我が家🏡関東在中

アラフィフ昭和で女子力高め夫
お父さん
もう家から巣立った ❶番目ロップイヤー
現在イギリス留学中 ❷番目UMAくん
 
わたしキメてるです

今回は父が亡くなった時のことを
書いてます
【死】の表現があるので
苦手な方は
読まないで閉じてください
😌


最初から



前回


前回までは

父が亡くなり

借金があることがわかりました

あるある、なんですかね…

結構あるみたいですね…




今日は

母について

少し書きたいと思います




母は四人兄弟の一番下で三女

結婚する前は

ワガママ放題に育ってきたと

自分で言っていました





実家は北関東

地主さんで

使用人が何人もいて



絹を作るお蚕さんの建物が

敷地内に何棟もあり

その他に農業もしていたらしいです





父と結婚し

地元よりも都会な場所に

お嫁入りし




父はこちらも四人兄弟の長男




嫁いできた

こちらも広い敷地に

別棟を建ててもらい住み

私と弟が生まれました

今もそこに住んでいます





その後私が嫁ぎ

弟も結婚して家を出ました





しばらくして

私にとっての祖父祖母の

介護が始まったあたりから

いろいろと

おかしくなってきた気がします





父と母が介護をしていた時

私は①番目を出産して

ほとんど手伝うことが

出来ませんでした





何かを人にしてあげることを

生きがいとする母は

今から思えば

介護と娘の出産で

大変だったと思います





①番目が生後半年で

入院することになり


私は母乳をあげに

一日3回病院に通ったり

不安定になったりもしました





その頃からか…母は



群馬県のある都市の

お寺?のお坊さん?なのでしょうか

今もここは不明ですが





ここの先生に電話すれば

大丈夫





というようなことを

言い始めました







①番目が退院してから

今までずっと…20年くらい

例えば


誰か家族に熱が出た

体調が悪い


旅行に行くのに

事故に合わないように




最近では


弟の結婚

引越しの日、方角


子供たちの進路の時


どうやら

電話をかけて

お祈り?をしてもらっている

ようなのです



このコロナでも

その先生が言うからと

ワクチンは打たずにいました

父は打ってました





私はそれで

母の気持ちが落ち着くなら

いいと思い

特に何も言いませんでしたが




②番目の高校進学の時の

高校まで指示された時は

この高校に行きなさいと言われ

結局②番目の希望もあり

そこには行きませんでしたが

かなり言い合いをしたのを

覚えています





流石に

私の家に6万円の請求書が

送られてきた時は



私はこのようなお祈りは

お願いしていないので

今後はやめてほしいと

お願いしました


もちろん六万円も

払いませんでした





母は

あんた達がそうやって

幸せに暮らせてるのは

〇〇(群馬県の都市)のおかげだから!

と言っていました




お金は

分割で払えばいいのよ!






…長くなりました





何気に始めたブログに

こんなことを書くようになるなんて

自分でもびっくりしています



今回の

父と母のことは

まだ現在進行形で

今後どうなるかまだわかりません

もう少しで

今日に追いつきそうですにっこり



毎回こんな重い話ばかりだと

せっかく読みに来てくれた方々に

申し訳ないし

私も気が滅入ってしまうので


たまに

楽しい記事がはさめるといいな

と思いながら書いていきます




続き