目を閉じて 気持ち良さそうに、うっとりとした表情を浮かべる リカ。 その リカを 愛おしむかのように優しく、 優しくシャンプーを続ける良子。
クリーム色のカットクロスと、それに重ねられた明るいパールグリーンのシャンプークロス。 どちらも、悩ましく綺麗な光沢を放っている。 クロスの裾から覗く、黒いストッキングに包まれて スラリと伸びた リカの両脚。 そして足元の、スクエアな爪先にガッシリとしたヒールの付いた歩き易そうな黒いパンプス。 それが、キチンとフットステップの上に、揃えて乗せられている。
シャカシャカシャカ と、リズミカルな音と共に ゆったりと静かな時間が過ぎていく。 リカが今にも眠ってしまいそうな程、気持ち良さそうにしているので 話しかけるのを遠慮する良子。 そうやって、黙々とマッサージをするかのようにシャンプーを続けている彼女に、
「ねえ、良子さん?」
と、しっかりと目を閉じたままの リカが話しかけ、遂に その沈黙が破れた。
「はい。」
と、優しく微笑みかける良子。
「実は さっきの話… 会社での事なんですけど、聞いて貰えます?」
と、続ける リカ。
「ええ 勿論、私などが聞いても差し支えが無ければ。」
と、優しく包み込むように答える良子に、恥ずかしいのか 目を硬く閉じたまま リカが話し始めた、その内容とは。
数日前の事、会社のトイレで用を足している時に数人の後輩女性社員達が、しゃべりながら入って来た。 そして彼女らは、鏡に向かって化粧を直しながら、本人が中に居るとも知らずに リカの悪口を言い放題だったそうなのだ。 普段から、仕事が出来る リカに対する やっかみを強く持つ後輩達。 38歳で独身の彼女を、まるで お局的な オールドミス扱いをしている。 そして 腹いせをするかのように馬鹿にするという、どうしようも無い連中なのである。 そんな彼女らの、聞くに耐えないバッシングの数々。
その中で、リカの真っ黒なストレートボブのヘアースタイルに対する批判があった。 やれ お堅いだの、野暮ったいだの という内容だ。 それが何故か今回特別、リカの心に引っ掛かってしまったようなのだ。 自分達よりも遥かに美しい、非の打ち所の無い美人に対するやっかみ。 しかも見た目だけでなく、仕事もバリバリ出来る リカへの嫉妬心剥き出しの、たわ言ではあるのだが…。
彼女達からすれば、自分達が ほんの幾つかだけでも若いという事だけが唯一の拠り所で、リカだけを異常に年寄り扱いしているのだ。 しかし そういう皆も、既に30歳は とっくに越えている独身連中である。 なので、余り他人の事は言えない筈なのだが、本人達はそれに全く気付いていないのが滑稽だ。
リカは、
「やっぱり、今どき 真っ黒で 真っ直ぐな髪って、野暮ったいんでしょうか?」
と、悲しい声で質問する。 普段、女企業戦士として バリバリ活躍している リカの姿からは想像出来ないような、とても気弱な雰囲気が漂う。 しかし、実は この内気で遠慮がちな性格の方が、本来の リカの姿なのである。 仕事の時に見せる、男顔負けの強いイメージこそが、偽りの姿だと言える。 開き直りというか 一種のトランス状態を無理して、常に作り出し続けているのだ。
そうやって毎日 構えていればいる程、休日に素の自分に戻ったときのギャップが大きくなるのだろう。 しかも、自分が 心を許せる唯一の存在、良子の前である。 ホッとして、正直に ナチュラルな姿を さらけ出す事が出来るのだ。
シャンプーを終え、その滑らかな生クリームのような泡を シャワーで念入りに すすぎ落としながら良子は、
「そんな事ありませんよ。 確かに最近は 茶髪全盛時代で 染めている人が殆んどかもしれません。 けれども、柴崎様の綺麗な黒髪は とっても魅力的ですし、ストレートのスタイルも 良くお似合いだと思います。
