エースをねらえ!『至高の青』編 | S A L O N

プール・ル・メリット勲章は、1740年にプロイセン王国の国王フリードリヒⅡ世によって制定された名誉・功績勲章で、“軍事部門(Militärklasse)”における戦功と、“平和部門(Friedensklasse)”における功労の両務に対し受章規定が設けられたプロイセン王国を首長とするドイツ帝国における最高位の功績勲章に位置付けられた勲章である。

制定年の6月16日付で記念すべき“初”の授与が為され、第一次世界大戦(帝政)終結までの間に、計5,415(※5,430とするものも)名が受章したとされ、そのうち一次戦における軍事部門の全軍受章者685名中、航空部隊員は、その1割強に当たる74名が受章している。

中世ヨーロッパからの習わしか、一次戦…さらに言えば、二次戦開戦当初頃までの殆んどの高位勲章は将官および高級将校(佐官)に授与されていたとも言え、ただこれは当時の概念としては別に特異なことではなく、“章”は個々の戦功に対して授与するものではなく、軍(国)を勝利に導いたその指揮能力に対して授与するという考えから、イチ駒に過ぎない下級将校(尉官)以下の戦功の多くは結局は将の手柄となり、授与されたのは1/4程であった。

但し、航空部隊におけるプール・ル・メリットの受章に関しては、ほぼ全員が下級将校であったエクスペルテンたちであり…その内訳は、少尉が45名と最も多く、次いで中尉が21名、大尉が8名となっており、次第に“章の効力”の役割がプロパガンダ的意味合いを強め、ベルケやマンフレートたち若いパイロットたちのたちの活躍を宣伝することで国民、兵士たちの“戦争継続”の士気を高めるための一助として、率先してプール・ル・メリットを与えていたという観は否めない。

 

それ以外は、ドイツ陸軍航空隊(Luftstreitkräfte)の司令官であったエルンスト・フォン・ヘプナー中将と、その参謀長であったヘルマン・リース=トムセン中佐の両名が、ベルケとインメルマンの受章から約1年3ヵ月後の1917年4月8日付でようやく受章しているのみである。

 

因みに、2008年版『レッド・バロン』でアクセル・プラールが演じたへプナー将軍は、何とも“将軍”然とした感じでの登場となるが、写真(右)を見る限りでは、ご本人は細身で長身、少々神経質そうな感じの方にも見受けられ…へプナーというよりは、体格のよい参謀長のリース=トムセン(左)といった方が頷けるかもしれない。

 

 

確かに、既記したマンフレートやベルケなどの一次戦における空の英雄たちの襟元を飾っていた名誉勲章として有名になったという一面もあるが、やはり…当時、ヴュルテンベルク王国陸軍の山岳大隊・中隊長だった26歳の陸軍中尉…後の“砂漠の狐”ことエルヴィン・ロンメル陸軍元帥が、1917年12月10日付でこの勲章を受章し、二次戦中においてもロンメルの襟元に常に騎士鉄十字章とともに佩用されていたことが、後世におけるプール・ル・メリットの認知度・位置付けを更に高める一助になったと言っても過言ではないと私は思っている。

 

 

因みに、“Pour le Mérite”はフランス語で、その意味は「功績に対して」と訳されるが、ではなぜプロイセン王国で制定された勲章がフランス語なのか?
中世ヨーロッパまでは、宮廷、教会、そして外交の場などにおける公用語はラテン語であったようだが、17~18世紀のフランスの躍進に伴い、欧州における外交・文化の中心がパリ(仏)へとシフトしたことで、その公用語もフランス語がとってかわったかたちとなった。
そのため、当時のドイツのプロイセン王国などの欧州諸国のみならず、ロシア帝国のロマノフ王朝など、外国語…なかでもフランス語は、母国語以上に、宮廷…皇室、貴族たちのなかでの重要な指標となっていく。
そのため、この勲章が制定された当時の宮廷公用語でもあったフランス語に…というよりも、むしろ…ちょっとキザに洒落者ぶって、フランス語で…日本流にいえば横文字のタイトルにしてみました的なところなのではないかなどと下世話な推量をしてしまうのだが…(苦笑)

