作/ドン・ウィンズロウ

メキシコとアメリカ国境付近を舞台に、熾烈で凄絶で血みどろの麻薬戦争を、麻薬捜査官、麻薬の製造元である『ファミリー』、その仕事をする殺し屋、それから高級コールガールの視点で描く。

私は、麻薬を見たことがない。
生活範囲に多分無い。もしかしたら病院にあるかもしれないけれど。
日本人ならきっと、ほとんどそんな感じじゃないでしょうか。
麻薬と覚せい剤の違いはよく分かりません。
やっぱり、日本で暮らしてばきっと、ほとんどそんな感じじゃないでしょうか。
日本で生まれて日本で死ねば、ずっと、そういう悪いお薬に出会わずに生きていけるのではないでしょうか。
…と言ったら、オマエはどんだけ箱入りなんだよ、と言われた。
そうなの?

始まりからして、阿鼻叫喚の地獄から。
全身で子供を庇う母親もろとも打ち抜かれた子供、凄惨な拷問の現場…などなど。
何故、こんなことが起こってしまったのか。
「犬の力」
そこに働いた力。

色んな視点から、ぐちゃぐちゃな麻薬戦争を描いているのですが、案外冷静に、まるでビジネスマンのように『事業』を拡大していくカランのファミリー。
売ってるものが麻薬じゃなきゃ良かったのに。
売っているのは麻薬だけど、麻薬王だけど、人間として、『悪い』人に見えないのだ。
奥さんを大事にして、障害を持って生まれた娘を、感動的なまでに愛していて、まるで理想の父親なのだ。
なのに何故、人の子や妻を、殺すことが出来るのか。
「犬の力」
それが違和感なく書かれている。

そんな彼を追う捜査官アート。
麻薬を国に入れない。それはきっと正しいことなのだろう。
その正しいことをするために、アートは嘘を重ね、罪のない人まで死なせ、狂い、途方もない屍山血河を築いていくのだ。
冷静に「ビジネス」を展開していくカランに対し、火の出るような執念で、家族さえも捨てて戦場を征くアート。
正しいことをすべきなのに、誰よりも狂っているアート。
「犬の力」
その狂気が強烈に書かれている。

とにかく、アートの狂気が怖かった。どんどん、どんどんどんどん狂っていくのが本当に怖かった。
こんなにも、狂わないと戦えないのかと。
こんなにも、手を汚さないと守れないのかと。
こんなにも、犠牲を払っても、何も守れないなんて。
その狂気に説得力があるのが堪らなかった。

なので、私は友人いわく箱入りでよかったと思ったのです。なんつーか、もう箱から出る気ないもんね。
四年に一度、前世ではドイツ人だったに違いないと勘違いする私です。
要するにサッカーです。
オマエは日本人だろうがと自分ツッコミをしつつ、追いかけるのはドイツ人。
お陰さまで、日本の選手は本田以外さっぱり分からないという、日本人離れした知識の持ち主になりました。

それでも一応はW杯が終われば落ち着いて、とりあえず日本人に戻るのが常なのですが、今回はどうも戻りきれていません。
普段はあまり気にしないユーロ予選を追い掛け回し、代表選手の多くが在籍しているバイエルンミュンヘンの不調に心を痛め、バラックの動向にハラハラし、ラームの小ささにモエモエし、ミュラーの言動にウキウキし、そんなことをしているうちに、フィギュアのシーズンに突入していたというわけです。
忘れてたよ!
華麗で迫力満点の4tより、クローゼの飛翔のが気になるとは!

俺様倉庫
ウワサのクローゼの飛翔。高過ぎ。

とにかく、今回のドイツは素晴らしすぎた。
強い!速い!デカイ!若い!巧い!の五拍子。
クローゼとか、押されようがユニフォームを引っ張られようが倒れず、なんかよく分からないけど、ここしかない!場所に何故かいる。
エジルとか、ミュラーとか、速くて自由な風のように吹き抜けて、あっという間にゴールに辿り着く。
きちんとした組織が出来ていて、すごく真面目なチーム。すごく鍛えられてきたのが分かるチーム。それが自信になっているチーム(スペイン戦以外…)
アルゼンチンのメッシみたいに突出した選手はいないんだけど、個々のレベルが高く、それでも個ではなく11人でサッカー出来るチーム。
特にカウンターは最高に気持ち良かった!
誰かがボールを取ったら、4~5人が一気に反転、攻撃に転じる。相手DFを置き去りにするスピードで。
ジャンプの漫画かよ!という、割とありえない躍動感があったと思う。

