北緯30度43分、東経128度4分 | S A L O N

昭和20年6月23日、沖縄第32軍司令官・牛島 満陸軍大将と同参謀長の長 勇陸軍中将の両将の糸満摩文仁(沖縄本島南部)の自然壕内での割腹自決をもって、沖縄における日本軍の組織的戦闘は一応の終結をみた。

 

 

戦艦『大和』はその激戦地である沖縄への水上特攻作戦を敢行すべく、それに先立つこと2ヶ月半前の昭和20年4月6日15時20分…
軽巡洋艦『矢矧』、駆逐艦8隻(『雪風』、『初霜』、『冬月』、『涼月』、『浜風』、『磯風』、『朝霜』、『霞』)を伴い航空支援のない状態で徳山沖を出撃していった。
因みに、この最後の出撃に際し“片道の燃料のみでの出撃”とされているが…実際は満載時の約2/3にあたる4,000トンの燃料を搭載しており、これだけの燃料があれば回避や迂回に要する分を鑑みても、本土と沖縄間の往復必要量を搭載していたとされている。

 

4月7日11時35分、アメリカ海軍艦上機の大編隊を探知。
12時32分、第1波攻撃隊約200機が艦隊上空に襲来。
12時34分、射撃を開始。
12時45分…左舷前部に最初の魚雷1本が命中。
その後も、左舷への集中的な米軍艦載機386機による波状攻撃を受け、爆弾6発、魚雷10本以上を被弾…
左舷方向に35度傾斜した時点で、傾斜復旧見込みなしと判断した副長の能村次郎海軍大佐は、“総員最上甲板(=総員退去用意)”を進言し、第二艦隊参謀長の森下信衛海軍少将もこれに同意。
それを受け、第二艦隊司令長官の伊藤整一海軍中将(戦死後、4月7日付:海軍大将に特進)は、艦橋にいた全員の挙手の礼に答えながら、第一艦橋下の長官休憩室自室に退いた。
14時20分、艦長の有賀幸作海軍大佐(戦死後、4月7日付:海軍中将に特進)は、総員最上甲板を発令するも時既に遅く…
14時22分、ほぼ横転した状態で前部砲塔などが誘爆を起こした。
その火柱は6,000mの上空まで立ち上り、鹿児島からも目視出来たという…

 

そして、ついに大和は沖縄に辿り着くどころか、坊ノ岬沖90海里付近(北緯30度43分、東経128度4分)の海底に、2,498名の乗組員と共に沈んでいった。
沈没時刻について「軍艦大和戦闘詳報」と「第17駆逐隊戦時日誌」では14時23分…
「初霜」の電文を元にした「第二水雷戦隊戦闘詳報」は14時17分と記録している。
因みに、能村次郎海軍大佐、森下信衛海軍少将の両名は数少ない戦艦大和沈没時の生存者の一人となっている。

 

 

男たちの大和/YAMATO』 (2005年)

 

“天一號作戦”と銘打たれた水上特攻作戦における戦艦大和の乗組員たちの生き様・死に様を辺見じゅん氏著書の『決定版 男たちの大和』、『小説 男たちの大和』をもとに描かれたこの映画は…終戦60周年(2005年)に合わせ制作され、長渕 剛による主題歌「CLOSE YOUR EYES」のヒットとも相まって…当時は、それなりの話題になった。(※2005年の邦画興行収入1位)

 

ストーリーはその沈没地点となる九州坊ノ岬沖90海里“北緯30度43分、東経128度4分”に『大和』の生存者を父に持つ内田真貴子(鈴木京香)が連れて行ってほしいと地元漁港の漁師たちに頼みまわるシーンから始まる。
相手にされない彼女を見かねて一人の老漁師が話しかける…
実はその老人神尾克己(仲代達也)もまた『大和』の乗組員として当時乗艦し…彼女が自分の上官であり恩人でもあった内田 守二等兵曹(中村獅童)の養女であることを知る。
そして60年間一人苦しみ続けてきた生き残ったことの後悔と呵責に対峙すべく沈没ポイントへの出航を決意する…と、まぁ~ストーリー云々はこの辺にして…(^ ^;)

この映画の“一番の見所”といっても過言ではないのが…やはり総工費約6億円をかけて組まれた原寸大の『大和』のロケセットであろう。
広島県尾道市の日立造船向島西工場跡地に、全長263mのうち第一主砲筒の砲身や艦橋上部は省略されたものの、艦首から艦橋付近までの190mが組まれた。

 

このロケセットを背景に撮られた「CLOSE YOUR EYES」のMV

 

このロケセットは、しばらく一般公開もされていたようだが、その後、解体され、その一部は東映から大和ミュージアムに無償譲渡され、展示などもされていた。

 

『大和』の全景は“大和ミュージアム(広島県呉市)”に展示されている1/10スケールの模型を合成して撮影されたとのことである。

因みに、6億円の総工費で驚いていてはいけない!
まあ、全く比較にはならないが…実際の『大和』の総工費は当時の金額で1億4,287万円也!
現在の貨幣価値に換算すると、なんと約2,604億762万円という“長物”だった!

