台所便り vol.11(立秋)
*************************
Pico Farm「台所便り」は毎月二十四節気の変わり目
前後に発信します!
*************************
昨日から立秋、そして夏の土用が明けました。
「秋」という漢字が暦に登場したのに秋とはほど遠い程暑い今日。
大人の私たちは汗をかいていなくともでも代謝のよい子供は
大玉の汗をかき洋服は直ぐにびしょぬれ1日に何度もシャーワーです。
ちょっとモモが汗だくでかわいそうになるときもありますが
なんせ冷房設備がないし、いまのところつけようとも思っていない
ので涼しくなる工夫をします。
「ない」=「不便」
ではなく
「ない」=「考える」
どうやったら涼しくなるか、知恵を使います。
食べものも冷房の中にいてはきっと欲しがらないであろう
食べ物を体が欲しているみたいです。
たとえそれが砂糖バリバリのアイスクリームであっても食べます。
暑さでばてるより食べたいものを食べて涼む。
玄米も暑いと重く感じて食べたくないときがあるので白米や押し麦
等をいれて食べます。そして冷たいおそばやうどんも。
暑いけどなんかいい感じ。
自然に抵抗するんではなく寄り添っている感じがします。
都会だとアスファルトの照り返しやビルの室外機やいろんな
機械から出る熱で冷房無しという訳にはいかないでしょうが
それが可能な田舎だからできる。
そして家を開けっ放しにしているのでいろいろ珍客がきますが
一昨日からキリギリスが二泊していきました。

玄関から侵入ししばらく居間に滞在、そして階段を経由して
二階に消えたまま行方不明に。夜中クローゼットの中から鳴き声が
するも姿は見えず、今朝になって二階の窓にいるところを夫が発見。
外に出してやったそうです。
虫の声は秋を感じさせてくれるのでいいものですが、
姿が見えず声だけクローゼットのなかから聞こえてくるのも
ちょっと怖かったな・・・
今年は春からはじめたこの「台所だより」のおかげで二十四節気
の暦を意識した生活をしています。
するとこの暦の絶妙な配分がどんなに深いものかを改めて実感。
しかも田んぼや畑や林に囲まれたここでの生活は、その季節の
変化も身近に五官で感じられるます。
昨日で終わった土用もそのひとつ。
土用は夏だけでなく春夏秋冬どこにもありますが、この土用の時期は
季節が変化する間のクールダウンする時期だと私はとらえています。

↑土用は2つの季節が混在している・・・
「陽極まれば陰になり、陰極まれば陽になる」
この「極まった状態」の次は「変化」しかない。
どんなものもこの「極まった状態」にい続ける事ができない。
それぞれの季節の土用が立春、立夏、立秋、立冬の前までで、
「暦の上では秋」といわれてもその季節を感じられないけど
それは、
「極まった状態から土用を経過し
次の季節へ変化しました!」
という宣言のようなものじゃないかな。
例えばキリギリスの声を聞いて秋を感じた事も偶然ではなく
陽が極まった真夏の今、次の季節の秋が入りはじめたっていう証拠。
「最中」にいると変化に気がつかないから暦が役にたつ。
これはなにも季節に限った事だけじゃなく、会社の経営や
個人の成長にもあてはめられること。
特にいい状態の時にこそ「土用」のような時間をもって次に必ずやってくる
変化に備えて準備すること。
特に絶好調の時、なかなかその渦中にいるときは考えにくい。
考える必要はないのかもしれない、感じるだけかな。
自分の「土用」を感じたら変化のチャンスかもしれないですね。
Pico Farm「台所便り」は毎月二十四節気の変わり目
前後に発信します!
*************************
昨日から立秋、そして夏の土用が明けました。
「秋」という漢字が暦に登場したのに秋とはほど遠い程暑い今日。
大人の私たちは汗をかいていなくともでも代謝のよい子供は
大玉の汗をかき洋服は直ぐにびしょぬれ1日に何度もシャーワーです。
ちょっとモモが汗だくでかわいそうになるときもありますが
なんせ冷房設備がないし、いまのところつけようとも思っていない
ので涼しくなる工夫をします。
「ない」=「不便」
ではなく
「ない」=「考える」
どうやったら涼しくなるか、知恵を使います。
食べものも冷房の中にいてはきっと欲しがらないであろう
食べ物を体が欲しているみたいです。
たとえそれが砂糖バリバリのアイスクリームであっても食べます。
暑さでばてるより食べたいものを食べて涼む。
玄米も暑いと重く感じて食べたくないときがあるので白米や押し麦
等をいれて食べます。そして冷たいおそばやうどんも。
暑いけどなんかいい感じ。
自然に抵抗するんではなく寄り添っている感じがします。
都会だとアスファルトの照り返しやビルの室外機やいろんな
機械から出る熱で冷房無しという訳にはいかないでしょうが
それが可能な田舎だからできる。
そして家を開けっ放しにしているのでいろいろ珍客がきますが
一昨日からキリギリスが二泊していきました。

玄関から侵入ししばらく居間に滞在、そして階段を経由して
二階に消えたまま行方不明に。夜中クローゼットの中から鳴き声が
するも姿は見えず、今朝になって二階の窓にいるところを夫が発見。
外に出してやったそうです。
虫の声は秋を感じさせてくれるのでいいものですが、
姿が見えず声だけクローゼットのなかから聞こえてくるのも
ちょっと怖かったな・・・
今年は春からはじめたこの「台所だより」のおかげで二十四節気
の暦を意識した生活をしています。
するとこの暦の絶妙な配分がどんなに深いものかを改めて実感。
しかも田んぼや畑や林に囲まれたここでの生活は、その季節の
変化も身近に五官で感じられるます。
昨日で終わった土用もそのひとつ。
土用は夏だけでなく春夏秋冬どこにもありますが、この土用の時期は
季節が変化する間のクールダウンする時期だと私はとらえています。

↑土用は2つの季節が混在している・・・
「陽極まれば陰になり、陰極まれば陽になる」
この「極まった状態」の次は「変化」しかない。
どんなものもこの「極まった状態」にい続ける事ができない。
それぞれの季節の土用が立春、立夏、立秋、立冬の前までで、
「暦の上では秋」といわれてもその季節を感じられないけど
それは、
「極まった状態から土用を経過し
次の季節へ変化しました!」
という宣言のようなものじゃないかな。
例えばキリギリスの声を聞いて秋を感じた事も偶然ではなく
陽が極まった真夏の今、次の季節の秋が入りはじめたっていう証拠。
「最中」にいると変化に気がつかないから暦が役にたつ。
これはなにも季節に限った事だけじゃなく、会社の経営や
個人の成長にもあてはめられること。
特にいい状態の時にこそ「土用」のような時間をもって次に必ずやってくる
変化に備えて準備すること。
特に絶好調の時、なかなかその渦中にいるときは考えにくい。
考える必要はないのかもしれない、感じるだけかな。
自分の「土用」を感じたら変化のチャンスかもしれないですね。