そんな、プレイ自体も素晴らしかったけど、正直、サッカー以外のところも楽しくて。
対イングランド戦後のインタビューで、「じいちゃ~ん、ばあちゃ~ん見てる?」と言い出したミュラーに惚れた。
対アルゼンチン戦の国歌斉唱時のミュラーのウィンクになんか、いろいろ持っていかれた。
あんまりしつこく見ていたせいで、ドイツ国歌がなんか歌えるようになってきた。意味はさっぱり分からないけれど、アーイニヒカイウンリヒウンフライハーで始まる気がする。そう歌ってる気がする。
ミュラーのウィンクはフェ~アダードイチェの辺り(分からんて)
国歌斉唱と言えば、ラームからノイアーに行く時のカメラの動きも堪らない。なんて角度だ!

そして、国に戻れば、なんかよく分からない露出の多さに、再びドイツ人になりたくなる私です。
CMだとか、CMだとか、CMだとか!
みなさんすっかり慣れきって、余裕の表情です。
「愛用の香水」などという記事まであるそうで、なんかもうアイドルはだしなステイタス。
サッカーボールがヒトコマも出てこない写真集は買いました。
武器になりそうな厚みと重みを持つ豪華な装丁で、中身は一切サッカーには関係ない写真が続いていくのだ。
何、この意味不明な濃さ!と、震撼せずにいられませんでした。

これでは覚める様子もない。
ああ、ユーロ楽しみだなあ。
今度こそ打倒スペインで!
日本が出ていないので、心置きなくドイツ人になれるぞo(〃^▽^〃)o(なれるわけない)

2006年、ドイツ自国開催のワールドカップ。

戦いに臨む、ドイツ代表の姿を追ったドキュメンタリー。


激しく今更だけど汗

私は、サッカー・ドイツ代表が大好きだ。

日本対ドイツで試合をするなら、迷わずドイツを応援してしまうだろう。


2002年日韓大会決勝。

ドイツ対ブラジル。

勝者はブラジル。

でも、ゴールポストに背中を預けて座り込み、歓喜に咽ぶブラジル代表を、静かに見つめるGK・・・そしてキャプテンでもあった、オリヴァー・カーンの姿を見た瞬間、大袈裟ではなく恋に堕ちたのだ。

もっと真剣に見ておけば良かったと、頭から火が出る勢いで後悔し、写真集だとか、男の世界な応援歌だとか、そんなものに手を出しそうになる、ニワカかつミーハーな欲望を押さえつけ、4年経った。

2006年ドイツ大会。

自国開催なのに、カーンが守っていたのはベンチだったのだ。

そして、この大会の三位決定戦を最後に代表引退。

こんなに美しい引退試合もないだろう。

そう、カーンが言う通り、美しい試合だった。


その、2006年のワールドカップ。

二十歳そこらの若い、かつ死ぬほど小さいラームの鮮やかな一発から始まったこの大会。

とにかくラームという選手は小さくて、左腕がギプスで、小動物のようにかわいらしいのに、割と強気に堂々とピッチを駆け回る。

そんな姿にときめいて夢中になり、カーンとは真逆のタイプじゃねえかと連れにつっこまれつつ、ともすれば180センチ台後半がアタリマエの、巨人王国の中に紛れてしまうラームの姿を必死に追った。


俺様倉庫
そんな二人のツーショット。カーン様なら、多分片手で持ち上げられる( ´艸`)


てなワケで、映画なのです。

サッカーなのに、割とタイトル通りメルヘンだった。

本当に、そこにカメラなどないかのように、選手は自然な表情をしている。

湯上りに、前すら隠さない。

ナレーションすらなく、ただ、ひたすらカメラが映した映像が続いていく。

だと言うのに、準決勝のイタリア戦に敗れ、ロッカールームの、もう立ち上がれないのではないかと思うほど、打ちひしがれた彼らの姿に、私の涙腺はたわいもなく決壊したものです。

