脱テレビ生活は、これまで何度か企ててきた。

 

初めて親元から離れて暮らし始めるとき、

テレビを持ち込まないことにした。


私の育った家では、当たり前のように

居間のテレビはいつもついていた。

朝早く目覚めた人が、何となくスイッチを入れて、

夜、居間の電気を消す人がテレビも消す。

そんな家庭だった。


「何もやってないねぇ。」といいつつ

一番、退屈を我慢できる番組を選んでは、

テレビは消されることなく、ついていた。


そんな環境で育ったものだから、

テレビが常についていることが当たり前で、

見たい番組を見終わったら、

スイッチを切るという習慣が身に付かなかった。

(食事の時はさずがにテレビを消して、一家団欒でしたが。)


しかし、成長するにつれて

そんなテレビとのつきあい方に疑問を持つようになってきた。


試験が近くなって勉強時間を確保しないとならない期間に、

テレビのある居間から、勉強部屋へ移動するが難儀なのだ。

無意識にテレビに占領されている何かが

自分の中に存在していることに気がついた。


無意識に乗っ取られている自らの領域を、

取り戻したいと思うようになっていたが、

この家にいる限り、それは無理だとも思っていた。


それで、独り暮らしを始めるときがいい機会だと思い

テレビがない生活をスタートさせた。


テレビがない生活で始めに感じたのは

「気付いたら、何時間も経ってた」みたいな

実際の時間の流れと自分の中の時間感覚のずれが、

小さいということだ。

よしよし、なんだかいい感じ。

普段から読書したり、語学の勉強をしたりしちゃおぅ・・・

テレビのない生活が順調にスタートしたかのように思われた。


ところが・・・。

姉から初売りの景品で当たったという小さいテレビをもらってしまった。

「超ボロアパートでテレビもないなんて、なんて不憫なの!!」

という姉の気持ちを思うと無碍に断ることも出来ず。とほほ。


今日一日の些細なことを愚痴れる家族がいないと

テレビでとりあえず気を紛らわせるのが

一番手っ取り早い方法だった。


その結果、いっそうテレビと寄り添う時間が増えてしまった。

ご飯を食べるときもテレビをつけてしまうようになっていった。


たぶんそうなるちゃうと分かっていたから

自分ではテレビを持ち込まない生活を考えたのにね。