鏡周りにも それはそれは見事な、大胆な図柄ながらも緻密で繊細なウエスタン式・唐草模様の革細工が施してある。 又、とりわけ その上部に 鏡の幅よりも左右に グッ と張り出すように取り付けられた、全幅で2mは在る テキサス・ロングホーン種の牛の角は圧巻だ。 本当に、目の前に迫って来る感じで 凄い迫力である。 

   そして 鏡の下に張り出した棚も、周りの壁と同じ 古びた木材(バーンウッドと呼ばれる、実際に アメリカの田舎の納屋で何十年も風雨に晒されていた解体木材)が使われていて、独特な とても良い雰囲気を醸し出している。又、その棚のサイドに付いた 本物の馬の蹄鉄を曲げたフックには、若い明美らしい 真っ赤なハンド・ドライヤーが架けられているのだ。

「そしてここが、順番を待っている人達の為のソファーで〜す。 何と、本物の牛の皮ですよ〜! 脚も全~部 本当の角なんですから〜。」

   と、明美が指差した 待合いの、4人は楽々 座れそうな大型のソファーが 又、凄い迫力だ。 彼女が言う通り、白黒のブチ模様そのまんまの一頭分丸々の牛毛皮張りのシート。 そしてその、4本の脚は 程好く曲がった牛角その物で、両側の手摺り部分迄もが 同じ角で出来ている。 そんな、まるでテキサスの 石油成金の大邸宅にでも在りそうな、超豪華な代物なのだ。 この度肝を抜くようなソファーや、先程の 鏡上のロングホーン。 それらは、その他の ここに在る全ての西部的な調度品と共に 普段、中古家具・雑貨商としてアメリカから直輸入をしている明美の彼氏によってコーディネートされた本場の、本物中の本物なのだ。

「どうぞ、試しに ここに お座りになってみて下さいな。」

   と芙美子に促され、この超豪華な大迫力の キワモノソファーに腰掛けてみた美代子は、

「うわぁ〜、凄い! な…  何て滑らかな毛並みなの! まるで身体に吸い付くような感触で、座り心地、最高だわぁ〜。」

   と、ご満悦の様子である。 その美代子に対し、

「これ、彼氏と一緒に アメリカに行った時、私が見つけたんです〜。 で、もう絶対に これが良い〜! これしか無い〜!って選んで来た物なんですよ〜。」

   と、興奮気味に たたみ掛ける明美。


…そう、元々この広々とした建物は [ふえちマーケット] という、地域密着型の小型スーパーだった場所である。 それを 美容室として改装するにあたって 約1年前、芙美子とマリ店長が プランを練り始めた時に話を戻そう。

   まず最初の段階で、店の重要なコンセプトの1つである マンツーマン方式のイメージ造りと、その定着・固定化についての検討がなされた。 その時に、芙美子も含めた4人(夏樹も入れれば5人)のスタッフ全員が、各々接客・施術に使用するセット椅子を 1つずつ専有する、というアイディアが生まれたのだ。 

   そうする事によって 顧客の皆様が、指名替えをしない限りは、ご来店の度に 常に決まった椅子に お座りいただく事になる。それで[私の行きつけの美容室。 そして、私だけの席。] という感覚をより強く感じていただけるはずと考えられたのだ。 そこで 折角ならば それらの席を椅子の色から、鏡周りから、備品まで、それこそ各々の お城としてトータルに 思いっきり 個性を際立たせるような造りにしよう、という事になった。 それでそのまま、どんどん各席のイメージが固まって、具体的になっていったのだ。

   そして今度は、各々 個性も客層も違う、4人のスタッフの固定席を どのように配置したら良いのか。 それと、只単に個性的でバラバラなだけでは全く意味がないので、それをどう共存させ、統一性を持たせて 1つの[サロン・ド・F(エフ)] という集合体として造り上げていくのか。 それこそ毎夜の如く、芙美子とマリ店長が 膝をつき合わせながら討論を重ねていったのだ。

  そんな中で、まず最初に考えられた重要な問題。 それは 良子のお客様は、この美容室でいつも静かにリラックスして心の底から癒されたい、と望んで居られるという事。 それに相反して、片や 女子中高生や若くて元気なキャピキャピの娘達が多い 明美の客層。 これらが、丸っきり正反対で両極端なのは、誰の目にも明らかである。 なので、この2席だけは絶対に離すべきだとの結論が、当然導き出される訳だ。 それで先ず、この相反する二人の席を両側の端に、各々配置する。 そして、その間に芙美子とマリ店長の席+夏樹の予備席を挟む。 更に、その3席の両側に2つのシャンプー台があるので[R席]と[A席]を、より離す事が出来る。

   只、良子の[R席]の方はまだ観葉植物で仕切る位の、全く独立はしていない空間でも良い。 しかし、明美の[A席]に関しては、そう簡単にはいかない。 完全予約制のマンツーマン方式ではあっても、何人かで連れ立って来店するという女学生特有の習性。 そうして、皆でワイワイ盛り上がって おしゃべりする という特徴。 それらを考慮すると、笑い声や大きな歓声が 他の お客様、特に[R席]まで届かないようにする必要が生じる。 

   そこで、待合いスペース迄を含めたクローズドタイプにする必要があるだろう、という事でこの形に落ち着いた訳である。 そう、防音の為に壁まで在る、独立空間として。 只、それは同時に諸刃の刃であって、それで本当に同じ店内だと言えるのか? という一抹の不安はあった。

   そして今度は、まずは良子を交えて話し合いをする事によって、あの まるで森林浴のような 緑の植物に囲まれたリラックス空間[R席]の基本設計が固まった。 次に 明美の意見も聞いてみると、常々 カウボーイハットをトレードマークとして 店内でも被っている彼女らしい希望が出た。 折角なら是非、大好きなウエスタンの世界を そこに再現してみたいというのだ。 それだったら、西部の町にある酒場みたいな構えにすれば 両側に開く、あの独特の扉を設置する事によって、上手い具合に半分独立的な繋がり感のある空間造りが、実現出来るではないか。 

   これで、芙美子とマリ店長が 最も心配していた、クローズドタイプによる弊害の心配が消え去った。 同じ店の中でありながらも 繋がりを完全に絶つ、という形にはならないからだ。 完全独立空間にする事による疎外感が無くなる、この一挙両得のアイディアに、それこそ それ迄の悩み・産みの苦しみも、嘘のように一気に吹き飛んだ訳だ。それで、芙美子とマリは飛び上がって歓喜の声を上げた。 明美を間に挟んだ状態で 抱き合い、喜びを表現し合ったのである。

   さて、そうなるともう そこからはトントン拍子に話は進んだ。 どうせやるんだったら徹底して個性的に、本物志向で強いこだわりを持った店造りにしようと、意気投合したのだ。 それで まず、普段から毎月のように アメリカへ商品の買い付けに行っている、明美の彼氏に相談を持ち掛けた。 そして、一緒に連れて行って貰うのに充分な日数を 明美に休暇を取らせ、本場のウエスタン的な内装材を調達せよ、との特命が出されたのだ。 それこそ 自分が店を一軒持つんだ、という位の責任と気構えで、彼氏と二人で納得のいく、本場の正真正銘本物の内装造りの為の材料・調度品を揃えるようにと。 そして、約2週間程の仕入れ旅行が敢行された、その結果なのだ…