自称ルポライターtomy4509からは、「男性メシヤ」のみで「独生女(女性メシヤ)」を否定されて、なおかつ、お母様が進めておられる「真の父母論」を受け入れようとされない論拠についてですが、Nickさんに『先生が、複雑な霊界の働きの中で、生き残った「戦勝記」』と言われた「原理講論」から尋ねていましたが(「Re:”火事場の馬鹿力”はNickさんの白旗宣言か?ーー原理は嘘は語っていない」)、未だにその回答がありません。
前回記事では原理講論に記載された「真の父母」(「独生子」×「独生女」=真の父母)を掲げては、私からNickさんへ反論していたもので、お母様もこの『原理講論』に手を加えることができる資格を有するかどうかを論じているものです。
再度Nickさん記事・コメントNo.17にて確認を促したりもしましたが、やはり、「白旗宣言」ですかね?!
コメントNo.17
>にくい Nickくんさん(No.14)
お父様のみ言を含むとされての回答のようですが、原理講論からは「男性メシヤ」についての記述についての回答は一つもありませんが、どうなのでしょう。Nickさんの逃げ口上のように感じられます。
私が提示した韓国語原文からは「無原罪エバを捜して」というものもありました。この訳文を隠蔽されたままのあなたは信用できない人となります。これからは「無原罪エバを捜して」もまた文総裁のみ言です。オープンでお願いします。
お父様が最初に語られた「独生女」もありました。
◆「イエス様以降の人類歴史は「独生女(独り娘)」を迎えるための摂理」
https://ameblo.jp/peace-tomy4509/entry-12856952277.html
また、お父様のみ言を含めてと言われるのであれば、女性連合創設大会での宣布「メシヤ=再臨主=真の父母」というものもあります。全くの偏向思考で固まった机上の空論「独生女(批判)論」信者そのもののように思います。
史吉子著の「み言の証」の引用も出されていました。これもまた、参考文献となるものです。
韓国語原文ではページ数は分かりませんが、日本語訳ではP.251「お母様はお父様の偉大な傑作品」からでしょうが、Nickさん引用の手前文には、お父様とお母様は半分ずつだとの記述もあったでしょう。お一人では完成品(メシヤ)とはなり得ないと。聖書を論拠としても言えることです。エバはアダムから取ったあばら骨です。結婚すれば再び結びつくように創造されたということです。
ーーーーー>(※Nickさんが引用された「み言の証」韓国語の日本語訳)
『私が初めから、メシヤとなる道が、
完成したアダムが、エバを完成させることだと分かったならば、
そして、それがこんなにも難しすぎることだと分かっていたなら、
メシヤの責任を辞退していただろう。』
とお話になられました。
そんなことも分からずに、
メシヤの責任を引き受けたと言われました。
アボニムは、白紙状態にあるオモニを
娘のように育てなければなりませんでした。
史 吉子(サ キルジャ)(劉 孝元:ユ ヒョオン 元協会長夫人)
『原理に関する「み言」の証』 333頁 (成和出版社 2012.08.08)
ーーーーー<(※ 引用終わり)
さて、このような「切り出し文」でもって前後文を隠蔽しての文意の歪曲改ざんは、これまでも非原理集団の方々がされていた手法そのものを自称ルポライターtomy4509は見てきています。
■もう一度の確認です。
原理講論は基本中の基本です。『先生が、複雑な霊界の働きの中で、生き残った「戦勝記」』です。
原理講論には、「メシヤは男性アダムだけ」だという【真理】はどこにありますか?
peace 2024-06-22 23:45:28
(※ コメントNo.17終わり)
原理講論の執筆は史吉子女史の夫・劉 孝元 教会長がされたものでしたが、『原理講論』総序末尾(以下)からも、「原理」はそこで完結されたものではないことを明言していました。
ここに発表するみ言はその真理の一部分であり、今までその弟子たちが、あるいは聞き、あるいは見た範囲のものを収録したにすぎない。時が至るに従って、一層深い真理の部分が継続して発表されることを信じ、それを切に待ち望むものである。
暗い道をさまよい歩いてきた数多くの生命が、世界の至る所でこの真理の光を浴び、蘇生していく姿を見るたびごとに、感激の涙を禁ずることができない。いちはやくこの光が、全世界に満ちあふれんことを祈ってやまないものである。
半世紀以上も前の1967年10月に『原理講論』の日本語初版が発刊されましたが、版を重ねるごとにその歴史を物語っていました。
私が統一原理に触れた当時の原理講論は初版と同じ全600ページでしたが、のちに韓国語原文に合わせて全604ページになったものを私の手元に置いています(昭和57年 第15版補足改訂)。その後もお父様とお母様の位置関係においての変化もあって、原理用語が「新生(論)」から「重生(論)」へと変更された『原理講論』が発刊されています。それの「三色刷り」は我が家の祭壇にあり、ママさんが毎日訓読しています。
ところで、「重生」とはキリスト教でいうところの「新生」ですが、その違いについては以下がその参考となると思います。
天一国経典『天聖経』, 第二篇 真の父母, 第三章 真の父母と重生, 第二節 重生と血統転換, 12
来られる主は父なので、その父の骨髄の中に入っていかなければなりません。堕落した人間は、本来、父の中に入ったという条件を立てなければ生まれ変わることができないので、イエス様を新郎として、侍る聖霊の恵沢を受け、男性であるイエス様の骨髄の中に入っていくようにしてきました。しかし、実体で、イエス様の骨髄の中に入っていくことはできません。それで、愛する心の中に入っていかなければなりません。愛する心であれば、通じることができるのです。キリスト教徒たちがイエス様を信じる理由は、母の神である聖霊の協助を受けて、イエス様の骨髄の中に入っていくためです。イエス様は結婚をしなかったので、独身の神と同じです。そのようなイエス様の骨髄の中にある赤ん坊の種の立場に入っていくために、キリスト教徒たちは今までイエス様を信じているのです。このようにイエス様の骨髄の中に入っていったのち、復帰された新しい母を通して生まれ変わったという立場に立ってこそ、重生されるのです。
ここでNickさんに一言付け加えておきますが、「復帰された新しい母」とありますが、神様が送られたイエス様も「(復帰された)第二アダム」、再臨主までも「(復帰された)第三アダム」だということを理解していないのではないかと思います。となれば、原理用語の変化を見ても「真のお母様」を否定されていないNickさんということですから、原理講論P.264「善の父母は、天から降臨されなければならない」も当然、受け入れていかれて然るべきです。原理は嘘を語っていません。
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