さらに、そんな彼らを迎えるドイツの人たちの地鳴りのような歓声で、彼らは再び浮上するワケですよ。

絶え間なく、本当に包みこむような歓声に、一瞬唖然とし、次の瞬間全身で、それに答える選手の姿を見るにつけ、ドイツ代表にとってサポーターとはどういう存在なのか、ドイツの人たちにとってドイツ代表がどういう存在なのかありありと分かって、私はすごく、羨ましくなってしまうのだ。

三位決定戦の後、スタジアムの夜空にあがる花火。

レーマー広場の祝勝会。

メルヘンとしか言いようがない。


本当に、ドイツの人たちはこの、代表選手を息子のように、兄のように、弟のように、親友のように、恋人のように愛している。

そこには言葉など必要なく、映像を見ているだけでも、その愛情のようなものが伝わってくる。

それに、ちゃんと答えてくれるんだよね、彼らって。

なので、私はワールドカップが始まると、心の底からドイツ人になりたくなるのだ。

2010年南アフリカ大会版も作ってほしい。作るべきだ。

できれば日本語版・・・せめて英語版を。

ドイツ語版しかないので、インタビューなんてさっぱりさ!

かわゆいラームくんが、布団かぶったまま一体なに話してるのか知りたいぞーグー



監/ボブ・ジラルディ
出/ダニー・アイエロ、エドアルド・バレニーニ

NYはトライベッカの人気リストランテの、驚天動地の一夜を描く群像劇。
オーナー兼賭けスポーツの胴元ルイス、その息子で新進気鋭のスターシェフのウード、腕はいいがギャンブル中毒で借金大王なスーシェフダンカン、二人の間で揺れるウェイトレスニコーレ、物知りバーテンダーショーン、などなど、曲者揃いのリストランテ。
そこを訪れる客も、気難しい美術商と若いアーティストたち、毒舌批評家、刑事にギャングに金融マンと、矢張り曲者揃い。
そんな曲者たちが一同に会したその日、一体何が起こるのか?というような。

私は、この映画がどうにも好きでねえ…
ふらふら~~とTSUTAYAとかに入ろうものなら、まず二回に一回は借りるね、凝りもせず。
もういい加減に買えばいいじゃんとか思いつつ、なんとなく買わずにいる一本だったりするのです。

戦場のような厨房、店内を走り回るウエイター&ウエイトレス、押し寄せる客、エバるウード、賭けに負けるダンカン、ひたすら食いまくるギャング、時々親子ゲンカをしてみるオーナー親子、そんな様子を微笑み見守る謎の金融マン…といった按配。
スピード感バツグンで、何度見ても爽快です。
監督のジラルディが、ミュージック・クリップやCM出身で、ついでにいくつものリストランテを実際に経営してるとかで、ポップでキッチュな映像と、そこはかとないリアリティが魅力だと思います。
なんか、地に足のついたオシャレ感というか。

んでもって、私、俺様シェフ・ウード役のバレリーニの顔が好きでたまらんのですよ。
この手のカオがもー本当に大好きなんですよ。
やや薄味で端正な顔立ちに奥二重で黒目がち?それが大事。
そんな彼が、料理の天才で自信満々で、イタリア語をたしなみつつ、踊るように料理をし、部下はもちろん、厨房に侵入したギャングをも怒鳴り散らし、シェフへの回答は三つ。はい、いいえ、わかりませんだけだ、他は許さんとか言うのだ。たまらん。
あれこれ言ったけども、要するにバレリーニ見たさでリピしている作品です。
他の出演作があんま見つかんなくてね…

それにしても、そろそろ買うべきですねー。
おはなしもきちんと面白いですよ。



バレンシアガ様を買ってしまった。
ネイビーブルーのザ・ファースト。
もう欲しくて欲しくて、でも高くて手が出せなかったバレンシアガ様。
呼び捨てに出来ないバレンシアガ様。
真正面から見ることも憚られるバレンシアガ様。
要するにアコガレのバレンシアガ様。

