ペペロンチーノのひとりごつ -8ページ目

郵便配達は二度ベルを鳴らす

『郵便配達は二度ベルを鳴らす』って有名な作品で、ジャック・ニコルソン、ジェシカ・ラングの映画版が特に有名なんですけど、私、観てないんですよね。
で、こないだもっと古いヴィスコンティ版を観たんですけど、あのねえ、『郵便配達は二度ベルを鳴らす』って、郵便配達出てこないんですよ。知ってた?知ってた?

 

『桐島、部活やめるってよ』は桐島が出てこないし、『ガルシアの首』もガルシアが出てこないんですけどね、でも桐島もガルシアも存在意義はあるんですね。ところが『郵便配達~』は何ら意味がない。

 

ただ、逆にこの『郵便配達は二度ベルを鳴らす』って文言が、『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』同様の文学性を感じるんですよね。なんかパロディー出来そう。

 

「坊主が屏風に二度上手に絵を書いた」とか。
「果報は二度寝て待て」とか。
なんなら「果報は二度寝して待て」とか。
二度寝してる段階で果報だ。

大晦日

あけましておめでとうございます。
珍しく年明け早々ブログを書きます。
しかし内容は昨日の大晦日のこと。

 

まず恵比寿ガーデンシネマで『スモーク〈デジタル・リマスター版〉』を鑑賞。
そのまま恵比寿ガーデンプレイスでクリスマス気分。大晦日ですけどね。

 

恵比寿ガーデンプレイスの上層階でお酒を飲みました。夜景も素敵。

ほらクリスマス気分になるでしょ?大晦日だけど。

 

いいですか?これ、クリスマスに行ったら大変な混雑で、もの凄い時間がかかる話ですよ。
それが大晦日はスッカスッカ。たった1週間違うだけで、いや、自分の気持を1週間タイムスリップさせるだけで、非常に効率的にクリスマス気分を味わえるのです。

 

その後、そうですねぇ12月31日の午後8時頃でしょうか、
明治神宮を参拝しました。

既にお賽銭もボチボチ入ってました。

ついでに明治神宮の露天で一杯。

 

いいですか?これ、正月に行ったら大変な混雑で、もの凄い時間がかかる話ですよ。
それが大晦日はスッカスッカ。たった1日、いや数時間、いや、自分の気持を4時間タイムスリップさせるだけで、非常に効率的に正月気分を味わえるのです。

 

ほろ酔い気分で明治神宮から渋谷へ夜の散歩。
代々木体育館に人だかり。

どうやらアユの年越しライブらしい。
年越しそばを1杯1500円で売ってましたよ。

 

そのまま渋谷に抜けて、公園通りの青の洞窟。これだってクリスマスなら大騒ぎですよ。大晦日は空いてる。

 

そして「紅白歌合戦」をやってるNHKホールを横目で見る。

 

最後はいつも混んでる近所のジェラート屋。今日は空いてた。
蕎麦のジェラート(正確には「蕎麦ミルク」)を食して年越し蕎麦代わり。
あ、それは写真撮らなかった。

大晦日限定ジェラートだからね、旬のものは旬の時に(<さっきと言ってることが全然違う)

 

まったく無駄な大晦日の過ごし方だ。

2010年代の空気

私は「時代の空気」というものを信じていて、信じているというか、確実にあると思っているんですね。

前回、「カルチャー=若者文化」に異論を唱え、それとは違うことを言うようですが、「時代の空気」と「若者文化」は合わせ鏡だと思うのです。
そしてやっと、2010年代も半ばになって、今の空気が分かったような気がするのです。

 

結論から言うと、私が考える2010年代の空気は「昨日と同じ明日は来ない」ということなのではないかと。

 

前々回「『こち亀』連載終了で思うこと」で書きましたが、かつて「変わらない日常」が望まれた時代がありました。
60年代を中心とした高度成長期、『巨人の星』『あしたのジョー』『タイガーマスク』など、貧乏から這い上がって成功を手にするストーリーがヒットした時代。学生運動が華やかなりし時代。
そして70年代には学生運動も沈静化し、国民の多くも高度経済成長に疲れてきた。だから「変わらない日常」が望まれたのでしょう。昨日と同じ明日が来ればみんな幸せだった。
80年代後半にはバブルと呼ばれる超好景気時代となり、バブル崩壊後の90年代からは失われた10年だか20年だかに入る。今の若者は、この「失われた10年だか20年だか」に生まれ育ったわけです。気の毒にも「ゆとり世代」と呼ばれる世代が重なるのです。

 

“右肩下がり”の経済成長しか知らず、阪神大震災(95年)、地下鉄サリン事件(95年)、9.11(01年)、東日本大震災(11年)、さらに近年のテロといった「世界が崩壊する姿」を目の当たりにしてきた。

 

おそらく、ここ数年のハロウィンの自発的盛り上がりは-私は平成の「ええじゃないか」と呼んでいるのですが-こうした世の中からの無自覚な逃避なのではないかと思うのです。

こうした無自覚の逃避に加え、リオ五輪のメダルラッシュや4年後に控える東京オリンピック開催など、「右肩下がりの時代」からの脱却が少し見えてきた“予兆”がある。

若者はそこに飛びついた。

 

「昨日と同じ明日は来ない」

 

加えて彼らはデジタルネイティブ。ツールが違えば思考法も違ってくるのが道理。我々「新人類」と呼ばれた人種よりも異種なのです。
我々新人類世代、あるいはバブル期に青春時代を送った世代は、過去を否定して“今”を生きましたが、同じく“今”に重きを置く今時の若者は少し違います。過去を「否定」するのではなく「拒絶」する傾向がある。「古い」というだけで耳を塞いでしまう。ま、あくまで個人の感想ですけどね、あながち間違ってないと思う。

 

つまり、“右肩下がりの過去”を拒絶し、「昨日と違う“今”」を謳歌する。そして「今日と同じ明日」が来ることも信じていない。
8.6秒バズーカーもピコ太郎も旧来の“マス”とは異なるメディアであっという間に若者間に拡散し、お茶の間に浸透する頃には消費し尽くされている。
デジタルは情報が早すぎ、情報量が多すぎる。

 

デジタルネイティブ世代は、右肩下がりの現実世界からデジタルの世界へ移り住んだ。
そんな現実世界に少し光が見え始めたら、少し現実世界にも顔を出し始めた。
それが『君の名は』や『シン・ゴジラ』のヒットに代表される“ロケ地”。リアル世界を舞台にフィクションが展開されるのが近年のヒット法則なんだそうですよ。アニメ・マンガの聖地巡礼は2010年代初頭からあったけどね(やっぱり2010年代)。それがマーケティングにも使われるようになった。お茶の間(大衆)に浸透したら危険信号w

 

そういや、こないだ仕事で佃島に行ったら「3月のライオン」の聖地巡礼してる学生がいたよ。