店の外へ出てから、握りしめていた手を、そっと開いてみた。

背筋が凍りついた。

手の平には、小さな丸いボタンがひとつ、乗っていた。
オーダーを決められないままメニューをジッと見続けていると、店員がやってきた。
「お決まりですか?」
私が首を振ると、彼女は戻っていった。
しばらくすると、別の店員がやってきた。
「まだ決まらないので…」と言うと、その店員も戻っていった。

このパラレルワールドへ迷い込んでから、無意識の中で、私が気付いたことがある。
それは、進化。

人間の進化は、止まってない。今でも続いている。

高校時代に生物の授業で習ったメンデルの法則を思い出した。
優性遺伝と劣勢遺伝。
優性遺伝子が交配を重ねて、人類は生物学的に進化を続けているに違いない。
今の人類は、何世代まで進化したのか。
背が高い、低い。
美人、ブス。
髪がサラサラ、髪がゴワゴワ。
毛深くない人、毛深い人。
ファッションセンスがある人、ない人。
痩せてる、太っている。
優性遺伝子で進化した第3世代と第4世代は、どこが違うのか。
おそらく条件が何かひとつ欠けているのだろう。
顔が濃いタイプは、あっさり顔よりも劣性。
あっさり顔でセンスよく、でも背が低い人。
日本人なのに、どこか欧米人みたいなニュアンスをルックスに持っている人。危険な存在。

そんなことを考えていると、店員がまたオーダーをとりにきた。
4人めがやってきたときに、私はアイスコーヒーを頼んだ。
そして、気付いた。

順番にやって来た店員は、私が考えていた条件をひとつずつ体現している。
背が低い女の子。
ガリガリに痩せてる女の子。
美人の女の子。
外国籍の女の子。

最後に、彼女たちより少し年長の女性がやって来た。
着ているものが、彼女だけ違う。
ウェイトレスの制服ではなく、白いシャツにタイトスカート。
店長風の女性は、劣性遺伝子を感じさせる4人のあとにやって来て、私に訊ねた。
「何か御用はありませんか?」

まるでテストのようだ。
店長風の女性だけが、条件を満たしている。
でも、私の中で声が聴こえる。

警戒せよ。警戒せよ。

私はニッコリ微笑んで「いえ、何もありません」と答えた。

緊張感が高まった。
私は運ばれてきたアイスコーヒーを一気に飲み干し、すぐにレジへ向かった。

会計を済ませて店を出るときに、一人の店員が「これ……」と私にそっと何かを手渡した。
あてもなく街中をさまようように、私は日中の雑踏の中を歩き続けた。
人混みに紛れているのが安全だと思った。
でも、足が疲れた。
普段あまり歩くことも少ない私の素足は、フラットシューズを履いていても、かかとが靴づれで擦りむけてしまった。痛い。
足を引き摺りながら、それでも歩き続ける。
脇道に入ったところに、小さなカフェがあった。
店構えと、ガラスの扉に白く描かれた店名を見て、ここだ、と思った。

ここなら、安全だ。

私は確信していた。
この世界には、目覚めたる人と、普通の人がいる。
私は突然目覚めてしまったのだ。
そして、ルールがある。
でも、私には、そのルールがわからない。

ドアを押して、店の中へ入った。
店内はヒンヤリとしていて心地よい。エアコンが効いている。
私はやっと、ほんの少しだけホッとした。
店内は空いていた。
あいている席に座り、メニューを手に取ると、疲労感が押し寄せ、目眩がした。

私は、安全な場所を探して歩いていた。
まず安全な場所へ。
目覚めたる仲間に見つけてもらい、それからどうすればよいのか、教えて欲しかった。
私には、何もわからないから。