こうして良子と リカの会話が続いている間、芙美子は美代子に、

「良子さんの お客様が来られましたので、今のうちに こちらの [R席]の方から先に、ご案内しましょうね。」

   と言いながら、[N席]から [F席][M席]へと戻り、その左側に在る バックシャンプー式の 黒いボウルに黒い椅子のシャンプー台の前を通り過ぎる。

   そしてその先の、観葉植物に囲まれ奥まった 落ち着きのある空間、良子の [R席]の前迄 二人で歩いて来た。

   すると、

「うわ〜っ! ここは又、凄く落ち着いていて…  何だか、心癒される場所 って感じよねぇ〜。」

   と、美代子が思わず ため息混じりな、感嘆の言葉を漏らした。


 そう、それもその筈。 この [R席]は、サロン・ド・F(エフ)の中でも特に、お客様に最高のレベルで リラックスしていただけるように設計が なされた、本当に特別な場所なのだ。

   お客様に、より リラックス感を得ていただけるようにと、先程通った 黒いバックシャンプー台を過ぎた辺りから、床に置いてある観葉植物の数が グッと増え始める。 そして 周りの壁紙の色も、それ迄の清潔感あふれる真っ白から、優しく淡いグリーンの物に変わり、一寸した森林浴効果が表れるような設計が なされていているのだ。

    又、そこに ほのかに漂うアロマの香りも それを手伝っていて、一歩 足を踏み入れただけでも 心地良くなってくる。 そして、その中央に位置する 渋い、うぐいす色の革製セット椅子の背もたれ部分には、梨地仕上げを施して品良く 艶を消した真鍮製の銘板に、良子のイニシャル[R]の文字が 誇らしげに鈍く輝いている。 席正面の、鏡の縁取りと 鏡下に張り出した棚は、どちらも床と同じマホガニー調の天然木で統一されて、とても落ち着いた雰囲気だ。 又、フックに架かったハンド・ドライヤーも 渋い色調のグリーン と、徹底して 森林の雰囲気を追求してある。

   そして、とても大切な事だが、お客様の視界に入る正面の鏡周りには、下手すると目障りにも成り得る アーム式の器材は一切無い。 この席一番奥の 観葉植物の陰に、ひっそりと[R席]専用の キャスター付でスタンド式のフード・ドライヤーや遠赤促進器、ミストブロー器が置かれている。

   意外と広い店内の、丁度 反対方向にメインの用具室が在る為、マリ店長の負担を少しでも軽減出来るようにと、こちらサイドにもサブの用具室として この場所が用意されている訳だ。

 奥の壁に、胸の高さから上に造り付けられたマホガニー調の収納扉の中には、トリートメントやパーマ・カラーの液剤や ビニールキャップ、ロッドやペーパー等の用具類が収められている。 又、収納扉下部の丁度 胸の高さ辺りに付けられたバーには、ハンガーに パーマ用やカラー用、それにカット用のクロスが ズラリと掛けられているのだ。

   それらは、癒しの空間[R席]専用のクロス類なので、その雰囲気を決して損なう事の無い、グリーン系を中心とした 落ち着いた色調が取り揃えてある。 袖付き・袖無しの、上品なタイプが各種だ。

   これだけの素晴らしい空間と設備を整えて、与えて貰っている良子は、それこそ美容師冥利に尽きる というものであろう。 この事により、どれだけ芙美子が良子の事を評価していて、大きな期待を持って 見守っているかどうかが分かる。


「もう ここに関しては、何の説明も必要無いみたいですわね。」

 と、芙美子に声を掛けられて我に返る迄 美代子は、

「へえ〜…。 ふ〜ん…。」

 と、しきりに感心していて 半ば放心状態であった。 そして、

「ここ 素晴らしいわ、先生。 癒される。 本当に… 」

 と、今度は興奮気味に芙美子に訴える。

「ええ。 このスペースには、今回の改装の中でも最大に、一番の気を使いましたわ。 良子さんの お客様方は特に、普段の生活の中での喧騒を離れて、ほんの ひと時の癒しを求めて、この美容室に おいでになられる方が多いですので。」

   と、芙美子が答えると 美代子が、

「そうね。 ふみこ美容室でも 彼女の所、いっつも ひっそりと静かだったわよね。 その点、私なんて 先生とワイワイ会話をするのが楽しみで、来てるようなものだけどね。」

   と舌を出しながら、イタズラっぽい笑顔で返す。 すると芙美子は、

「そうですわね。 いつも楽しく お話しさせていただいてますわよね、うふふ…。 

 さてと、それでは最後に反対側、一番向こうの明美さんの席に ご案内いたしましょう。」

   と言いながら、美代子を促すように歩き始めた。  


   丁度その時、カウンターでの会話を終えた良子と リカが[R席]に向かって歩いて来ている所だった。 それで すれ違いの形になり、芙美子は 一旦 立ち止まると、遠目に リカに向かって深いお辞儀をしてから 再度 歩き始めた。

   マリ店長も、美代子の為の白いミストブロー器を[F席]にセッティングを終えて、リカの為の用具を揃えに[R席]奥のサブ用具室に入って 用具を選んでいる所だった。