ボーナスもらったし、ちょっと昇進したし、資格試験にも受かったし、わたし、最近頑張ってるもん、ご褒美あげてもいいんじゃない?と、言い聞かせながら清水買い。
ライセンスラインという、少し手の出しやすいラインもあるのだけど、やっぱりザ・ファーストの美しさは格別。
あの長いフリンジは絶対必要!だってバレンシアガだもん!
綺麗なスカイブルーとか、渋いスモーキーグレイとか、オリーブカラーとか、翡翠みたいなグリーンとか、上品なホワイトとか、オーソドックスなブラックとか、もうもうもうもう全色揃えたい衝動に駆られる!無理だけど!
ザ・シティにも目を奪われました。いつか出世したら買おう。買えるといいな。

そんなわけで、どうしようもないぼくにてんしがおりてきた!
眺めてにやにやしています。今はこれが精一杯。もう使うのがもったいないんです。わたしのバレンシアガ!すごい!
頑張ってよかった!頑張るぞ!



出/ハリソン・フォード、ルドガー・ハウアー
監/リドリー・スコット

フィリップ・K・ディックの「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」を原作とする、映像化されたSFの金字塔にして教科書。
近未来の地球。
多くの人類は荒廃する地球を捨て、他の惑星に脱出をし始めた頃、人類より優れた能力を持つアンドロイド…レプリカントが誕生していた。
その優れた能力に畏れを抱いた創造主たる人類は、その被創造物にわずか4年の寿命という呪いをかけた。
それに抵抗しようとする脱走レプリカントたちを「狩る」ことを生業とする「ブレードランナー」のデッカードは、ロイというレプリカントをリーダーとする、四人のレプリカントの追跡を始める。
その追跡の過程で、レイチェルという名の「特別な」レプリカントに出会うが…

ファイナルカットが出た!
私はこの作品が大好きで大好きでたまらず、先ほど発売されたBOXを買おうかどうしようか苦悩し、でも貯金の心細さに絶望し、それでも死ぬまでに見たいと熱望していた、ブレードランナーのファイナルカット!
ああ、やっぱりいいなあ、と浸る日々。
これ見まくるために有給とった不良社会人な俺。
ものすごくパーソナルな部分で、とても大切な作品です。

近未来の風景は、この作品で完成されたと言っていいと思う。
この未来の風景は、さまざまな作品で登場する。
高層化された都市、色鮮やかなネオン、その足元には薄暗い景色が広がり、煤け、古ぼけている。
近未来の景色は、知らない街でありながら、どこかで見たことがあるような、そんな不思議な気持ちになってしまう。
これが未来か、なんて思う。

そんな風景に生きる人々で、矢張りルドガー・ハウワーのロイは出色と言うか何と言うか。
軍事訓練を受けた殺人マシーンでそのものありつつ、その青い瞳はあくまでも澄んでいて、圧倒的な哀しさを背負う。
もうすぐ傍に迫っている、その兆候も確かに現れている、その最期のあがきを見て、レプリカントは確かに生き物なのだと思い知るのだ。
All thouse moment will be lost in time. Like tears in the rain. Time to die,,,(綴りが怪しい…)
雨の中の“その時”の、その瞬間は、涙なしでは見られない。
その瞬間に、自ら与えた“その時”からデッカードを引っ張り上げる。
一体、何を思って?
降りしきる酸性雨の中で、デッカードは一体何を思っただろう。
何を思い、レイチェルの手をとったのだろう。
ああそうだったのか、と、見るたびにいつも違うことを思ったり、感じたりする。

いっぱい、ほとんど無意味なくらいに深読みして、私はこの作品を飽きることなく何度も何度も繰り返し見ます。
そして、友人に薦めてみて、「あんまり…」風な反応に全力でガッカリして以来、どうも誰かも薦めることが出来ないでいる…
こっそり大切にしていこうと思っている作品です。
そんなヤツは、多分、きっと私だけじゃない。
何事も深く考察せずにはいられない安藤は、最近注目の若手政治家犬養にとらえようのない不安と畏れを感じている。
その安藤の不安を証明するように、「世の中」は犬養のための舞台を整えつつあった。
同じ頃、自分に何か不可思議な力があると気がついた安藤は、その力を使って犬養を止めようと考え始めるが…

伊坂幸太郎です。
絶対いつか直木賞を獲るに違いない、てゆーか三回ノミネートされて、三回ふられた作家です。
次ノミネートされる時も「わたしたちが彼の作品を評価するなどおこがましい」というような、そんな不可解な理由で受賞を逃すに違いないのです。受賞する時は多分5回目のノミネート以降。
宮部みゆき、京極夏彦、東野圭吾と同じレールに乗りました。
売れる!読みやすい!外れがない!そういう作家だと思います。

