聯合艦隊司令長官 山本五十六 | S A L O N

聯合艦隊司令長官 山本五十六 -太平洋戦争70年目の真実-』(2011年)

 

1943年(昭和18年)4月18日、聯合艦隊司令長官山本五十六海軍大将(死後:“元帥”の称号授与)が戦死してから今日で没後78年目となる。

 

2011年末に公開されたこの映画では、山本五十六を役所広司が演じて話題となった。

当初から山本のイメージとの違和感もあり、少々懐疑的な見方をしていたのだが、やはり見終えてみても、全編にわたり…山本長官の話というよりは“役所長官”色の濃い映画のように思えたものである。

 

役所以前も多くの(大物)俳優が山本を演じている。

その中でも特に印象深いのは、1968年公開の『連合艦隊司令長官 山本五十六』、1976年公開の米国映画『ミッドウェイ』での三船敏郎と1970年公開の日米合作映画『トラ・トラ・トラ!』での山村 聡あたりではないだろうか…

 

因みに、2015年公開の『日本のいちばん長い日』では、役所は陸軍大臣阿南惟幾陸軍大将役も演じているのだが、この映画は1967年版『日本のいちばん長い日』のリメイク作品ともいえ、こちらでは三船が阿南を演じており、三船が演じた同名二作品を役所が焼き直している。
 

1967年版『日本のいちばん長い日』では、三船が演じる阿南と対峙する海軍大臣米内光政海軍大臣役を山村が演じている。

 

新しいところでは、(日本では)2020年公開の米国映画『ミッドウェイ』での豊川悦司や、菅田将暉主演の2019年公開『アルキメデスの大戦』では舘ひろしと、異色な俳優が演じているが…“実際の山本”というよりも、昨今はより“キャラ化した山本”の方に整合性やリアリティを感じるからなのかもしれない。

 

 

ただ、そうした傾向は今に始まったわけではなく…

日露戦争の英雄として神格化した東郷平八郎元帥海軍大将、乃木希典陸軍大将などのように、山本も死後(1943年(昭和18年)4月18日付で“元帥”の称号が追贈されるなど、山本を神格化することで戦局悪化の時局における士気高揚のためのプロパガンダ的に利用されたと言える。

“砂漠の狐”ことロンメルや山本などの人気の高い軍人は、得てして玄人的な評価とは多少異にして好意的に取り上げられ…

そのため“キャラ化した山本”は、当時から今もなお、実像とは別に一人歩きをしている観がある。

 

狂った時局にあって“良識の人”として描かれているため、ストーリー的には、人間ドラマ色の濃い描き方なので、ここ最近の戦争映画では欠かすことのできないCGVFXなどといった技法が駆使された目玉?となるリアルな映像や戦闘シーンは期待したほど多いという訳ではない。
ただ、それはそれで映画としては引き込まれ見入ってしまうもので、それなりには楽しめる映画だと言えるのだろう。
以前、映画評論家の方が言っていた言葉を思い出す。
俳優にはその役ごとにキャラクターを変えて演じるタイプと…
その俳優のキャラクターで役を演じきるタイプがいるそうなのだが…
特に後者は看板スターといわれるタイプに多いようで…
そういう意味では、“山本五十六”を演じてきた俳優たちは三船敏郎にせよ、役所広司にせよ、皆その後者なのかもしれない…と言うよりも、そうした俳優が山本役に選ばれるのかもしれないが…
時代劇でも、現代劇でも、戦争劇…ローレライなどもそうだったが…
“役所”に関わらず…“役所”カラーは相変わらずで…
“役所”カラーとも相まって…より好人物に描かれていると言っても過言ではないだろう。


 

山本が連合艦隊司令長官に任官(昭和14年8月30日付)したのが55歳の年で…昔の人は老けて見えるというが…奇しくも、役所広司が撮影時55歳であった。

 

 

1943年(昭和18年)4月18日午前6時5分…第七〇五航空隊の一式陸上攻撃機2機は、零戦6機の護衛機とともに定刻通りラバウル基地を離陸…ブイン、バラレ、ショートランドなどへの前線視察に飛び立った。

(※1号機に山本、2号機に連合艦隊参謀長宇垣 纒海軍中将(当時)が搭乗)

だが、その4日前の14日午前8時過ぎには、この前線視察を行う山本の行動予定を伝える暗号電報は、オアフ島真珠湾の米太平洋艦隊情報部により傍受されていた。

7時33分、ブーゲンビル島上空で16機の米陸軍航空隊P-38ライトニングの襲撃を受ける。

7時50分頃、1号機の山本長官機が被弾し、モイラ岬のジャングルに墜落。

2号機も被弾したが何とか海上に不時着し、宇垣は無事だった。

 

山本乗機(一式陸攻)の左翼

 

