統一原理を愛して -3ページ目

統一原理を愛して

私は文鮮明先生、統一原理に出会って神様を感じることができました。このブログをきっかけに統一原理を通して、日々の生活で皆さんが神様を感じていけたら幸いです!!


良心革命は、良心の声に絶対服従しなければならないという内的革命です。皆さんの中に、いまだ善を志向する良心の命令と、肉身の欲望を求める肉身の誘惑が、絶え間ない葛藤を続けています。そのような恥ずかしい内面の闘いを終息させるためには、良心の位置と作用を確実に知らなければなりません。
 良心は皆さんの一挙手一投足、さらには皆さんの考えまでも、一点一画の加減なく把握しています。皆さんの師よりも先に分かるのです。そのような良心の命令に逆らえば、皆さん自身が呵責を受けます。皆さんの魂にほこりがたまり、垢がつき、傷ができるというのです。その傷は、永遠に消すことができず、そのまま霊界に背負っていかなければならない重荷となります。したがって、革命的な次元で自分の肉身を抑制し、良心の案内を受けて神様のみ前に進みゆくその日まで、傷のない、澄んだ、きれいな魂を保ちなさいというのです。

本来、心と体は、切り離すことのできない一つのものでした。人間の心は神様の心であり、人間の体はその心を入れる器でした。ところが、人間の堕落により、人間の体を悪魔に差し出したのです。そのときから人間の体は、悪魔の僕になりました。
 人間の良心は、神様を代表する心です。良心は、「私」のために存在するのではありません。天の義のために存在するのです。良心は常に、善に向かって走ろうとします。これに体は反抗します。体は自分だけ安らかでいようとし、利己的で本能的欲求に従って肉欲を満たそうとします。ここから、常に血ににじむ葛藤と闘争が、一つの体において起こるようになるのです。
(天一国経典 天聖経 第4編 真の人間 第1章 神様が創造された人間32 33)



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先生がみ言を語ったとき、どれほど深刻だったか分かりません。原稿を書いて考えたものではありません。先生が最高の峠で語ったものなので、皆さんがそれに感動すれば、神様が直接、涙を流していた事情や再創造の役事によって、皆さんの心と体を浄化させ、洗濯するというのです。ですから、訓読会を熱心にやらなければ、汚れた堕落の汚点が残るということです。先生以上に熱心にやらなければなりません。

 統一教会の祝福家庭という看板を掲げて、朝から寝坊していれば、それほど恥ずかしいことはありません。天正宮博物館では、先生を中心として夜通し、一睡もせずに、訓読会を準備するために精誠を尽くしているのに、朝から、もう少し寝ようと布団の中にいるその群れたちは、天が保護できる姿ではないことを知らなければなりません。

 訓読会を嫌う人は発展しません。訓読会に精誠を尽くし、ご飯を食べながらも訓読会、夜にも訓読会をすれば、神様がそこにいて、「どこどこに行きなさい」と教えてくださり、夜に自分が計画したことが間違っていれば、自分の心が突然それを嫌うようになるのです。それは天の啓示と同じです。

 訓読会をすれば、その結実を間違いなく結ばなければ、先生の言葉であり、神様の言葉なのであって、自分のものではないというのです。それを自分のものにしなければなりません。そうでなければ、いくら話をしても感動をうけません。必ず真の愛をもった実体になって、み言を語らなければなりません。そうしてこそ感動を受けるのです。
 
                         (八大教材・教本P68)


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魚の中で、雄と雌が愛することにおいて、最も模範的なのがさけです。ですから、先生は、さけを本当に愛しています。彼らは自分が生まれた場所を離れて五千マイル以上、五大洋を
回り、4年がたつと故郷を訪ねてきます。アラスカは気候が寒いために昆虫もいないので、彼らの子供が食べる物がありません。ですから、母親が死んだのち、自分の体を子供たちに食べさせて育てるというのです。
 万物の霊長が、魚にかなわなくてよいですか。動物世界は、そのようになっているのです。愛は、そのような偉大な力をもっているのに、万物の霊長である人間はどうでしょうか。人間は真の愛の主人です。どのように高次元的な夫婦の愛を完成するかというのです。先生が原理のすべての内容を発見したのも、聖書からではありません。自然の中から発見したのです。

                         (天一国経典 天聖経 P615)


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人の顔をじっと見てみるときに、笑うこととは何でしょうか。すべての動作を統一させられる、それが笑うことです。顔を見てください。顔をよく見れば、美人でも醜い人でも、笑うときは、目も笑い、鼻も笑い、口も笑い、耳も笑い、すべて笑うのです。ほほえみがなぜ良いのかというと、すべての動作を和合させ、和動させられるからです。それで笑うことが良いのです。

笑っている顔を攻撃することはできません。たたくことはできないのです。特に、幼子の何の欲望もない純粋な笑い顔に対して、つばを吐く大人はいません。

人に対するときには、笑顔で対さなければなりません。なぜでしょうか。垣根になるからです。これは、自然な垣根になるので、不自然さがなく、注意や防備という自分を保護する観念を超越します。

笑顔で気分の良い姿は、みな見つめます。気分の悪い表情をするのは悪です。ですから、向き合う時には、必ず笑顔で頭を下げなければなりません。人間は、いつでも笑顔で話をしたいと思っています。口を開けば歌を歌う、そのような気分をもった人に、悪人はいません。

                          (愛天愛人愛国 P57)



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