さて、本作でございます。
「重力ピエロ」を読んだ時も思ったけれど、日本で最も仲良し兄弟を描くのが得意な作家の1人ではなかろうか。
弟は、あんなにもお兄ちゃんを慕うものだろうか。
お兄ちゃんは、あんなにも弟を大切にするものだろうか。
そんな絆みたいなものを、ごく当然のように書いてしまえるところが私は実は好きなのです。
てゆーか、本当にごく当然に思っているんじゃないかという気がする。
伊坂先生の家族構成などは存じ上げていないけれど、ものすごく素敵なお兄さんがいるに違いないと思わされる。

そんな兄弟が立ち向かう相手は、『魔王』です。
カタチのないものが相手です。
ゲーテの戯曲「魔王」がモチーフで、私がアレコレ言うまでもなく、とても巧く使われています。
魔王の姿は子供にしか見えなかった。
お父さんはそんなのは見間違いだと諭すけれど、子供の方が正しかった。
そして、それを見てしまったからこそ子供は命を落としてしまう。
『魔王』とは何か。
なんでも深く考察せずにはいられない、頭のいい安藤にはその『魔王』が見えていて、その正体も判っていて、しかし子供ではないから、だから立ち向かおうとする。
扇動されて、暴走する人々の中にあっても、自分で考えることの出来る安藤ならば、流されたりなんてしない。
だから、彼には『魔王』が見えるのです。

その兄の目が見たものを一緒に共有してしまえるのが弟の潤也。
潤也は多分『魔王』の姿は見ていないけれど、でも、兄が見たことを知っている。
この作品の中に出てくる日本は、確かに架空の日本なのだけど、だけど、思い当たるところが沢山あって、なんだか反省してしまう。
安藤兄弟は、確かに青臭いところはあるけれど、正しい気がする。青臭くて何が悪い、とも思う。
犬養みたいな存在が実在したらいいという気もするけれど、それも確かに危険だと思う。
いざと言う時、私は『魔王』の姿を見つけられるだろうか。そんなことが出来るだろうか。寧ろ私は『魔王』に加担してしまうのではないだろうか。それがすごく心配なのです。

『魔王』とは何か。
きっと、どこにでもいるのでしょうね。私が、気がつかないだけで。


監督:ブライアン・デ・パルマ
出演:ジョシュ・ハートネット、スカーレット・ヨハンソン、アーロン・エッカート、ヒラリー・スワンク

「LAコンフィデンシャル」の原作者エルロイの、実際に起こった未解決事件に迫る、四大LA暗黒史シリーズの、記念すべき第一作。
1940年代後半、アメリカはLA。その街角で、女優志願の若い女性が惨殺死体で発見される。
彼女…エリザベス・ショートは、常に黒のドレスに身を包んでいたことから、「ブラック・ダリア」の異名があった。
この事件の捜査にあたるLAPD特捜部の名物コンビの“アイス”ことバッキーと、“ファイア”ことリー。捜査が進むにつれ、異常な執着をしめすリーに困惑するバッキーだが。

一度、原作を読んだ。いや、読んでしまったと言った方が正確かもしれない。
乾燥した文体で語られる、底意地の悪い狂気に圧倒された。誰もが正気を失って、誰もが等しく狂っていた。大好きと言うと正気を疑われる気がするけれど、だけど、確かに傑作と言っていい一冊だったと思う。
原作「ブラックダリア」はそういう一冊です。

その映画化。
だが、かなりぬるいと言うしかない。どうしたデ・パルマと言うしかない。
ハリウッド黄金期みたいな華やかな映像美、古典的大女優の風格を感じるヨハンソン、エッカートの焦燥、ハートネットの困惑、「魔女」のようなスワンク、と一定水準には達しているのだけど、なんか物足りない。
もともと、二時間で収まる話ではないのだと思いました。
そして、多分、私とデ・パルマのツボの違いが大きいのだろうなあ、と思いました。
バッキーとリーは、もっと狂うべきだったと思うのです。
ブラックダリアのせいってよりも、狂気の鍵みたいなものを開けてしまったのがダリアだった、みたいな感じに。
二人とも、もともと狂っていたんだ、みたいな感じに。

