キリスト教2000年の歴史を経て、イエス様「独生子(独り子)」の新婦としての「独生女(独り娘)」を文鮮明総裁が語り始められた最初のみ言は1959.10.11、韓鶴子総裁との「聖婚式」(1960.陰暦3.16)の半年前のことでした。
영월가정교회 | 독생녀를 맞기 위한 섭리/独生女を迎える為の摂理/
the providence of seeking a begotten daughter/天意迎 - Daum 카페
イエス様が十字架の道しかなくそれを決意した中、人目を忍んで夜に訪ねてきたユダヤ教の指導者・ニコデモにイエス様が本来メシヤとして成すべきであった母の胎を通しての人類の「(霊的)新生」の役事について語られていました。
ヨハネによる福音書/ 03章 01節~15節
パリサイ人のひとりで、その名をニコデモというユダヤ人の指導者があった。この人が夜イエスのもとにきて言った、「先生、わたしたちはあなたが神からこられた教師であることを知っています。神がご一緒でないなら、あなたがなさっておられるようなしるしは、だれにもできはしません」。イエスは答えて言われた、「よくよくあなたに言っておく。だれでも新しく生れなければ、神の国を見ることはできない」。ニコデモは言った、「人は年をとってから生れることが、どうしてできますか。もう一度、母の胎にはいって生れることができましょうか」。イエスは答えられた、「よくよくあなたに言っておく。だれでも、水と霊とから生れなければ、神の国にはいることはできない。肉から生れる者は肉であり、霊から生れる者は霊である。あなたがたは新しく生れなければならないと、わたしが言ったからとて、不思議に思うには及ばない。風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞くが、それがどこからきて、どこへ行くかは知らない。霊から生れる者もみな、それと同じである」。ニコデモはイエスに答えて言った、「どうして、そんなことがあり得ましょうか」。イエスは彼に答えて言われた、「あなたはイスラエルの教師でありながら、これぐらいのことがわからないのか。わたしが地上のことを語っているのに、あなたがたが信じないならば、天上のことを語った場合、どうしてそれを信じるだろうか。天から下ってきた者、すなわち人の子のほかには、だれも天に上った者はない。そして、ちょうどモーセが荒野でへびを上げたように、人の子もまた上げられなければならない。それは彼を信じる者が、すべて永遠の命を得るためである」。
しかしながら、イエス様は十字架に架かられては結婚することが出来なかったため、神様はこの地上に「聖霊(霊的母)」を送られては「(霊的)新生」の役事をして来られたのがキリスト教2000年の歴史でした。キリスト教が「新婦宗教」と言われるのもこのためです。
イエス様はご自身を「独生子(独り子)」として宣布されましたが、それにつながるクリスチャンたちはまだ神様の「養子」の立場でしかありませんでした。しかし、いつかイエス様が約束された再臨の時の「小羊の婚宴」(黙示録)を信じては、
ローマ人への手紙/ 08章 23節
それだけではなく、御霊の最初の実を持っているわたしたち自身も、心の内でうめきながら、子たる身分を授けられること、すなわち、からだのあがなわれることを待ち望んでいる。
「子たる身分」、つまりはイエス様同様に神様の実子圏に入ることを待ち焦がれてきた、というものでした。
もちろん、そのためには「独生子(独り子)」だけでなく「独生女(独り娘)」もいなければならない、と文鮮明総裁が語られていたものでした。
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