江戸時代から生き続けた手織り機
江戸時代前期?と思われる機を知人を通して福知山の方に頂きました。
今の時代であれば、これだけの太いずっしりとした木は、もったいなくて使わ
ないのでは…。何百年の間に虫に食われているところがあったり、壊れかけて
いるところがあったりですが、こんなにも長い間に何人の人の手が触れた道具
だろう?と思うと、いとおしさを感じます。(*_*)
サイズは
・長さ…2.6m
・幅 …0.91m
・高さ…1.6m
私の部屋に置くのにぎりぎりで機の前後を通るには、体を横向きにしないと
歩くこともできません。![]()
丹後半島でちりめんを織るのにつかわれていた機のようです。
この機の存在感に魅かれ、「部品が足りないかもしれませんよ。」という持
ち主の言葉も耳に入らず、倉庫に解体されてしまわれていた機を貰い受けたの
でした。
持ち帰った後、夫が組み立ててくれました。でもどうしてもどうつなぐのか
わからないところがあったのですが、神戸に住むBさんが自宅まで来てアドバ
イスしてくださいました。
ついでにBさんは一緒に頂いたものの壊れていた綿繰り機と糸車を直して、
ピカピカにしてくださいました。
機のほぼ全容はできたのですが、筬と機をつなぐところの板が壊れていたり
、前付けや後ろ付けをするのに必要な道具も見当たりません。
機に詳しい方に自宅に来ていただいたり、青垣に行って古代機が直せる人が
いないか尋ねる一方、自分も機織りを習って機の仕組みを理解しようと試みま
したが、今のところ明るい見通しは立っていません。
それどころか、たくさんの織ができる新しい機がほしくなってきました。
今までに織の講習を受けに行った川島テキスタイルスクールも伊丹工芸セン
ターも洋機を使っていて、綜絖の数も多く複雑な織ができます。
この魅力にはまってしまい、こんな機が早くほしいなと思うようになってきたのです。
今、気持ちは複雑です。時代を越えてきたこの機も何とか息を吹き返させたい
し、「ワッフル織」や「レース織」「二重織」などを洋機でやってみたいし…。
どうすればいいのでしょう?
竜馬も食べた あの味
『竜馬がゆく』の中で、竜馬が京都で食べたと紹介されている「たくあんの煮
つけ」。最近では料理研究家の方が「おこうこうのたいたん」として教室で教
えておられました。私の田舎、養父市でも作られていて、実家の母もよく作っ
ていました。古漬けのたくあんが2本残っていたので、作ってみました。![]()
このたくあんは一昨年(2009年)の秋に、豊岡市に住む叔母(母の妹)に教
えてもらってというかほとんどやってもらって、干してふにゃっとなった大根
30本をつけたのです。
つけたての大根はお正月ごろには食べられるようになり、あまりのおいしさに
ばくばく食べてしまって残りが少なくなっていたのですが、そのあとしばらく、
たくあんの存在を忘れてしまっていました。![]()
昨年(2010年)の12月に新しい大根を漬ける準備をしようとして、たるに
残ったたくあんの存在に気づきました。
「ああ、もったいない。」そうだ、少し酸っぱくなったたくあんは母がやって
いたように煮つければいいんだ…。![]()
塩気を抜くために時々水を変えながら、1日水につけ、よく水を切った後、煮
干しのだしで酒・みりん・さとう・しょうゆでたきました。
酸味がとれていい味でした。
この味が忘れられず、昨年も叔母に無理を言って今度は40本の大根を漬けま
した。なかなかいい味に仕上がっています。ただいま人気者です。