まず、バッキーはもっと狂気に走った方がらしいと思うのですよ、少なくとも、この作品のリーくらいには。
WW2下のアメリカで、ドイツ系であったことから周囲に馴染めず、つい、友人の日系人を「国」に売ってしまったという負い目があって、それ故に妙に冷めていて、自嘲気味で、でも正しい人間でありたいという願望があり、その想いがあるせいで狂ってしまう。
より、ブラックダリアにのめり込むのは、バッキーのが似合ってませんかね?
ジョシュ・ハートネットはとても可愛いのですけども、適度に陰もあるのだけども、この、冷静に狂っていくボタンの掛け違いっぽさ、正しいことをしたいのに、何が正しいのか分からず、自分に自信がない感じを出すにはまだまだ若いなあ、などと、意地悪なことを考えてしまったのが、正直なところです。何様ですか、わたし。

そして、リーは自覚して狂って行って欲しいのですよ。原作にあった、小悪党の悲哀のようなものを見たかった。
本質として、汚職警官なんだと思うんです、リーって。
ケイとバッキーは可愛いんだけども、もう、正しく生きられない感じ。
器用に立ち回っていたのに、詰めを誤ってしまう感じ。
警察官としての良心のカケラみたいまものが、ダリア事件にのめり込む理由みたいな感じ。
にも関わらず、明るくて、懐っこくて、面倒見がよくて、理想に兄貴のようにバッキーに振舞うんですよ、演技でなく、結構本音で。
その辺りの乖離した感じが不気味で、哀しくて大好き(と言うと正気を疑われそうだが)なもので…

女性陣は、ヒラリー・スワンクは怪演だったのですけども、もっと、こう、悪気がない感じのがらしいと思った。
映画を語る原作好きは本当に鬱陶しくて申し訳ないのだけども、天然で悪女って感じじゃなかったですか、原作?
だって仕方がないじゃない、わたしがこうしたかったんだもの、何か不都合でもあって?的な。
生まれつき悪女の気持ち悪さが是非欲しかったです、何様、わたし。
ヨハンソンは、この作品の良心…いや、正気を象徴するキャラクターで、まあ、いいんです。綺麗だったし。
なんだけども、他のキャラがもっと狂いに狂ってこそ生きてくるキャラクターでもあるわけで、狂いっぷりが物足りないので、なんだか、やっぱり物足りないというのが正直なところです、綺麗だったけど。

原作を、かなり柔らかくしてあるなあ、というのが総合的な感想です。
もっと気持ち悪くてもいいんじゃないかとか、思ってしまいました。
この物語に、救いなどいらないのです。
この物語は、人間の醜さをとことん突き詰めるべきモティーフだと思うのです。
この物語の結末には、希望も、美しさも、解決も、答えも、いらないのです。救いなど、ないお話なのですから。

光と闇それぞれに属する者たちは、苛烈な戦いの果てに、苦肉の策の休戦協定を締結するに到った。
それは、お互いを監視しあうというもの。
光の時間である昼間に、光の者たちが協定を犯さないか監視するの闇の者たち…デイウォッチと、闇の時間である夜に、闇の者たちが協定を犯さないか監視するのが光の者たち…ナイトウォッチ。
互角の力を持つが故に、危ういバランスを保っていた光と闇の者たちだが、絶大な能力を持つ光の魔女が誕生、そのバランスが崩れつつあり、巻き返しを図る闇の者…デイウォッチだが。

本国ロシアでは、カリスマ的人気を誇るシリーズの第二弾。
なんと言っても、古典的で分かりやすい設定、ゲーム的な世界観、パンキッシュで退廃的なトーン、人とは違うために感じる孤独感と刹那感などなど、ツボをついた細工がいっぱい。
私は光にも闇にも属さない人間だが、なんとも言い様のない孤独感などを感じたことがある。
てか、誰でもそうだと思うんだよ、特に十代のあの辺り。
普通ではいたくないけれど、だからと言って孤立はしたくない、あの、思い出したくないような、一生大事にしておきたいような、17歳前後の大人と子供の狭間の、要するに青春時代とかそんな時代。
この「ウォッチ」シリーズのキャラクターたちは、そんな想いを抱えて生きているような気がする。
普通の人ではないけれど、普通の一般市民のような表情で暮らしている彼ら。
自分もそうだったと、感じない人はいないのではなかろうか。自分のセンスには反するが、とりあえずルーズソックス(死語)とか履いたよね?そうだよね?今思うとどうよ?とか思わない?思うよね?

