久々に友達と、3人でお酒を飲みながら楽しい時間を過ごしました。


あるところで出会った私たちは、

いまはそれぞれ別の環境で、別の目標に向かって生きている。

もう一度、学生さんとして学んでいる子。

新しい職場で働き始めた子。

そして、勉強生活をしている私。


出会ったところでは、私たちは辛い時間をすごした。

辛かったからこそ、その中で次の目標をそれぞれ見つけ、

別々の方向へ歩み始めた。


友よ、

変わらず、一生懸命な姿に励まされるよ。

私も負けずに頑張るね。


いつの日か、懸命に頑張る彼らに

すばらしい人生の展開が訪れますように。

同様に人生を開拓し続けるすべての人たちの夢が叶いますように・・・。

そして、私もそんな人たちの一員になれますように・・・。

そう祈りながら、昨夜は眠りにつきました。


今朝は寝坊し、更に軽い二日酔いなのですが、

何だが気分がいいのです。


よし、午後も勉強すっぺ。


脱テレビ生活は、これまで何度か企ててきた。

 

初めて親元から離れて暮らし始めるとき、

テレビを持ち込まないことにした。


私の育った家では、当たり前のように

居間のテレビはいつもついていた。

朝早く目覚めた人が、何となくスイッチを入れて、

夜、居間の電気を消す人がテレビも消す。

そんな家庭だった。


「何もやってないねぇ。」といいつつ

一番、退屈を我慢できる番組を選んでは、

テレビは消されることなく、ついていた。


そんな環境で育ったものだから、

テレビが常についていることが当たり前で、

見たい番組を見終わったら、

スイッチを切るという習慣が身に付かなかった。

(食事の時はさずがにテレビを消して、一家団欒でしたが。)


しかし、成長するにつれて

そんなテレビとのつきあい方に疑問を持つようになってきた。


試験が近くなって勉強時間を確保しないとならない期間に、

テレビのある居間から、勉強部屋へ移動するが難儀なのだ。

無意識にテレビに占領されている何かが

自分の中に存在していることに気がついた。


無意識に乗っ取られている自らの領域を、

取り戻したいと思うようになっていたが、

この家にいる限り、それは無理だとも思っていた。


それで、独り暮らしを始めるときがいい機会だと思い

テレビがない生活をスタートさせた。


テレビがない生活で始めに感じたのは

「気付いたら、何時間も経ってた」みたいな

実際の時間の流れと自分の中の時間感覚のずれが、

小さいということだ。

よしよし、なんだかいい感じ。

普段から読書したり、語学の勉強をしたりしちゃおぅ・・・

テレビのない生活が順調にスタートしたかのように思われた。


ところが・・・。

姉から初売りの景品で当たったという小さいテレビをもらってしまった。

「超ボロアパートでテレビもないなんて、なんて不憫なの!!」

という姉の気持ちを思うと無碍に断ることも出来ず。とほほ。


今日一日の些細なことを愚痴れる家族がいないと

テレビでとりあえず気を紛らわせるのが

一番手っ取り早い方法だった。


その結果、いっそうテレビと寄り添う時間が増えてしまった。

ご飯を食べるときもテレビをつけてしまうようになっていった。


たぶんそうなるちゃうと分かっていたから

自分ではテレビを持ち込まない生活を考えたのにね。

もー、勉強モチベーションを挙げるために

ブログを始めることにしたのに

全然書いてないじゃん!


ていうか、あんまり勉強できてないじゃん!!


