米原は「まいばら」?「まいはら」? ガチャコン旅10 | 駅が大好き!misakitty

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日本中の駅と空港を旅するmisakittyの空鉄の記録です。
国内の鉄道はほぼ完乗済み、航空は、JGC・SFC取得済み2024年はJGCプレミア資格。

この時間は,私鉄乗り潰し旅をお送りします。

今回は、滋賀県の近江鉄道の全線完乗をめざします。

本日は、米原をちょっとだけ深掘りします。

 

 

当ブログをご利用される際は、必ずこちらの記事「免責事項について」をお読みの上、ご覧くださいね。

では,ごゆっくり!

 

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彦根駅を発車してから、しばらく離れていたJR線とまた併走となりました。
とても広い構内、そして新幹線も……
 
……そう、米原駅が見えてきました。
JRは東海・西日本の分岐駅、東海道新幹線はJR東海のみなので、どちらかというと東海色の濃い駅かなと思いますが、いろいろ不思議な駅なんですよねえ。
 
 
では到着、これで本線は貴生川から米原まで、全線乗り潰したことになります。
ただ、彦根から米原は平成の時代からの既乗区間だったので、乗り潰し率に変化はありません。
構内は島式1面2線です。
 
駅名標、あら?豊郷あかねさんが持っているドリンクはなんだろう?
そんなことより、駅名標の所在地表示なんですが、詳しく自治体名称以下の地名まで表記されていたんですね。
「米原市米原」っていうのかぁ……単純そうなんですが、実は、読みは「まいらしまいら」で、読み方が異なっています。
そういえば、これだけのターミナル駅でありながら、平成の大合併の前は、米原駅があったのは坂田郡米原(まいら)町だったんですよねえ。
なので滋賀県唯一の新幹線駅は、県庁所在地の大津市でも、米原近くの彦根市でもなく、小さな町だった米原駅に設置されたのでした。
まあ北陸本線も分岐する交通の拠点で全国的な知名度も高いですから当然なのかもしれません。
 
ところで話を戻して、米原(まいら)町が市になるときに米原(まいら)市となった理由は、やはり米原(まいら)駅の知名度の高さからだったようです。
ということで、現在も「まいら」の読みが残っているのは駅の所在地である米原市米原(まいら)だけとなってしまいました。
 
ほかにもありそうなので、「まいら」が残ってるものがあったら教えていただければと思います。
 
では、ここまで時間かかりましたが出場することにしましょう。
近江鉄道の米原駅は島式の1面2線です。
 
おっと、その前に近江鉄道の米原駅末端部。
JRとの構内は隣接していますが、こうなる前にはちょっと変遷があったのでそのお話はのちほど。
 
出札と改札です。
有人駅でした。
 
駅の入口、駅舎建物はJR米原駅の東口と共用になっています。
 
こちらがその東口駅舎です。
裏口?のように見えますが、新幹線駅でありながら米原駅の駅舎は西口はほとんどエントランスだけで、東西の入口とも大きな商業施設があるわけでも駅ビルになっているわけでもありません。
これは最初に訪問するとかなりびっくりしますが、米原市の人口は約3万5000人ほどですからそう思えば納得です。
 
駅前の真新しい建物は米原市役所です。
駅前はとても広くて整備されていますが、かつてはは東口には国鉄の大きな木造駅舎があって駅前は狭く木造の集落が密集するような場所でした。
 
ここでさっきのJRと近江鉄道の構内が隣接するまでは変遷があったことをお話しします。
もちろんワタシは地元住民でも国鉄当時の米原駅も知らないので、正確な位置関係を覚えているわけではないことはご了承ください。
 
国鉄当時の米原駅東口は、上写真の中央タクシーが停車しているあたりにあったと思われます。
ワタシが立っている場所は駅舎に一番近いホームあたりだったのではないでしょうか?
当時の国鉄と近江鉄道は、現在のように駅舎は共用ではなく、別の建物になっていたようです。
上写真でいうと、右端に切れたあたりにあったようです。
 
その後、国鉄(JR)の構内は西口側に集約されたため、現在のような大きな駅前広場を確保することができることになりました。
そうすると、近江鉄道の構内だけが、以前と同じ場所にあり国鉄(JR)とが離れることになってしまったのです。
これは、駅前広場の確保という面でも、近江鉄道とJRとの乗換という面でも中途半端な状態になってしまったことになります。
 
というこで、最終的に現在のように、近江鉄道の構内もJRの構内に移し駅舎も共用の出入口することになったのです。
近江鉄道としてはルート変更にもなるので、工事中の期間は米原駅と次のフジテック前はバス代行輸送になったそうです。
 
さて、このような変遷をたどった米原駅の位置関係、その途中にワタシは訪問していました。
ちょうど、JRと近江鉄道の駅が離れていた頃の訪問です。
 
 
上写真とほぼ同じ位置から視点を右に向けたアングルだと思います。
撮影は平成18年です。
JRの駅前に近江鉄道の駅舎がありました。
このときも雪だったんですね。
 
 
当時の駅舎内部、いかにも地方のローカル私鉄の構内言う感じです。
 
出札と改札です。
現在とは逆で、駅業務部分が2階にあり、低い築堤上の構内に降りて行く珍しい構造となっていました。
 
当時の駅名標。
フジテック前駅は開業しておらず、次の駅は鳥居本駅でした。
 
構内です。
左端部分にわずかにJRの構内が見える気がしますが、雪が激しくふりだして視界があまり良くありませんでした。
少しでも当時の様子がお分かりいただけたでしょうか?
 
さて写真は令和の米原駅に戻ります。
せっかくなのでJRのエリアも少し散歩してみることにしましょう。
 
コンコース。ここはJR西日本のエリアです。
案内表示をみると奥に向かうと新幹線乗り場なのは分かりますが、左に改札を抜けても行けるようで、そちらにも新幹線乗り場の案内表示がありました。
 
床のデザインが手前と奥で違いますが、そこが西日本と東海の境界線なのかもしれないですね。
その奥の通路がいったん上に上がっているのはその直下に新幹線の構内があるのではないかと思います。
米原駅は高架駅ではなく地表駅なので、新幹線に乗るときはホームに降りる構造となります。
その通路が上がっていく手前左手にJR東海のきっぷうりばがあり、通路をまっすぐ上がっていくと西口に出ます。
 
 
その通路を上がる手前から左手をみたところです。
新幹線の出札・改札はコンパクトですねえ。
 
ちゃんとJR東海の駅長事務室もあります。
 
西口に向かう通路です。
なんか仮設っぽい?
 
通路上から西口駅前をみたところ。
琵琶湖側なので視界は開けていますが、開発はまだ進んでいない感じでした。
 
では、次回は近江鉄道の米原駅に戻り、近江鉄道の完乗旅を再開したいと思います。
 
 
(令和4年2月撮影)
 
全国私鉄乗り潰し率
 
今日は近江鉄道には乗りませんでした。
 
 
87.670%

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