皮肉なことに、プール・ル・メリット勲章は、その多くがフランスとの戦闘による戦功により授与されている。

 

 

ドイツ軍航空部隊における、記念すべき(確認された)“初”の空戦勝利は、1915年7月15日にクルト・ヴィントゲンス少尉が収めている。(※同年7月1日と4日に撃墜されたとする2機は未確認のため)
ヴィントゲンスは、パイロットとしては…ベルケ、インメルマンに次ぎ、4人目となるプール・ル・メリット勲章を1916年7月1日付で受章し、19機(+未確認3機)の撃墜スコアを誇るエクスペルテンであったが、1916年9月25日のフランス軍エース・パイロットのアルフレ・ウルトー中尉(当時)乗機のスパッドS.VIIとの空戦の結果、ヴィレ=カルボネルの近くで撃墜されたとされている。(享年22歳)

 

因みに、「では3人目は誰?」かというと…1916年4月14日付で受章している…“El Schahin(狩りする隼)”との異名も馳せ、13機撃墜のスコアを誇るエクスペルテンのハンス・ヨアヒム・ブデッケ大尉である。
1918年3月10日、ランス(仏)上空で(イギリス海軍航空隊(RNAS)第3飛行隊所属のソッピース・キャメルと遭遇・交戦し、リール付近で撃墜された。(享年27歳)

 

 

開戦当初は8機撃墜が授与目安とされていたが、その後、航空機の進歩や、技量の向上などの要因から、1917年初頭までには、16機…その後も18機…25機、そして終戦頃には30機と授与規定が見直されている。

 

既記した如く、マックス・インメルマン少尉(当時)はベルケの良きライバルとしてトップ争いのデッドヒートを繰り返し、ベルケと共に1916年1月12日付で戦闘機パイロットとして初のプール・ル・メリット勲章を受章した。
リザルト的には、若干ベルケの方が先んじていた観は否めなくもないのだが、“マックス”・インメルマンが受章したことから、そのブルーの色彩を帯びた勲章は“ブルー・マックス(Blue Max=独:Blauer Max)”とも呼ばれるようになる。

ともに尊敬を集めたパイロットであり、ベルケも“空中戦の父”とも呼ばれる程ではあったが、なぜ、そのベルケではなく、インメルマンの名が冠されたのかの言及はない。

 

“リールの鷲(Der Adler von Lille)”と異名を馳せたインメルマンは、航空機のマニューバ(機動)の一つで、今尚有名な“インメルマン・ターン(旋回)”という空戦機動を編み出したとされている。

 

 

1916年6月18日、RFC第25飛行隊所属のクラレンス・エリアス・ロジャース中尉とジョン・レイモンド・ボスコーウェン・サベージ少尉乗機の2機を撃墜してスコアを17機(公認スコアは未確認を除き15機)に伸ばした後…
インメルマンの死の原因についてはいくつかの論争があり、味方の対空砲火が誤って当たってしまったという説や、機銃のプロペラ同調機構が故障して自機のプロペラを損壊させてしまったという説があるが、イギリス軍は、第25飛行隊所属のジョージ・レイノルズ・マッカビン少尉の操縦(偵察員:ジェームズ・ヘンリー・ウォーラー伍長)するF.E.2b複座戦闘機が、インメルマン機を撃墜したとして殊功勲章(DSO)を授与している。(享年25歳)

 

 

 

The Blue Max (ブルー・マックス)』 (1966年)  

 

1964年出版のジャック・デイトン・ハンター著『ブルー・マックス(原題:The Blue Max)』を基に、戦争映画の名作的…『レマゲン鉄橋(原題:The Bridge at Remagen)』(1969年)でもメガフォンを取ったジョン・ギラーミン監督が、その2年前の1966年に製作した映画が『ブルー・マックス(原題:The Blue Max)』である。