そんな素晴らしいセットを使っての戦闘シーンは『SPR』ばりに肉片が飛び散り…片足が吹っ飛ぶなど、最近流行のこうした臨場感のあるリアルな演出が盛り込まれるなど確かに凄惨極まりない部分もあるが、この映画自体は、『大和』という大きな括りになっているものの…
乗組員(それも主に下士官や一兵卒の視点から…)同士…乗組員とその家族、その恋人たちに焦点を当てて描かれた“人間ドラマ”であり…万人向けの“戦争ドラマ”となっている。
早い話が…涙腺を緩めるようなストーリーになっているのである。
一応…私は未読なので確かなことはいえないが…
原作にある程度基づいて映画化されているようで、突飛な脚色というのもほとんどないということである。
勿論、体験者及び戦事フリーク諸氏などにおかれては、ご不満な点も多々あろうことと思うが…まだ未見という方は、ご覧になってみては如何だろうか。

さて、この映画…に限らず…
とかく“特攻”ネタは人々の注目、涙を誘うが…
ほとんどの戦線では、先にも記した“硫黄島”の如く、水も食料も武器も弾もなく…劣悪な環境下で…それでも降伏など考える…許されるべくもなく…敵と闘う以前に感染・環境に敗れ…衰弱し、蛆が湧き…朽ち果てていった幾千万の将兵たちがいたわけで…

それに比べれば、ある意味、彼等“特攻隊員”は恵まれた環境下のもとで“戦争”が出来たといえるのかもしれない。
死に際し良悪はないが、後世の私たちが、そうした人たちの無念さ苦しさを知ろうともせずに…
単に格好よく勇敢に立ち向かい死んでいく様に“強く胸を打たれた”などと軽薄な事を言い…
また、それを先導・扇動するだけの作り方には、少々憤懣やる方なくもない。
「戦争で死んでいった者たちのことを絶対に忘れてはならない」といったメッセージが感じられる作品である…と評する方がいたが…
身内などの特定の者たちにでさえ思いや未練は薄れていくものなのに…ましてや見ず知らずの者たちのことまで忘れないでいろという方が無茶な話である。
忘れてはならないのは…というより、もともと知らないわけだから…
どう死んでいったか…どう殺されたか…どう殺したか…
戦争という名の下での公然な殺人がどんななものか…
それも“殺す側”にいられなくなった時の惨めさ悲惨さ恐怖というものを…目を背けず、知り得る事実を学んでいく必要がある。

歴史は得てして勝者に良いように書き換えられてしまい、事実が闇に葬られてしまうことが多々起きる。

葬ろうとしなくても、当事者によって見方が変われば事実の捉え方も変わり…いつしか曖昧模糊なものになってしまわぬとも限らない。

物議を醸す歴史教科書の記載は、国際問題にまで発展するが…

そもそも“歴史”と“道徳”をセットにしてしまうと、こうした弊害は避けられない。

“過去”から“現在”を学ぶことは、必要かつ重要であるが…

歴史は、“過去”を“現在”の感覚、感情、視点に照らし合わせ、それに当てはめ軽々に是非を判断することではなく、あくまでも、各“当時”の感覚、感情、視点で事象を見ていくべきである。

 

 


 

最後に…
当時22歳の学徒兵として『大和』の艦橋にいた吉田 満氏著書の『戦艦大和ノ最期』よりの一節…
映画の劇中では、長嶋一茂演じる臼淵 磐海軍大尉(戦死後:海軍少佐に特進)の言葉として語られている。

 



進歩のない者は決して勝たない。
負けて目覚めることが最上の道だ。
日本は進歩ということを軽んじすぎた。
私的な潔癖や徳義にこだわって、真の進歩を忘れていた。
敗れて目覚める。
それ以外に、どうして日本は救われるか。
今、目覚めずしていつ救われるか。
俺たちは、その先導になるのだ。
日本の新生に先駆けて散る。
まさに本望じゃないか…