その時々によって、髪の長さだけは 少しずつ違っていても、確立された ご自分のスタイルを守り通されていますよね。 そういう 芯の通った姿勢は、柴崎様の個性をとても良く際立たせる事になります。 ですからそれは、ビジネスの場においてもプラスにこそなれ、決してマイナスになる筈がありません。
そして 暫らく前からは、私の提案を聞き入れて下さり 裾にシャギーを入れるようになったでしょう? それからは又、随分印象が まろやかになって、更に魅力的になられましたよ。」
と、誠実な態度で キッパリ と答える。
「ええ。 私も 前よりずっと良くなったと思っていますけど…」
と、歯切れの悪い リカ。 それに対し シャワーを止め、両手を使って 彼女の濡れた髪の余分な水気を、粗方取ってしまった 良子。 その後、髪に栄養を与えつつ パーマやカラーをする際にはプレ処理剤ともなる、この店オリジナルのトリートメント剤を たっぷりと手のひらに取る。 そしてそれを、リカの髪全体に塗り始めながら、
「でも 今日は… 思い切って、ほんの少しだけ冒険してみたい って所かしら?」
と 質問を切り出してみる良子に、
「え… ええ。 まあ…」
と、まだ本当に決心がつかない様子で口ごもる リカ。 その曖昧な返答に対し、それ以上 その件には触れる事をせずに、施術を続ける良子。 そして今度は、今しがた シャンプーの際に自分の指を通して感じた、リカの髪の素晴らしい健康状態に関する話題に切り替える。 とても手入れの行き届いた、ベストな髪の状態を心から賞賛しながら リカの髪に、まんべん無くトリートメント剤が行き渡るように塗り続けた。
そうやって、完全にたっぷりと塗り終えた所で良子は、シャンプーブースから手が届く所にある棚の上に手を伸ばす。 そして、そこに積んである20枚程のタオルの中から、特別に意識する事も無く 淡いクリーム色の物を1枚選び取り、それを両手で拡げると、手早く リカの頭をターバン状に包む。 その後、パールグリーンのシャンプークロスのマジックテープを、バリッと剥がしながら椅子を起こした。 そして、シャンプーボウルから首を起こして 虚ろいから覚めたように目を開けた リカに、
「さあ、お席へ。」
と、言いながら 濡れたシャンプークロスを黒いボウルの脇に在る ランドリーボックスに入れる。 立ち上がるように促がす為、背中を軽く押す良子に リカは、
「ああ〜、 気持ち良かった。」
と、小さな声で 独り言のように答え、シャンプー椅子から腰を上げる。
そして 良子に先導される形で [R席]の方へ向かう。 その、リカのクリーム色のカットクロスが揺れて キラキラした光沢が とても美しい様は先程と同じだ。 只1つ違うのは、綺麗な黒髪を覆い隠すように包まれた 淡いクリーム色のタオルターバンである。 これによって、頭から全身にかけてクリーム色1色になってしまっているのだ。 その恥ずかしい姿を確認するかのように、歩きながら[M席]の鏡を チラッと覗き見る リカ。 するとそこには、自慢の美しい黒髪が クリーム色のタオルですっかり隠されている自分が映っている。 その状態は、顔が丸々剥き出しになっていて 相当恥ずかしい。 そして今度は[R席]の鏡に映る自分を見て、
{ まるで、てるてる坊主みたい。}
とでも思っているのだろうか? 恥ずかしそうに目を伏せながら、早足で歩く。 はにかむようなその様子が、何とも初々しい眺めだ。 そんな羞恥心たっぷりの仕草が、シャンプー台への行き道とは 又、違った趣きで ほんのりとした色香を漂わせている。 但し、この全身クリーム色1色の リカの姿はマリ店長の計算では無かった。 良子が、シャンプーブースでタオルを選び取った際の、偶然の賜物だったのだ。
そう、 そこに積んであるタオルの半分は真っ白であった。 しかしそれを選ばず、無意識に クリーム色の方を手にしたのだから…。