 


貴族の血筋ばかりがパイロットであった訳ではないが、この映画では、今以上の歴然たる身分の差…壁というものもが存在していた時代を、騎士道精神とは無縁の“庶民”出身の主人公が、“爵”位の者たちの目論みのなかで成り上がっていく様を描いた架空の物語となっている。

 

1916年、陸軍歩兵の伍長だった主人公のジョージ・ペパード演じるブルーノ・スタッヘルは、日々地べたに這いつくばり、砲弾と銃弾の飛び交う過酷な塹壕戦の泥沼のなかにいた。

ふと空を見上げると、華麗に舞う二機の複葉機。

 

二年後、ドイツ陸軍航空隊の戦闘機パイロットとなったシュタッヘル少尉ではあったが、出自が庶民階級である彼は、貴族階級出ばかりの航空隊のなかに溶け込めず、何かと反目する。

 

シュタッヘルは、何としてものし上がり、軍人としての最高の栄誉の証となる“ブルー・マックス”を獲得するため、その最低ラインとなる20機撃墜を目指し、形振り構わず“勝利(撃墜)”に固執する。

 

それに対し、これまで容易に人生を過ごし、欲しいものを手中にしてきたジェレミー・ケンプ演じるウィリー・フォン・クルーガーマン少尉ではあったが…

 

自分とは真逆とも思えるシュタッヘルに興味を持つとともに、脅威とも感じ、ライバル心を燃やすようになる。

 

ジェームズ・メイスン演じるグラーフ・フォン・クルーガーマン(伯爵)将軍(上級大将)は、妻の素行には関心を示さず、“戦争ごっこ”に明け暮れ、己の見栄を満足させるためだけに美しい妻を己の脇に侍らかすような夫であった。

 

何不自由ない生活と、その美貌を兼ね備えたウルスラ・アンドレス演じる一見、美魔女的ケーティ(クルーガーマン伯爵夫人)ではあったが…満たされない心の隙間を、夫の甥にあたるウィリーとの不貞で埋めていた。

 

そんなケーティではあったが、これまでのお上品な殿方“英雄”たちとは違う、粗野で野性的なシュタッヘルにいつしか惹かれていく。

 

一方、シュタッヘルは、着実にスコアを上げ、国民的英雄であるリヒトホーフェンを窮地から救うなど、目覚しい躍進をみせていた。

 

 

クルーガーマン将軍は、これを利用しない手はないと考えシュタッヘルを“時の人”に祭り上げるべく画策する。

 

 

成功への階段を上りつめ、ついに念願であった“ブルー・マックス”もその“首”中に収めたかと思った矢先…

 

 

急ぎ過ぎた各々の誤算を修正するために残された解決法は、“悲劇の英雄”となることであった。

 

 

この作品でも、CGなど無い時代の映画であり、実機(複製機)による圧巻の空中戦も見所の一つであるのは勿論だが、何よりラストに至るストーリー展開も面白く、インターミッションの入る程の長編(157分)ではあるのだが、見飽きることなく一気に見終えてしまえる映画だと思う。

 

砂漠の鬼将軍(原題:The Desert Fox/The Story of Rommel)』でロンメル役を好演したジェームズ・メイスンは、今作では狡猾な将軍役を演じている。

 

パットン大戦車軍団(原題:Patton)』でロンメル役を演じたカール・ミヒャエル・フォーグラーは、“ドイツ将校は戦いでも騎士道を守るべき”とする、もはや時代遅れのお堅い飛行隊長オットー・フォン・ハイデマン大尉役を好演している。

 

暁の七人(原題:Operation Daybreak)』でハイドリヒを演じたアントン・ディフリングも、クルーガーマンの副官ホルバッハ少佐役として出演している。

 

因みに、この映画では、ほんのちょい役的な登場ではあるが…カール・シェルというスイスの俳優がリヒトホーフェン男爵…“レッド・バロン”役を演じている。