基本的に、このシリーズのキャラクターたちは、物語をコントロールする力は持たない。
チェス盤の上の駒のよう(本編にもそうい表現出てくるし)な存在。
必死に抵抗するし、自分の意思で戦うけれど、それは全部想定の範囲内の予定調和で、お釈迦様の掌からは逃れられない。
そんな、チェス盤の上のポーンたちが、いかにしてプレイヤーに一矢報いるのかが読みどころかと思われます。
ビショップを守るためにポーンを大量に消費しようとするプレイヤー、消費されてもビショップを守りたいポーンたち。
その辺りが切なくていい。
そして、遂に成功するのです、掌から一歩出手、お釈迦様を出し抜くのです。
その結果の切なさもまた、この作品の特徴かもしれません。
「ナイトウォッチ」もそうでした。
大きなものを犠牲にして、小さな、自分の両手で抱えられるくらいの大きさの、当人にとって一番大事な者を守る…みたいな。
いつか、チェス盤から出られるといいね、と思う。

本作は三部作なので、もうちょい続きます。
三部作と言いつつ、あと二作出るらしい。あれあれ?計算あわなくない?
まあ、人気シリーズの宿命ですよね。
ストーリーよりも何よりも、設定その他がツボにはまるので、いくらでもおつきあいしますけど。


  
「イリアム」続編。
以下、「イリアム」のネタバレありです。要注意!





手に手をとって、神々に逆らうことを決意した、トロイア・ギリシア連合軍を、火星の調査に来ていたモラヴィックたちが支援する。
熾烈な戦いの中、人間たちの連合軍も一枚岩ではなかった。
一方、地球では、暴走する「下僕たち」の猛攻を前に、まさに滅亡の危機に瀕していた…
「ポスト・ヒューマン」が遺した負の遺産を前に、人々はいかにして抵抗するのか。

やっと読めました。
ビッグ・スケールで、文学、神話、SFのアクロバティックな融合が読みどころな本作。
それでいて、キリスト教的引用なりが徹底的に排除されているのも面白いところ。
とにかく、力技の連続。
シモンズは、かなりやりたい放題やったのではないだろうか。
それを優先させた結果、相当無茶なことをして、平凡な作家だったら、絶対にこの物語を纏め上げることは出来なかっただろうと思われる。
後からよく考えると、「あれ?」と思うところが結構沢山あるのだけど、読んでいる時は夢中で、全然そんな矛盾に気がつかない。
本当に、かなり相当無茶なことを連発しているのだけど、それが些細なことに思えるのだから、流石はダン・シモンズと言うべきなのだろう。

それにしても、本当にシモンズはギリシア神話を読んでいて、イライラした人なんだなあ、と思った。
そうだよね、ギリシア神話の神々はちょっとヒドイもんね、そうだよね。
ヘラとかヤバイもんね、ゼウスは女の敵だもんね。
私もいつもそう思ってたんだよ、こんなエロ親父が最高神でいいのか、ギリシア人!!!!って。

いや、そういう話ではないんですよ。
そういう話がクライマックスのひとつなんですが、狂気のエデンとそこから逃れた人々…あるいは破壊した人々が、小さなエデンを自分の手で作る。
だから、戦うことに意味があるんじゃないの?
そんな話(多分)
繰り返される歴史の輪からそっと逃れて、その歴史の物語を語ったりする。
間違いなく、そのラストシーンは最高にシアワセです。

ついでに、天国とか楽園とかって、場所の名前ではないのかもしれない、とも思ったりした。
なんつーの。どこにいるのか、じゃなくて、誰といるのか、が大事なんじゃないかと。
人間たちは過酷な戦いをいっぱいしたけど、修羅場を経験したけど、1人じゃなければ大丈夫、そんな感じがしたりして。
きみがいるからぼくはしあわせ、みたいな。
そのために戦うなら意味があるんじゃないの?
そんな話(多分)