終日勉強にあてられる日の方が、時間を無駄にしている。


外出しなくちゃ行けないときのバスの中とか、

仕事の合間の細切れ時間は、

さっと勉強を出来るように最近変わった。


むしろ勉強に不利な環境の方が

常に勉強することを意識していて、

隙間時間を見つけられるようになってきた。


しかも、もともと隙間学習は計画に含んでいないので、

そんな時間を見つけてちょっとでも何かやっただけで、

よっしゃ!という気分にになるし、

出来なくても、ダメージはない。


そういう意味では進歩したと思う。

以前はそんな隙間時間にも気がつかなかったし。


そんな隙間勉強はさっと始めてられてすーっと集中できる。


なのに、なのに・・・、

もう何時間も存分に勉強出来る日の方が、ダメ。


とりあえず、ほとんど無意識にテレビをつけてしまう。

別に見たい番組がある訳じゃないし、

むしろ、「くだらないなぁ」とか「つまんないな」とか思いつつ見ている。

見ているというか、ついている・・・。

思い切って電源を切っていると、寂しいというか不安な感覚になる・・・。

で、また電源を入れてしまう・・・。


テレビを消して得られる時間の意義は分かっている。

テレビなんか見ないで、勉強した方がずっといいって

分かっているのに止めやれない

完全に支配されているのは私の方・・・。


これってテレビ中毒?テレビの奴隷?


この時点で自分の人生を主体的に生きられてないじゃん。

弱い自分に腹が立つわー!!

悲しくなる。


もっと悲しくなりたくないから、さすがに勉強を始める→

いったん始めちゃえば、勉強自体は苦じゃない→

でも、つまんないことに時間を費やしちゃった付けで、

計画通りに勉強が進んでいないこと思いと→

俄然、やる気がしぼむ→

えーい、やけっぱちじゃ、テレビつけちまえー→

また、悲しくなる・・・。

(これをテレビ地獄マイナススパイラルと命名)



テレビとの距離を自分でコントロール出来ただけでも

大きく成長出来ることは、分かってる。


「強い意志を持って」「そんなものに負けないで」と

精神論を並べられても、

「そーか、良くないよね。やーめた。」って出来ないのぉ、とほほ。


「自宅にいるときはいつもテレビがついている生活だけど、

それが何か?」と

特にそのことに問題意識がない方はそれでいいと思います。

他人が何となくテレビを見ることを許せない!!

という考えはありません。


「どうでもいいテレビ」から解放された時間を

もっと有意義な時間に変換したいと

私と同じことで悩んでいる方いませんか?






ちょい古めの、アンガールズ100キロマラソンから思うこと。


1日100Km走ることは確かに大変なことだと思うけど、

1日2Kmずつ×連続50日で100Km走るとしたら、

そっちの方がむしろ挫折しやすく、

でも達成したとしたら本当の意味で自信になると思う。


学生時代の試験勉強は、いつも前日徹夜、

「まじでやべーっ」って泣きながら勉強していた。

でも、結局試験は通っちゃうし、むしろ成績は良かったりした。

そんな感じだから、私はこつこつ努力して何かを成し遂げたっていう

成功体験が・・・(ちょっと考えてみたけど)これといってない。

第三者的には、何が不満なの?って思われるかも知れないけど、

私は自分の経歴にも、能力にも自信がない。

それらは全部、ハッタリで嘘っぽいし、

『へー、すごいねー。』なんて言われるとかえって恥ずかしい。


ところでアンガールズ、お疲れさん。

確かに頑張った。辛かっただろうね。

24時間で100Km走れと言われているんだから、

しんどいのは体だけじゃなく、

何度もやめたい、ギブアップしたい、逃げたいって、

心が叫んでいただろうね。

しかし、テレビで日本中の視聴者が注目し、

多くのスタッフさんを巻き込んでいるし・・・。


そんな状況は、諦めるより、やってしまった方が楽だと考え、

行動することを選択させる。

『たったあと一日だけだ、やるしかない』 試験前日の私みたい。


今の私は、はったりじゃなく、本当の意味で成長したい」と思っている。

それで密かに目標も持っている。


そんなことを頑張っているなんて、誰にも知らせず、

密かに自分だけのミッションを毎日ちょっとずつ、

でもけして休むことなく実行するって、難しいね。

例えば1日2Kmずつ×連続50日で100Km走るとしよう、

ちょっと考えただけでも、50日もあれば

『今日は他のことで頑張ったからいっか』とか、

『忙しかった』とか、『疲れてる』とか、

いくらでも言い訳したくなる日が誰にでもあると思う。


そんな甘ったれな自分に負けないで、

コンスタントに努力出来る人になりたい。






 






勉強生活が始まって、もう5ヶ月が過ぎた。

いかん、いかん。

こんなんじゃ、全然だめだ。


自分を鼓舞するために、日々の勉強記録をしてみよう。