山本はこれにより戦死してるが、山本が死して尚2年4ヵ月の長きにわたり戦争は続き…戦局は更なる悪化を辿ったわけである。
山本は、どちらかというと戦略家というよりは軍政家としての評価が高かったという見方もある。

現に、当時、正攻法とされていた対英に重点を置く西進(緬・印・西亜)守勢的戦略を基本として進められていたものを、陸軍のみならず海軍内からも異論のあった東進(太平洋正面)攻勢的戦略への転換にゴリ押ししたのが山本であり、ルーズベルト、チャーチルの目論見通りに、太平洋に突破口を見いだそうと大博打を打つかの如きハワイ真珠湾攻撃という奇策に打って出たツケは、その半年後のミッドウェー海戦の大敗というカタチで払わされることとなる。

山本自身が危惧していた“眠れる獅子”を起こす結果となった自身の失策が、その後の泥沼を招いたと言っても過言ではない。

結局、時既に遅し…戦局を優位に展開させて講和にまで持ち込める状況ではなくなっていた。
あの時期の山本を見ていると、己の無力さに己が失意し、自責の念に強く駆られていたように思う。
時世的、立場的にも、単に時局・戦局を儚んでの自決など許されるはずもなく…ある意味、その死は山本自身が望んだ最期だったのではないだろうか。(享年59歳)

この山本の戦死に関する一連の事件を「海軍甲事件」という。
遺体収容にあたり、最初に死体見分を行なった陸軍第17軍第6師団歩兵第23連隊の蜷川親博(陸軍)軍医中尉による検死調書では、遺体に射創は無かったとされており…「遺体に顎の外傷や口胞内出血を認めず、全身打撲か内臓破裂によるショック死」ではないかとしているようなのだが…

(※蜷川の見解によれば、少なくとも即死でも18日中の絶命でもなく、翌19日未明頃までは生存していたものとしている。)
ところが、正式な検死を行ったとされる田淵義三郎(海軍)軍医少佐によると、顔面に射創があったとしている。
ただ、そこで問題となるのは…
山本乗機の一式陸上攻撃機を銃撃したP-38戦闘機の搭載機銃の口径は12.7mmと、かなりの威力があり…その掃射による頭部への射創であれば、頭半分が吹き飛ぶ程であるとされるが、山本の頭部の射入口は小口径であったことから、機銃掃射による射創が疑問視される。
その如何、墜落の前後は別にして…死因は「銃弾がこめかみ(眦)から下顎を貫通した事によるもの」との結論が出され、ほぼ即死状態であったと推察されたことを踏まえて…
もしかすると、墜落後、山本自身は…死に至るまでの目立った外傷はないものの、自力で身動きの取れる状態ではなく…
山本が「生きて虜囚の辱めを受けず」の戦陣訓をどう思っていたかはわからないが、少なくとも(大)将たる者が生きて捕虜となることは許されるはずもなく…
自身の採るべき道を熟慮し…自決に至ったとも考えられなくもない。
ただ、それならば、逆にそうした山本の潔い行為?を隠蔽する必要もないわけだが…
少なくとも、顔面貫通機銃創及び背部盲貫機銃創が、機上戦死という美談にするために死後に捏造されたのではないと思いたい。

 

日露戦争時、第一艦隊旗艦「日進」において敵艦との交戦中、膅発により火傷、右足腓腹筋の剥皮創、左手の中指と人差し指を切断するという重傷を負った。
この写真では、その左手の状態が見て取れる。
右胸に1940(昭和15)年4月29日付で受章した勲一等旭日大綬章を佩用。

※1943(昭和18)年4月18日付で功一級金鵄勲章が死亡叙勲されている。

 

最後に、山本五十六の肉声を…

 

 

【追記】

2019年版の『ミッドウェイ』では、豊川悦司とともに山口多聞役として浅野忠信が出演している。

 

 

実際の山口は一見、えなりかずきが歳をとったような面相ではあるが、名将とも評される人物で…

その山口をどのように演じているのか、この映画は未見なので是非見てみたいと思っている。

 

山口多聞海軍少将は、真珠湾攻撃では、南雲忠一海軍中将(当時)率いる第一航空艦隊所属の第二航空戦隊の司令官として旗艦(空母)「蒼龍」で参加。

ミッドウェー海戦でも第二航空戦隊の司令官として旗艦(空母)「飛龍」で参加するも…1942年6月6日午前6時15分…ミッドウェー島沖(北緯31度27分5秒 東経179度23分5秒)に「飛龍」とともに海底に没した。(享年49歳)
但し、ミッドウェーの敗戦は国民の士気喪失を招きかねぬとの判断から大本営は公表をせず…山口の死もまた1943(昭和18)年4月22日まで伏せられた。
襟元に勲三等旭日中綬章、右胸に勲二等瑞宝章を佩用。
1942(昭和17)年6月5日付で功一級金鵄勲章が死後に叙勲され、同日付で海軍中将に特進。